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サミットの歴史

比叡山宗教サミット11周年− 概要

(広報天台宗 第10号)

比叡山宗教サミット11周年記念 「世界平和祈りの集い」報告
天台宗国際平和協力協会 平成10年8月4日

平和を願い11回目の開催

 1987年に開催された比叡山宗教サミットの精神を継承して、今年も去る8月4日、比叡山延暦寺一隅を照らす会館前祈りの広場を会場に第11回比叡山宗教サミット記念「世界平和祈りの集い」が行われた。
 祈りの集いには国内の各教宗派の代表をはじめ、宗内各役職員、天台青少年比叡山の集いに参加の青少年約200名、海外からはチェコ・クリスチャンアカデミー総長のトマーシュ・ハリーク師、エジプト・カイロ大学教授のハムザ・イサム氏など約600名が参加し、平和を願い共に祈った。
 午後3時、藤光賢宗務総長の開式の辞で祈りの集いは始められ、約200名の青少年らが各々平和への思いを書き記した短冊を手に入場し、正面舞台に一人ひとりの手により短冊が吊り下げられ、色鮮やかな舞台の準備が整った。舞台中央の不滅の法灯にむかい、第二五五世渡邊惠進天台座主猊下をお導師に仰ぎ、延暦寺一山住職出仕のもと法楽が修され、続いて座主猊下による「平和祈願文」が奉読された。この中で座主猊下は「1日も早い平和実現のため、我々宗教者は神仏の御加護のもと、共に一層努力することを誓う」と述べた。
 午後3時30分、大講堂前の平和の鐘を合図に、会場全ての人々が一斉に平和への黙祷を捧げた。黙祷する中、比叡山の全ての鐘が次々と打ち鳴らされ、比叡山中に響き渡った。続いて青少年の代表による「比叡山メッセージ」の朗読がなされた。
 続いて、世界連邦日本宗教委員会委員長の池田瑩輝師による「平和を語る」と題した記念講演、海外宗教者として参列されたトマーシュ・ハリーク師のメッセージ披露、昨年の10周年記念にも参加のバチカン諸宗教対話評議会長官フランシス・アリンゼ枢機卿等の祝電披露が行われ、約1時間にわたる祈りの集いは清原惠光延暦寺執行の閉会の辞をもって終了した。

平和祈願文

 謹み敬って宇宙全域に遍満し慈愛の妙薬を垂れ給う神佛に申し上げます。
 本日は比叡山延暦寺の聖域において佛教・神道・教派神道・キリスト教・新日本宗教団体連合会・世界連邦日本宗教委員会等の平和の為に日夜身命を捧げておられる有縁各師の方々が相寄り、比叡山宗教サミット平和祈願の式典を催しました昭和62年8月4日この浄域において第1回が執行されて以来年々歳々変わることなく平和を祈る集会が催されて参りました。世界の人々の心に平和の願いが一段と強まったようにも感じられます。然し乍ら世界の平和は遠く厳しく、内にあっては子供に対する暴力、子供による犯罪等宗教者はさらに家庭の教育に一層の力をあわせて平和実現の為に精進せねばなりません。
 全ての神々全ての菩薩等平和実現のためにお導き下さいますようお願いいたします。
 加えて人類は和合し地球環境が核実験等でこれ以上悪くなりませんように私達をお導き下さいますよう謹んで祈願いたします。
 神佛の思召しにより我等宗教者は一層努力することをお誓い申し上げ謹んで誓願いたします。

平成10年8月4日  天台座主 惠進 謹んで申し奉る

フランシス・アリンゼ枢機卿より
比叡山宗教サミット11周年記念「世界平和祈りの集い」に参加された日本の諸宗教の皆様へ

 ローマ教皇庁において、世界の様々な宗教を信じる人々と交流を進める諸宗教対話評議会の長官として、私は日本の諸宗教代表の先生方と天台宗の皆様に、比叡山の世界平和祈りの集いの11周年を記念して、メッセージをお送りできますことを幸せに存じます。
 1986年アッシジでの出会いに心を動かされ、比叡山で毎年平和の祈りを続けておられる事は、世界共通の平和の願いとして、貴重な事です。皆様の世界平和への働きは、祈りにおいて日本の宗教者を一つに結ぶことによってなされております。アッシジの「世界平和祈りの集い」開会式でローマ教皇パウロ二世が次のように明言されました。
 「このように多くの宗教指導者が集い、共に祈る事はそれ自体、世界に向かって、もう一つの平和の在り方と、もう一つの平和へのアプローチを提示し認識させる事なのです。すなわち、交渉の結果や政治的妥協、経済の取引等によりもたらされる平和とは異なる平和がある、と言うことを明らかにする事です。それは祈りによってもたらされる平和です。様々な宗教がそれぞれに、人間の能力を超えた大いなる存在との交流を表現する、それが祈りです。」(1986年10月7日開会式でのスピーチ)
 神が比叡山での集いに豊かな祝福を賜りますよう、そしてさらに平和な世界が訪れるよう、祈ります。

