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サミットの歴史

比叡山宗教サミット27周年− 概要

 平成26年8月4日、比叡山延暦寺の一隅会館前「祈りの広場」を会場に比叡山宗教サミット27周年「世界平和祈りの集い」が開催された。
 不安定な天候で、時折雨が降る中にもかかわらず会場には平和を祈るべく約1,000人にも上る人々が集った。
 また、平和の祈り式典に先立ち世界平和祈願法要が、木ノ下寂俊宗務総長を導師に根本中堂内陣にて厳修された。

世界平和祈願法要 於 根本中堂内陣

 本年は初めて、平和の祈り式典に先立ち、木ノ下寂俊宗務総長を導師、小堀光實延暦寺執行を副導師として根本中堂内陣にて天台宗世界平和祈願法要が厳修された。
 根本中堂内陣という特別な道場で平和への祈りが捧げられ、中陣には宗内の要職者をはじめ多数の宗徒が随喜し、ともに平和を祈った。

平和の祈り式典 於 一隅会館前「祈りの広場」

▲ 猊下祈願文奉読

 本年の平和の祈り式典は近年稀にみる非常に不安定な天候で、時折雨が降る中での式典となった。参加者は傘やレインコートで雨をしのぎながら最後まで、祈りの時間をともに過ごした。
 木ノ下寂俊宗務総長の挨拶によって祈りの式典は幕を開けた。開会の辞の中で総長は「私達宗教者は世界平和実現の為の祈りを永遠に続け、積極的に行動していく必要があります。いまこそ、世界に向けて平和を祈ろうではありませんか」と祈りと行動を呼びかけた。
 次に、比叡山高等学校吹奏楽委員会の生徒達の演奏する入場曲に合わせて「第49回天台青少年比叡山の集い」研修生が世界平和への願いを込めて折った折り鶴を地球儀を模したアクリル球体に奉納した。またステージ上の両脇には研修生達が平和への思いを書き記した、絵馬も奉納された。続いて、比叡山幼稚園の園児が献花を行い太陽のようなひまわりでステージを彩った。
 平和への願いで満ち溢れた壇上で、半田孝淳天台座主猊下を大導師に延暦寺一山住職出仕のもと法要が営まれ、その後、座主猊下より平和祈願文が奉読された。半田猊下は祈願文の中で「宗教を超え、宗派を超えて行動を起し続け、叡智をもって対処すべき時を迎えています」と、平和実現には宗教者の行動が必要であると強く訴えられた。
 定刻の15時30分には各宗教団体・宗派代表の方々が登壇し、青少年研修生と幼稚園児の手で打ち鳴らされた『世界平和の鐘』の音が響き渡る中、平和実現を願って参加者一同が黙祷を捧げた。
 続いて、海外からの平和のメッセージとしてローマ教皇庁諸宗教対話評議会議長ジャン=ルイ・トーラン枢機卿と世界仏教徒連盟のパン・ワナメティー会長からの平和メッセージを頂いた。
 次いで、次代を担う子ども達の中から高校2年生、大本青年部所属の渡辺咲(わたなべ さき)さんと中学3年生で天台青少年の集い研修生代表の新井洸登(あらい ひろと)さんの2人より平和への思いを綴った作文が朗読発表された(ページ下部に全文掲載)。中高生の平和への思いを受けた宗教者を代表して田中恆清(たなか つねきよ)神社本庁総長が登壇され、「純粋な気持ちをもっと受け止め宗教者が行動を起こさなければならない」と述べられた。
 1987年の比叡山宗教サミットで採択された『比叡山メッセージ』が朗読され、天台青少年研修生の代表20名が登壇し、元気に声を揃えて平和の合い言葉を唱和した。
 最後に小堀光實延暦寺執行が閉会の辞を述べ、小堀執行が平和を誓って参加者一同での握手を呼びかけた。参加者は雨の中にもかかわらず、傘を閉じお互い手を取り合い、平和の祈りを続けていくことを固く誓い比叡山宗教サミット27周年「世界平和祈りの集い」式典は幕を閉じた。



