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サミットの歴史

比叡山宗教サミット28周年− 概要

▲ 宗教者代表が登壇し黙祷を捧げた

28周年を迎えた「比叡山宗教サミット『世界平和祈りの集い』」は、平成27年8月4日に総本山延暦寺で開催され、会場には平和を祈るべく約1,000人にも上る参加者が集った。

今年は、戦後70年という節目の年を迎えることから、同日午前10時より延暦寺阿弥陀堂において、叡南覺範毘沙門堂門跡門主を導師に、各教区代表者らが出仕して、すべての戦没者、戦争犠牲者に対する慰霊法要が行われた。また午後1時からは、木ノ下寂俊天台宗宗務総長が導師となって根本中堂で世界平和祈願法要が厳修された。同日午後3時からは例年どおり、各教宗派代表らが参加して、祈りの式典が行われた。

戦後70年全戦没犠牲者慰霊法要 於 延暦寺阿弥陀堂

▲ 慰霊法要の様子

「比叡山宗教サミット28周年『世界平和祈りの集い』」開催にあわせて、戦争で犠牲となった人々の御霊を、慰霊する法要が行われた。

小川晃豊天台宗宗議会議長は法要の中で「今日の平和は戦没者の犠牲の上にある。大陸や、太平洋の島々に散って行かれた数限りない戦没者のことを思う時、溢れる涙を禁じ得ない」と追悼文を奉上した。

世界平和祈願法要 於:延暦寺根本中堂

▲ 祈願法要の様子

昨年度に引き続き、平和の祈り式典に先立ち、木ノ下寂俊宗務総長を導師として根本中堂内陣にて「天台宗平和祈願法要」が各教区より1名の出仕のもと厳修された。

この平和祈願法要は、昨今天台宗の宗徒として平和実現のため何か行うべきではないかとの気運が昨今高まって来たことを受け、昨年木ノ下内局が各教区へ呼びかけ賛同を得て実現したものである。

根本中堂内陣という特別な会場で平和への祈りが捧げられた。

平和の祈り式典 於:延暦寺一隅会館前「祈りの広場」

▲ 平和祈願文を読み上げられる天台座主猊下

午後3時からの祈りの式典開会にあたり、木ノ下宗務総長は「戦後、一度も他国を武力で侵略することのなかった日本の姿勢を、宗教者として、またひとりの日本人としてこれからも堅持すべきである」と述べた。

続いて、半田孝淳天台座主猊下が「本年は終戦から70年という節目の年に当たる。戦争で亡くなられたすべての御霊の安らかならんことを。そして、平和の尊さを世界に訴えるサミットでありますように。また紛争やテロが一日も早く終熄することを念願する」との平和祈願文を神仏に捧げた。

このあと半田天台座主猊下を中心にして、各教宗派の代表および今回のサミットに世界各国から参加した海外招待者5名が特設壇上に集い、それぞれの宗教礼拝にしたがって平和を祈願した。特に、今回はアブドッラー国王宗教・文化間対話のための国際センター(KAICIID)事務総長ファイサル・ビン・アブドルラハマーン・ビン・ムアンマル閣下の参加が注目を集めた。

平和を祈る 2015夏 −過激主義に抗して連帯を呼びかけ−

▲ 平和へのメッセージを読み上げるムアンマルKAICIID事務総長

これまで、比叡山宗教サミットに参加した宗教者たちは、宗教間対話によってもたらされる相互理解による世界平和達成に大きな望みをかけてきた。

しかし、今年は、宗教過激主義者たちによって、日本人の人質が残虐な方法で殺害されるという事態で始まった。「対話が通用しない勢力に対して、どうするのか」という新たな課題が突きつけられたのである。