諸宗教対話評議会 長官 フランシス・アリンゼ枢機卿

趙樸初会長より 渡邊惠進長老猊下へ

 比叡山に、宗教首脳会議11周年を記念して世界平和を祈る集いを知り喜びました。私は、謹んで中国佛教協会を代表し、並びに私個人としても、衷心より祝賀申し上げます。
 長年、宗教首脳会議は正しく世界平和を促進し、巨大な貢献を果たしてまいりました。国際的形成が劇的に変化する今日にあって、世界平和と人類の幸福は人心の望む所です。私は、全世界の人民と宗教界が共同努力するもとに世界の和平が維持されれば、人類の安寧をもたらし、幸福が必ずや実現することを堅く信じております。
 ここに今回の「平和の祈りの集い」が円満に成功し、比叡山の平和の鐘の音が地球全体に響きわたりますように祈ります。

中国佛教協会 会長 趙 樸初

平和を語る
世界連邦日本宗教委員会 委員長 池田瑩輝師

 平素から世界平和運動に御尽力なさっておられる皆々様の御前で、「平和を語る」というお話しをさせて頂くことは、私にとりまして大変光栄であると共に、なんだか面映い気がしてなりません。でも、我が師亡き後、宗旨は違いますが心の師としてお仕え致しておりました今は亡き葉上照澄阿闍梨の御山でのこと故、勇気を出してお話しさせて頂くことと致します。(以後「葉上阿闍梨」の事を「阿闍梨」と呼ばせて頂きます)
 阿闍梨の御生前、「お前はハワイ専門やで」とよく言われましたので、今日は今からちょうど17年前、昭和57年(1982)から昨年12月までの「ハワイ戦没者慰霊世界平和祈念」の式典を中心にしてお話させて頂きます。
 昭和57年5月、田中文清石清水八幡宮宮司(現名誉宮司)を団長に、今は亡き阿闍梨や広島流山教会の谷本清名誉牧師等と共に、米国の諸宗教者約30名とニューヨークの聖ヨハネ大聖堂で日米宗教者会議が開催されました。その時に、広島の谷本名誉牧師等より「ハワイの真珠湾には、未だ千数百名の米軍勇士の霊が海中深く沈んだままになっている」との話があり、その事を初めて知られた阿闍梨は、「宗教者としてこれはなんとかしなければ…」ということで帰路、田中団長他十数名の者が真珠湾に立ち寄り、慰霊の後、アリゾナ記念館を訪れたのがそもそもの世界連邦日本宗教委員会と真珠湾とのご縁であります。
 帰国後、阿闍梨は米国大使館を訪れ、「開戦記念日、12月7日にぜひ真珠湾アリゾナ艦上で慰霊祭をさせて頂くように」と申し入れられたところ、それがようやく受理されて、その年(昭和57年)12月7日の慰霊式典に世界連邦日本宗教委員会としては初めて参加させて頂きました。その時の団長は櫻井勝之進多賀大社宮司(現名誉宮司)でした。そして、昭和58年は真言宗泉涌寺派観音寺藤田俊教住職、昭和60年は小林一朗神道青年全国協議会会長、それ以外の年は昨年までずっと不肖私が団長として参加させて頂き、真珠湾のみならず、パンチボール国立墓地においても慰霊式典を行い、現地ハワイの宗教者とも会議あるいは懇親会をもつのを常としております。
 その一方、昭和57年より昨年まで、毎年、日本の広島、長崎で8月6日・9日に行われる戦争犠牲者慰霊平和祈念式典には、本会代表者が必ず参列していますが、特に昭和58年には当時のカミンズ・アリゾナ記念館館長を、比叡山宗教サミットの開かれた昭和62年には、宗教サミットに出席されたお方の中での有志のお方を始め、カミンズ館長の後任のデキンソン館長を、そして平成4年にはその後任のマギー館長をそれぞれ招聘しております。