子ども達からのメッセージ「平和への思い」

次代を担う2人の子ども達より平和への思いを綴った作文が朗読発表された

子ども達からのメッセージ「平和への思い」(1) 都立飛鳥高校2年生・大本青年部員 渡辺 咲さん

▲ 都立飛鳥高校生
  渡辺 咲(わたなべ さき)さん

「お互いを思いやる気持ち」から平和が生まれる

 私は、高校2年生の普通の学生です。
 その私に、この比叡山の「世界平和祈りの集い」で、「世界平和についての作文」を発表して欲しいとのお願いが突然やってきました。
 私は、このお願いに戸惑いました。「私にはできるのだろうか」、「そもそも平和って何だろう?」と思っていました。しかし、「普段余り考えない『平和』を考える良い機会じゃないか、自分自身の勉強になるので、ぜひやってみないか」と勧められ、この「発表」を引き受けました。
 しかし、私は今まで「平和」や「戦争」について深く考えたこともなく、「作文」を書くことが全くできませんでした。学生の私達の周りは、戦争がなく平和であることがあたりまえで、あたりまえすぎて「平和」とか「戦争」とかが、何か遠い存在のように感じていたからです。
 そこで私は、「平和」とか「戦争」を真正面から見つめて考えてみようと、広島市にある「広島平和記念公園」を訪れることにしました。
 まず、私は「原爆ドーム」の前に立ちました。そこには破壊し尽くされ、焼けただれた巨大なドームがありました。私は一瞬「これは現実の世界だろうか。いったいここで何が起きたのだろう」と思いました。それは私の想像をはるかに超えていた破壊の跡だったからです。今の日本とは到底結びつかない異様な光景でした。
 つぎに私は「原爆の子の像」の前に立ちました。この「原爆の子の像」は、原爆症で亡くなった佐々木禎子さんをはじめ、原爆で亡くなった多くの子どもたちの慰霊と世界に平和を呼びかけるために建てられたそうです。
 佐々木禎子さんは2歳の時、広島で被爆しましたが、その後は元気に小学生になりました。しかし小学校6年生の時に突然白血病と診断され、8か月間病院での闘病の末、昭和30年10月に亡くなりました。禎子さんは11歳でした。禎子さんは「鶴を千羽折ると病気が治る」と信じ、薬の包み紙や包装紙などで1,300羽以上の鶴を折り続けたそうです。原爆症という病気を乗りこえ、懸命に生きようとした禎子さんの物語は、日本だけでなく海外でも広く語り継がれています。 モンゴルでは禎子さんの歌が作られ、歌い継がれているそうです。
 この碑の周りには、千羽鶴が沢山お供えされていました。そして、碑文には「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきづくための」と書かれていました。
 戦争の最中ではありましたが、原爆が落とされるまでは、当たり前にあった生活、家族との暮らし、いのちや健康、それが一瞬で奪われたのです。碑文の言葉が、今まで何も知らずに生きてきた私の胸に刺さりました。
 私はいま17歳です。11歳で亡くなった禎子さんの「生きたい」という思いが私の心にも伝わりました。私は、子供たちの「未来」を奪う戦争は、決してしてはならないと思いました。
 それから、私は原爆慰霊碑にお参りをしてから、広島平和記念資料館を見学しました。そこで見たものは、私にとって「衝撃」であり「恐怖」であり「悲しみ」でした。それは69年前の広島で現実に起きた事なのです。私が、そこで学んだものは、衝撃が大きすぎてとても一言で言うことができません。作文を書こうにも思わずペンが止まってしまいました。ただ、いま言えることは、広島がきれいな平和な街に戻って良かった、平和な日本で家族と仲良く暮らせることができて本当に良かったということです。そして、日本人として、学ぶべきこと、学ばなければいけないことを、今回、学ばせて貰ったことにとても感謝しています。
 この広島での体験が、私に平和を考える良いきっかけを与えてくれました。
 では「平和」ってなんでしょうか。私は「戦争」の無いことが、イコール「平和」では無いと思います。実際の戦争が無くても、国と国や民族と民族がいがみ合い、憎しみ合い、対立していては「平和」とはいえません。私達の周りも同じです。平和な日本に住む私達ですが、犯罪もありますし、いじめ、虐待、育児放棄、自殺などの問題がたくさんあります。差別やヘイトスピーチ、ネットでの悪口の書き込みも多く見かけます。これらは決して真の「平和」とは言えません。
 私が思う「平和」とは、争いが無いことはもちろんですが、お互いが理解し、尊敬し、認め合って、思いやりの心を持つことだと思います。それは、人同士でも、国同士でも同じことだと思います。「しあわせ」の文字は、「幸い」の他に「仕え合う」という字があるそうです。
 大切なのは感謝の心、感謝の気持ちを持つことだと思います。感謝の気持ちを持てば人々の心はより穏やかに豊かになる。これが「平和」につながる第一歩であると思います。私は「お互いが思いやる気持ち」を持ち、感謝の心がどんどん広がっていけば、いつかきっと世界から戦争が無くなり、平和が訪れると思います。
 毎日家族で笑っていられること、友達と楽しく遊んで話すこと、私達が何気なく過ごしている日常は、決してあたりまえではなく、世界には学校に行くことが出来ない、ご飯が食べられない、病気でも治療を受けられない、そして紛争によって傷つき命を奪われている子供たちがたくさんいます。
 そのことを思うと、私達の今の生活に本当に感謝しなくてはならないと思います。
 そして、自分たちだけの幸せを求めるのではなく、世界中の子供たちが幸せな暮らしが送れるように、小さな事でも、自分の身近な周りから「平和」をつくる努力を始めたいと思います。
 自分自身がまず平和の心にならないと、世界中の全ての人々が平和になることは難しいと思います。
 「平和」は、私にとってとてもとても難しい言葉でしたが、今回のことで自分なりに「平和」の意味、答えが少し見つけられたような気がします。
 私は、未来を奪われた禎子さんのことを思い、これからの毎日を大切に生きていこうと思います。そして、世界中に平和が訪れることを願って、私なりに「お互いが思いやる」ことを、少しずつでも努力し続けたいと思います。