今年のサミットでは、そうした宗教過激主義者たちに対して、名指しは避けたが激しい言葉で非難した。

アブドッラー国王宗教・文化間対話のための国際センター(KAICIID)事務総長ファイサル・ビン・アブドルラハマーン・ビン・ムアンマル閣下はメッセージで「宗教的過激主義とテロリズムの挑戦に注目している。この様な罪を犯す者達は、しばしば自分達の行動を宗教の名の下に正当化しようとしている。彼らは偏見や少数派に対する差別、残忍な暴力を奨励している。彼らによって地域社会は破壊され、恐ろしい程の命が失われている。この宗教曲解の結果として、現在、異なった信仰や文化を持つ人々の間に憎しみや不信感が定着してしまった」と述べ参加者に「過激主義を抑制し宗教の名の下の暴力を防止することは、非常に大きく困難な仕事である。自分達だけでその作業を成功に導くことが出来る団体は一つもない。私達全てが直面している非常な脅威に対し、それぞれの智慧を持ち寄り、共に立ち向かって行くことを切に願う」と連帯を呼びかけた。

教皇庁諸宗教対話評議会議長ジャン=ルイ・トーラン枢機卿は「今日の世界は荒れ狂う嵐の時にあり、宗教が暴力を扇動していると非難されている。世界中の危機は、日毎に新しくより深刻で危険な内容として現れてきている。他人の人間性を抹殺する行為は、他人を自分とは別の人だとみることが出来ない結果であり、狂暴な争いの多くは、他人に対する道徳的見方の崩壊があるように見受けられる。そのため、人の命が失われたことを悲しむかわりに、他人の苦しみや死を悦ぶ傾向があるように思われる」と述べ、フランシスコ教皇が「共通の善のためなら、諸々の民族グループや宗教間の協力は可能である」と語った言葉を紹介した。(教皇庁駐日特命全権大使チェノットウ大司教代読)

更にパン・ワナメティー世界仏教徒連盟会長も「仏教の教えの中で最も根本的な道徳的戒律は、命の尊重であり、命を奪う事に対する禁止令にある」と明確に指摘した。そして「不殺生とは、人間のみならず衆生全てに対するもの」で、『法句経』の第五章で「憎しみは憎しみで鎮めることはできない。憎しみは愛(非敵意)によってのみ、いやすことができるのだ。これが永劫の法則である」との文言を紹介した。そして「殺傷をせず全ての衆生を愛おしむのが仏教の基柱戒律である」ことを述べた。(倉澤豊明全日本仏教会事務総長代読)

これらすべては、世界に吹き荒れている宗教過激主義テロリズム(戦争であるとの指摘もある)に対しての激しい否定にほかならない。

▲ 交流を深める海外招待者

またパン・ワナメティー世界仏教徒連盟会長は加えて「国家や人々が、物質的所有物をやたらと欲しがるという自分本位な欲望を減らし、人種的高慢な態度を捨て去り、世俗的力のための狂った行いを撲滅するよう動き出さない限り、世界に平和は訪れない」と大国の武力主義も批判した。

木ノ下宗務総長も、開会挨拶で「世界では、残虐で狂信的なテロリストたちが跋扈(ばっこ)している。今やその勢力に忠誠を誓う団体が国境を越えて存在しつつある。彼らは『一部の過激主義者』というには強大に過ぎる様相を呈している。武力によって国境線の変更を図ろうとする新帝国主義が世界平和に大きな不安と障害となっている」と危機感をにじませた。

そして「このような困難なときにあっても、私ども宗教者は対話による相互理解によって世界平和を希求していくべきである。すべての国家が武力による殲滅戦を主張するとしても、我々は対話による道を探るべきであろう。そしてそのことが、来るべき比叡山宗教サミット30周年へと我々を導く基本となる」との考えを示した。

子ども達からのメッセージ「平和への思い」

次代を担う2人の子ども達より平和への思いを綴った作文が朗読された。

子ども達からのメッセージ「平和への思い」(1) 神社本庁関係(石清水八幡宮)所属 山田大貴(高校2年)

▲ 神社本庁所属
  山田 大貴(やまだ だいき)さん(高校2年)

『平和のバトンを私から』

私はこれまで、平和についてあまり深く考えたことはありませんでした。というのも、普段の生活を振り返ってみると、日本は世界的にみても安全かつ平和な国で、わたしたちの周りを見渡してみても戦争や紛争など生命の危機に脅かされることはありません。世界各地で起こっているテロなどもテレビに映る世界であり、恐ろしいな、怖いなという気持ちはあっても何か現実と遠い感じがします。

