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サミットの歴史

比叡山宗教サミット29周年− 概要

▲ 宗教者代表が登壇し黙祷を捧げた

今年で29周年を迎えた「比叡山宗教サミット『世界平和祈りの集い』」が8月4日に総本山延暦寺において開催された。この「世界平和祈りの集い」は、宗派を超えて国内外の宗教指導者が一同に会し、戦争のない平和な世界になることを祈る集いである。今回は、仏教をはじめ、神道、新宗教、キリスト教、イスラム教など国の内外から約1000名の宗教関係者が参加、共々に平和への祈りを捧げた。

世界平和祈願法要 於:延暦寺根本中堂

▲ 世界平和祈願並護摩供法要の様子

「世界平和祈りの集い」に先立ち、木ノ下寂俊天台宗宗務総長の導師の下、午後1時より根本中堂において「天台宗世界平和祈願並護摩供法要」が厳修された。平和祈願の護摩供は、小堀光實延暦寺執行により修法された。

平和の祈り式典 於:延暦寺一隅会館前「祈りの広場」

▲ 平和祈願文を読み上げられる天台座主猊下

午後3時、比叡山幼稚園園児によるひまわりの献花や「天台青少年比叡山の集い」に参加した青少年による平和を願う折り鶴の奉納がなされ開式となった。

木ノ下宗務総長の開式の挨拶の後、森川宏映天台座主猊下の導師で法楽が執り行われた。続いて座主猊下が「平和祈願文」を読み上げられ、世界各地で勃発する宗派間や民族間のテロや紛争、さらに国内外で見られる無差別殺人など、自己中心的な事件に心痛の思い大いなるものがあるとされた。そして、「宗教者の果たすべき役割、使命は極めて大きい」と訴えられた。

「国内外の問題には政治的な闘争もありますが、宗教間の争いには、ひと際心痛む思いを致しております。かかる事象をしますと、私たち宗教者の果たさねばならない使命は、極めて大きく、かつ重要で実働を伴う祈りが希求されるとの思いに至る次第です。(中略)去る5月にアメリカ合衆国オバマ大統領が被爆地広島を訪問し、犠牲者に慰霊の気持ちを表した後、核の無い世界の実現を、と訴えました。私たち宗教者は『比叡山宗教サミット』の原点に立ち返り、神仏の導きに従い、抑制的で理知的な解決を祈りつつ、率先して啓蒙と実践に努めるべきものと存じております」(平和祈願文より抜粋)

 

▲ ローマ教皇庁諸宗教対話評議会議長ジャン=ルイ・トーラン
  枢機卿のメッセージを代読するシスター・ジュディトゥ氏
  (ローマ教皇庁諸宗教対話評議会秘書局員)

その後、国内外の宗教指導者16名が登壇。午後3時30分に文殊楼の鐘楼の「世界平和の鐘」が打ち鳴らされると、壇上の指導者たちは、会場の参加者とともに、平和を願う黙祷を捧げた。続いて、教皇庁諸宗教対話評議会議長のジャン=ルイ・トーラン枢機卿やパン・ワナメティー世界仏教徒連盟(WFB)会長の海外からのメッセージが披露された。

また、子どもたちから「平和」への思いと題して、高校生代表や天台比叡山青少年の集いに参加した中学生らがスピーチ、そして「比叡山メッセージ」の朗読、『平和の合い言葉』を参加者で唱和。小堀延暦寺執行の閉会の挨拶があり、参加者全員で互いに握手し、平和への祈りと行動を続けることを誓い合い、閉会となった。

子ども達からのメッセージ「平和への思い」

次世代を担う子ども達より平和への思いを綴った作文が朗読された。

子ども達からのメッセージ「平和への思い」(1) 日本キリスト教連合会所属 土持 こなみ さん(高校1年)

▲ 「平和への思い」を読み上げる土持こなみさん

「やっさんから教わった平和への道の開き方」

私の学校には、やっさんと呼ばれている現代社会の先生がいます。やっさんは四十代であることを忘れるほど元気で、よく喋り、明るくて優しくて面白い、生徒に人気の先生です。いつもおちゃらけていてどたばたと大きな身振りで教壇の上を跳んだり跳ねたり忙しい先生ですが、そんなやっさんにも一つだけまじめな顔になって真剣に熱弁するときがあります。それは、社会の問題について生徒に説くときです。

例えば、日本における貧困についての話の時は、どんなに頑張っても収入が安定せず苦しむ人の多さを語り、日本経済の危うさを話す時には、不況で借金を抱え自殺したタクシー運転手のことをあげ、この命は救えたはずだと訴え、世界の貧しい子どもたちの話題の時は、ごみ山を裸足で歩く少女の命が破傷風などの可能性により脅かされていることを、熱を持って弁論します。そのやっさんの様子からは本当に世の中の問題に真剣に真正面から向き合って、解決しようとしていることがありありと伝わってくるのです。