子ども達からのメッセージ「平和への思い」(2) 天台青少年比叡山の集い 研修生代表 新井 洸登さん

▲ 天台青少年比叡山の集い 研修生代表
  新井 洸登(あらい ひろと)さん

『平和への思い』 

 平和ってなんでしょう。辞書で平和という言葉をひいてみると「もめごとや対立・騒動などがなく、穏やかで落ち着いていること」「戦争・戦闘が行われずに世の中が静かに治まっていること」とありました。しかし、「争いが無いこと」だけが、平和だとは僕は思いません。
 暴力の無い事、傷つける、傷つけあう事がない状況はもちろん大切です。それとともに、だれにも機会が平等に与えられ、差別がない事、自由に選択できる状況が大切だと思います。これこそが本当の平和であると思います。
 日頃、世界各地のたくさんの紛争、事件、事故のニュースを耳にしますが、身近にそれを感じたことはなく、あたりまえのように、朝起きて、学校で勉強をし、家に帰り、家族みんなで食事をして、今日あったことを聞いたり、話したりして、また温かい布団で眠ることができます。そんな平穏な生活を振り返った時、日本は安全で平等で自由であり、平和なんだと実感します。
 しかし、世界はけっして平和だとは思いません。テロや紛争がたくさんの国で起こっているし、食べることや着るものにさえ困っている状況や、家が無かったり、学校に行けない環境に同じくらいの歳の子供がいるからです。
 では、なぜ紛争は起こってしまうのでしょうか。それぞれの国、民族、宗教にはそれぞれの意見があり、時には意見が食い違うこともあるでしょう。しかし、その意見の違いを認め合うことなく、力をもって己の優位性を証明しようとすることが多いのはなぜでしょう。争いのうえで得るものに何の意味があるのでしょうか。自分を証明するためには他はどうなっても良いのでしょうか。争いによって奪われるものは人の命だけではありません。私たちと共に生きている動物や植物、私たちを生かしてくれている自然も奪われてしまいます。争いのうえで得られるものなんて何もないのではないでしょうか。
 やはり、本当の意味での平和な世界を実現するためには相手を理解しようとすること、そして、どんなに小さくてもいいので具体的な行動を起こすことが第一歩だと思います。
 先月まで開催されていたサッカーワールドカップにおいて、様々な国の人々が、「サッカー」を通じて、互いに優勝を目指して競い合いました。しかし、試合という形で激しくぶつかり合いましたが、試合終了後、選手たちはお互いに健闘を称え合い、笑顔でユニホームを交換していました。人種の違いもありました、信仰の違いもありました。しかし、「サッカー」というスポーツを共有することで、様々な人々が一つにつながることができたのです。
 全世界には様々な国、民族、そこで暮らす人々が信仰する宗教が存在します。それぞれが平和な世界の実現を願っているはずです。しかし、それぞれが考える「平和を実現するための方法」が異なるために、足並みがそろわず、力は一つにまとまらないのだと思います。
 ワールドカップにおいて、「サッカー」というスポーツを共有することで様々な人々が一つに繋がれたように、人々が笑顔で暮らせる平和な世界を実現するために、国、民族、宗教の異なりを超えて、共通の「平和を実現するための具体的方法」を決めるべきではないでしょうか。ルールや法律を世界共通で定め、守ることでみんなが平和になれると思います。
 簡単なことでは無いことは分かっています。しかし、具体的に行動することで、これからの未来は変えていくことができるはずです。
 ここにお集まりの宗教者の皆様に質問があります。自分の近くに座っておられる、別の宗教、宗派の方々と、自らの信仰する宗教、宗派に共通する考え方がありますか。また、自分の宗教、宗派にはなく、別の宗教、宗派にはある魅力はなんでしょうか。
 お互いが語り合い、共通するところ、異なるところを見つけ、そしてそれを互いに理解し合うことから何かが始まると思います。


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