 夫々の館長の時代の時筆すべき事柄を列挙しますと、まずカミンズ館長。彼は「妻子と共に平和に暮らしておった一米国市民が太平洋戦争にかり出されて戦死した。その遺品がアリゾナ記念館に展示されているが、それだけでは不十分だ。同様に日本にもこの様な人々がいるはずだ。できればその様な方の遺品があれば両方並べて展示したいので、探して欲しい」と、言われたので、広島の谷本名誉牧師が中心になり、色々と遺品蒐集に奔走し、見つかりしだい12月には、アリゾナ記念館に寄贈してきました。
 次にデキンソン館長。昭和62年に、真珠湾攻撃で戦死された清水好生氏(当時22歳)の遺品をアリゾナ記念館に贈呈しました。次にマギー館長。マギー館長をお招きした時に、宝塚歌劇を観劇されたのが御縁となって、アリゾナ記念館横で上映されている映画も全面的に設定され、日本語・中国語で同時通訳されるようになりました。
 又、マギー館長の時代に、ホノルルより北東の米海軍墓地内に、日本の空母「蒼龍」の零戦隊長飯田房太郎少佐(当時26歳)の墓碑のあることを知り、その墓碑とその基地内での米軍戦死者19名の記念碑前でも、慰霊式典を厳修することになりました。
 ところが昨年、飯田少佐の墓碑にお参りした時に、日本人56人の一行に会いました。その中に、熊本在住の熱心なクリスチャンで、空母「飛龍」の一等機関兵(当時19歳)であった橋本忠氏、真珠湾攻撃の生き残りの勇士がおられました。その時に、橋本氏からこんな逸話を聞きました。即ち、
 昭和16年12月7日午前8時前、太平洋上に集結した日本海軍の内、空母「飛龍」は真珠湾へ、「蒼龍」はカネオへ基地に奇襲攻撃をかけたのですが、その約半年後、ミッドウェー海戦で、こんどは日本海軍は壊滅的な打撃を受け、最後まで残った「飛龍」も遂に沈没、橋本氏は一艘の「救命ボート」に乗り移り、波間に漂うこと14日、偶然米海軍のコンラッド・フリーズ氏(当時19歳)操縦の哨戒機に発見されたのが奇跡で、九死に一生を得て救助されたのでした。
 先の話と前後しますが、このフリーズ氏もまた、カネオへ基地攻撃に飯田隊長と闘った米軍生き残りの勇士だったのです。
 因縁の深さに、この話を聞いた参列者一同感動致しました。
 話を元に戻します。この様に、アリゾナ記念館長は次々と交替されても、平和を願う心は受け継がれ、少しも変わってはおりません。否、だんだんと親密さが増し、好転している様に思われます。まさに「継続は力なり」の感が致します。
 現ビーリングス館長(女性)も近々日本にお招きしたいと計画しております。
 私達の目的とする所は、日米双方の戦争による悲しみの場となった真珠湾、そして日本の広島・長崎、それぞれの場所で、それぞれの時に、双方の戦争犠牲者の御霊に「霊よ安かれ」と祈りを捧げて、日米不戦の誓いを新たにし、それを通じて世界恒久平和を祈ることにあります。
 今や戦争がないだけでは、本当の世界平和は訪れない時代になって来たとはいえ、戦争を風化させてしまってはなりません。
 そこで、毎年12月7日には次のメッセージを送って締めくくっております。即ち、
 たとえ、宗教、宗派は違っても、人類の安心、平和、幸福を願わない宗教はないはずです。自ら信ずる
 Godに!!Allahに!!神に!!仏に!!夫々共に祈りましょう!!
 『世界が本当に平和になり、すべての人々が幸せでありますように!!この地球を一つの家として、生きとし生けるものが共に生き慈しみと愛と誠にみちた明るい楽しい世の中になりますように!!』