この熱弁は2回に1回の頻度で授業中に行われ、その度に皆は「始まった。」と言わんばかりに互いに目配せをして、やっさんの演説を聞いています。数あるやっさんの演説の中でも、特に衝撃的だったものがあります。それは、アメリカが引き起こしたイラク戦争の戦闘地域での、あまりに酷い捕虜の扱いについてでした。

イラク戦争では、多くの一般市民が捕虜とされ、アメリカの軍の施設に入れられていました。その中では、拷問にも近い嫌がらせや虐待が行われていたのだ、とやっさんはある本の一節を紹介しました。ある男性は、米兵に胡椒水を両目にうたれて放置され、両目を失明した。多くの女性たちが性的暴行をされた。首から下を地面に埋められ、日中の強い日差しの中放置されて瀕死になった男性がいた。やっさんの口から出る言葉ひとつひとつに私は表しようのない感情を覚えました。そういった惨い被害にあった人々がアメリカや連合軍に復讐するために集まって、武装集団を作ったのだと、やっさんは言いました。「憎しみは憎しみをよぶ。復讐は復讐をよぶ。それが、世界の平和への道を妨げているんだ。」そう言ってやっさんは授業を終えました。

やっさんが授業の最後に言った言葉から、昨今の世界で起きている事件の数々を思い出しました。欧米を中心に広がるISによるテロの脅威、人種差別的事件、絶えぬ紛争、先日アメリカで起きた事件がまさにその典型的な例といえるでしょう。白人警察官が黒人を射殺する事件がアメリカ国内で頻発する中、数々のこのような事件への恨みを募らせた黒人の男が、白人の警察官を射殺した事件です。これはまさに憎しみの負の連鎖を生み出す行為です。これはまだアメリカ国内におけることですが、いずれこのような事件が国境を越えて起きたりすると、最悪の場合戦争を引き起こしかねません。私はいつになっても見えてこない平和への道に絶望を感じましたが、すぐにその絶望は消えました。とある人のことが頭をよぎったからです。それは、フランスのジャーナリストのアントワンヌ・レリスさんでした。

レリスさんは、昨年11月に起こったパリの同時多発テロで妻を亡くしました。しかし、悲しみに暮れながらも、テロリストに向けてフェイスブックにメッセージを投稿しました。そのメッセージでは、憎しみの言葉ではなく「私はあなたたちを憎まない」といった、まるで逆の言葉でした。彼は1歳5ヵ月の息子の将来のためにも、自ら憎しみの連鎖を断ち切ったのです。それはつまり、自分の中にあるあらゆる悲しみや怒り、憎しみを抑えて否定し、なおかつそれを憎いはずの相手に向けて発信するということで、相当に辛く覚悟のいることだったに違いありません。平和への道のりはここにあるのです。人々が我慢し耐え忍び、悲しみや怒りを乗り越えた先に、平和は実現するのです。勿論悪を働いたものにはそれ相応の裁きと罰は必要です。しかし、憎しみの余り、犯人やそれに関係する人々を攻撃したり、犯人とは全く関係のない人を、単に同じ職種・宗教・人種だという理由で攻撃したりしようものなら、それこそ憎しみの連鎖を引き起こし平和を遠ざけてしまうこととなるのです。我慢は人間関係を良好に保つ鍵とは言われますが、国際関係でも同じことが言えるのです。しかし、一度始まった武装組織によるテロや攻撃の連続は、たやすくは終わらないものです。組織自体を制圧するとなると、武力以外での方法でやっても、なかなか制圧しきることはできません。つまり、これ以上このような組織を生み出さないことが重要なのです。

やっさんは私たちに言いました。「この乱れ切った世界を平和に近づけるための方法を考えること。それがこれからの未来を担う君たちの仕事なんだ。」私たちはそのことを心にとめ、責任を持って平和の実現を目指してこれからも生きねばならないのです。

子ども達からのメッセージ「平和への思い」(2)
 天台青少年比叡山の集い研修生代表 山田 幸希 さん  山下 瑞稀 さん

▲ 「平和への思い」を読み上げる山田幸希さんと山下瑞稀さん

世界の人々と仲良く暮らそう!

天台青少年比叡山の集いに参加している私たちが、研修中に何度となくお唱えする合い言葉の一つです。

今の日本は世界と比べれば、安全で平和だと思います。しかし、これからの国会で話し合われていくことですが、もし、憲法9条の改正がおこなわれた時、それは私たちが生きていく中で、いつ戦争に巻き込まれるかわからない状況になるということなのでしょうか。

日本は太平洋戦争という大きな失敗をしました。「もう二度とこんなことをしてはいけない」という日本国民の思いから、日本は、戦争はしないと誓いました。しかし、日本は戦争に関わる国になってしまうのか、私は不安でしかたありません。

世界に目をむけたとき、最近ではテロが数多く起こっています。世界で一人ひとつしかない命を、それぞれにどんな正義があるにしても、無差別に奪ってしまうのは、ゆるされることではなく、私はとても悲しいです。

また、豊かな国もあれば貧しい国もあり、みんながみんな平等に暮らしているわけではありません。例をあげれば、アフリカの地域です。他国と比べて貧しく差別が激しいのではないかと思います。

平和とは、争いがなくなった世界だけをさすのではないと思います。世界の人々みんなが、仲良く笑顔で一人一人平等に生活ができ、幸せに暮らせることだと思います。

私たちができることは、今あるものを大切にし、ひとりひとりがやるべき事をするといったことが平和につながると思います。

尊い命を大切にしよう!

私たちが住んでいるのは宮城県石巻市です。石巻市は平成23年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災により甚大な被害を受けました。地震により発生した大津波によって、死者、行方不明者を合わせて全犠牲者の約3割にあたる4000名の人が犠牲になりました。

私は、地震が発生した時は当時は小学校4年生で、学校で掃除が終わり、ちょうど席に着いたときでした。地震だとわかった時、すぐに先生の指示で机の下にもぐりました。地震は長く、机の脇のパイプ部分を必死で握りしめていました。私の前の友達は、机ごと転がっていき、先生は棚にしがみつきながら、テレビが落ちないように支えていました。揺れは10分程度つづいていて、とても怖かったです。揺れがおさまり、先生の指示に従い校庭に避難しました。校庭にできた大きなひび割れを見て、この地震はたまにある小さな地震なんかじゃないと思いました。外はサイレンが響きわたっていて、余震が何度も続きました。保護者が迎えに来ている中、私のお母さんが迎えに来なく、迎えにきた保護者の手からは血が出ていて、ますますお母さんが来ないのがすごく不安でしかたありませんでした。そして、お母さんが迎えに来てくれてすごく安心して、家に帰りました。自分の部屋を見てみると、机の教科書などが落ち、台所は食器類が落ち割れ、足の踏み場もない状況でした。電気も水道もとまり、情報がない中で、大津波警報のサイレンだけが街中に響いていました。

私は家族とともに、お父さんの実家に行くため、車で避難しようと外へ出ると、津波の影響で水が私の膝くらいまで来ていました。その中を車でお父さんの実家へ避難しました。お父さんの実家もすごい事になっていました。瓦が落ち、壁も何カ所も畳の上に散乱していました。電気もなく水道もなく、ロウソクの明かりで暮らし、食事は1日2食で皿にサランラップを巻き、なるべく洗い物を減らし、水が出ないのでお風呂も入れず、タオルで体を拭く生活が続きました。私は、本当に電気、水道がない生活がどれだけ大変なのかが、震災で実感しました。

震災から5年が経過しました。少しずつですが復興しています。ボランティアの方々が日本中、世界中の各地からわざわざ東北まできてくれて、自分の街でもないのに、とても一生懸命手伝いをしてくれて、とても感動しました。来てくださった外国人の皆さんの中には、きっと日本語が余りはなせない人もいたと思います。全国の皆さん、そして世界の皆さんがいろいろな方法で私たちに救いの手をさしのべてくれて、私は勇気や希望を持つことが出来、私たちは一人じゃないと思うことが出来ました。

自分も将来、日本のどこか、世界のどこかで大きな震災が起きたときは、ボランティアとして駆けつけ、助けてくれた恩を返したいと思います。

今日もみんなで楽しい1日を過ごし、あしたも楽しくと思って生きてきました。それが、震災で、さっきまで楽しく話をしていた友達がいなくなり、二度と笑顔を見ることが出来なくなりました。命は一度失ったら取り戻すことができません。人は一つの命しかありません。私は親からもらったたった一つの命を絶対に無駄にしないように大切にしていきたいと思います。

自然の恵みに感謝しよう!

震災をとおして、今までにない経験をし、自然の恐ろしさを知りました。海が凶暴化し大津波として被害をもたらしました。私たちは、震災で受けた被害を受け止め、次にまた大きな地震、津波がきたときに受けるであろう被害を少しでも減らせるように、海や川、山などをしっかり管理していかないといけません。

この海も、川も私たちの生活の中では欠かせない存在です。自然の恵みは、絶対に生活をしていくには必要です。私たちの命は、自然の命によって生きています。それを実感しながら、自然の恵みに感謝し、「いただきます」「ごちそうさま」の気持ちを大切にしていきたいです。

私たち、一人一人の力は、小さくてか弱いけれど、同じ地球の上で、生かされているすべての人間が、それぞれの命を尊さを、理解しあい、手をとりあい、平和な世界をいっしょに目指していきたい。

 

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