比叡山平和の祈りのために
チェコ・クリスチャンアカデミー総長 トマーシュ・ハリーク師

 ヨーロッパの精神上の十字路と呼ばれているプラハ、今年の春にこの歴史的な街の中心に位置している我々の大学「カレル大学」の聖サルバートル教会で多くのキリスト教徒(各派)、仏教徒、そして求道者が、天台宗の僧侶達によって行われた声明の儀式に参加しました。それから半年も経ない今、その僧侶の出身地である聖なる比叡山で、この出会いに出席するとは夢にも思いませんでした。その時の儀式の始まりに、私は僧侶のことを福音書の言葉を使って「平和の使節」と紹介しました。私は今日ここにお集まりになった皆様を同様に「平和の使者」と名づけて挨拶したいと思っております。
 有名な英国の歴史家アーノルド・トインビーは「将来人々が20世紀を評価する時、優れた技術・戦争・政治闘争等ではなく、キリスト教と仏教の間に本格的な対話が始まったことに気付くだろう」と言っていますが、私自身は21世紀に為すべき仕事の最も大切な事の一つに、諸宗教間の対話があると考えています。
 長期間、相互の世界を分隔てていた様々な諸宗教の多くの人々が、その隔たりを超える模索を始めたこと自体、神の大いなる恩寵であり、過去の苦い経験からくる実でもあるのでしょう。宗教によって民族間の緊張・争いが拡大深刻化するのか、又は民族や政治の間の境界を超える理解の架け橋を建設するのかは、とても大切なことなのです。
 今までの諸宗教対話の結果をまとめると、我々の諸世界をお互いに区別するのは、*哲学的なカテゴリー、*異なる人間観、*又は自然観に基づいている人間論、*そして宇宙論であって、一方で我々の諸世界を吃驚するほど統一するのは、基本的な道徳に関する考え方、そして深い精神的な体験であるとは言えないでしょうか。ほとんどの宗教には、聖書の黄金律の「己の欲するところを人にもこれを施せ」(マタイ伝、七:十二)と同様なものが見出され、ほとんどの宗教が神に出会う体験を表現しようとする時、言語によっては直接的な表現が出来ない。その時は、逆説的又は詩的な愛情の寓言法の言葉を用いて表されます。
 恐らくほとんどの宗教の精神的な教育は、内面的な自由を求めており、不誠実な偶像崇拝を避け、感情を抑制し、心を清め、我を越えることにより、世界を通じて神に近づくよう、この世界のものによって神に導かせるように教育します。
 各宗派は歴史的経験をどの様に互いに伝えるのでしょう。実現すれば相互を富ませることにもなります。宗教は宣教師等により相手に呼び掛けする事が出来ますが、今一番注意すべきことは相手に耳をかし理解することでしょう。
 20世紀末の地球での生活はとても複雑になりました。その理由の一つは、通信・交通手段の発達によって異文化が混じることで我々の頭は情報の洪水となり、さらに全世界の様々な「プログラム」が我々に提案されます。私はそんな時、二つの誤った答えを出す危険が含まれていると考えます。
 まず第1は、その複雑さを恐れるため、物事を白黒の単純化した世界にしようと企てる人々の存在。又、伝統や独自性に固執し、更に鎖国的に自らの内側を向いてしまい、異文化・異伝統を悪魔のように扱おうとすることです。つまり、愛の一部である探すことを止めることが、安全であると確信する狂信的宗教心は、相手に対する盾と成ってしまいます。
 もう一方の極端は、伝統の上に神々しい立場を取って、新しい「全体主義的な宗教」を求めることでしょう。それは忍耐の不足に基づいているものです。「新しい宗教」を求める人々は早く伝統を止めて、「古い宗教」が犯した誤りを繰り返す危険があります。
 相手を幸福にするために、個性を守って自分のルーツに誠実であることは必要です。自分も他人と同じように、限られた角度からしか物事が見えない事を認めるために、多くの謙遜が必要です。我々はみな「道を歩いている」人ばかりなのです。
 自分の独自性を守りながら、異なる考え方をもつ人々との友好的な対話と、その関係を保つためには賢いバランスが必要です。全ての精神上の道の豊かさが保証されるように、一様ではなく多様性を持つことが望ましいことでしょう。多様性は豊かさが生き残るため、自分の個性は守るべきものです。その多様性は混乱ではなく美しさであるため、相当な理解が必要でもあります。
 私の精神上の家族であるカトリック教会ではそんな多様性の萌芽を、特に様々な修道会の多さに見出せます。イエズス会、フランチェスコ会、ドミニコ会、トラピスト会はそれぞれ違う生活、精神性、場合によって神学的に重視する部分も違います。それぞれはみな一つのカトリック教会の一部でありながら、独自に存在しています。そして相補し合い、必要な関係を保っています。他の宗教文化にも似た事例が多くあります。
 このような例は、キリスト教の諸宗派をお互いに近づけるという努力、又は「世界教会主義」を目指している諸宗教対話にも、ひらめきを与えると私自身考えています。
 自分と他人の相違点を探すのではなく、共通点を探すのが基本となるでしょう。もし相違点を発見すれば、それは自分にとって危険なものではなく、自らをさらに豊かにしてくれます。又、同時に自分と異なる点は無視してはいけません。どんな相手も、その人の意見を批評的に見る能力と権利は保存されるべきです。場合によって、論争は友好的な対話に必要な一部であるでしょう。
 私の考えでは、望まれる理解と調和は遠い理想であり、歴史の最後に神様の御手から戴くものとして期待すべきでしょう…… 現在は目標へ到達したのではなく道の途中であって、妨害の存在も認めるべきなのです。そうでなければ真実に反駁することになります。
 時には論争や批判も、相手にとって兄弟的な奉仕となります。そのためには、真実の理解の妨害となっている偏見を止めないと、進歩はありません。偏見を克服する良い手段は、互いが出会うことです。精神上の分野でも社会上の分野でも、協力しながら出会いを実現することは、現在すでに多く始まっています。
 人々の出会いの最も優れた崇高な方法は、共同の祈りです。
 今回、比叡山に集う素晴らしい機会を非常に高く評価します。この集いが恩寵され、良い成果を生むように神様にお願い申し上げます。

(翻訳 ロビン・ヘジュマン)


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