そこで、この機会に改めて「平和」について考えてみることにしました。先ほど私は、日本は平和な国と書きました。しかし、日本は本当に平和な国なのでしょうか。そして「平和」とは一体何なのでしょうか。

まず私は自分の持っている辞書で「平和」という言葉について調べてみました。すると、一番目の意味には「戦争もなく世の中が穏やかであることやさま」、二番目の意味には「争いや心配事もなく穏やかであることやさま」と書いてありました。一番目はその意味の通り、戦争や紛争などの争いごとがない状態、言い換えれば生命の安全が保障されていることを意味しています。そして二番目はどちらかと言うと、個人や家族などでの争いごとや心配事がない状態、つまり心が平穏な状態を意味しているように思います。

私たちが普段授業で考えたり、テレビやインターネットで見たりする「平和」とは、戦争がない世界、争いごとがない世界のことだと思います。しかし一方で現代では核家族化が進み、両親が共働きの家庭も多く、一人で食事をすることが増えたり、LINEやメールなどで友達や家族と連絡を取ったりすることが増えるなど、人と人が直接触れ合う機会が減ってきています。中には、スマートフォンやインターネットなどを通じたコミュニケーションが主流になったことで、人の心の痛みに鈍感になっている人もいます。その結果、ネットでの嫌がらせやいじめをはじめ、人の心が欠けたような問題や犯罪を目にするようになりました。それ以外にも、振り込め詐欺のような事件から無差別通り魔事件まで、さまざまな犯罪が発生しています。このような状況で日本は本当に「平和」なのでしょうか。

私は、「平和」とは戦争やテロなどの争いごとがないだけではなく、一人ひとりの心も穏やかで豊かな状態であるべきだと思います。では、平和な世界に少しでも近づくため、高校生の私に何ができるでしょうか。

東日本大震災では、他人を思いやり行動すると言う、日本人としては当たり前の、しかしとても大切な気持ちを改めて知ることができました。私たちはあれだけの悲惨な震災に遭いながらも、お互いに助け合って苦しい状況を乗り越えてきました。そしてそのことが世界から奇跡だと称賛されました。その時、私たち日本人が当たり前だと思っていたことが、外国から見ると当たり前ではなく、むしろ珍しいことだと気付いた人も多かったのではないでしょうか。

他人への思いやりは、震災などの大災害の時だけではありません。電車やバスでお年寄りに席を譲る、駅や道で困っている人に声をかけて手助けをする。私たち日本人は、このような小さな思いやりの積み重ねで出来ている社会に暮らしています。この気持ちを他の人たちにも広げていくことで、世界は少しでも平和になるのではないでしょうか。平和とは戦争がないことはもちろんのことですが、私たち一人ひとりが穏やかな温かい心を持ち、お互いを認め合い、足りないところを補い合うという気持ちを持たなければ、本当の意味での平和ではないと思います。

その時に宗教は重要な役割を持つのではないかと思います。私はあまり宗教に詳しくありませんが、世界中の宗教はどれも人々の幸せと平和を願っているはずです。神社神道にはいわゆる教義や経典がないので具体的な行動については示されていませんが、父が神職として勤めている石清水八幡宮では毎日、人々の豊かで平和な暮らしが祈られていると聞いています。その祈りには、他の人を大切にする気持ちも含まれているに違いありません。ニュースでは宗教を理由にしたテロや紛争が数多く報道されていますが、そのような人々は宗教の意味を取り違えているのでしょう。

また、今年は太平洋戦争として知られている大東亜戦争が終結してから70年です。それは私たち若い世代が改めて平和について考える重要な機会です。戦争で尊い命を落とされた方々も未来の子どもたちのためにより良い世界をつくりたいと願っていたはずです。そして今の日本の社会はこれらの人々がいたからこそ実現したものです。そのことを私は決して忘れません。

世界平和に向けて私は直接大きな影響を与えることはできないかもしれません。しかし、平和な世の中をつくるため、まずは自分のできるところから一歩一歩進めて行き、平和のバトンを繋げていきたいと思います。思いは伝わるはずです。このバトンがいつか世界中に伝わり、世界に平和が訪れることを願っています。

ありがとうございました。


子ども達からのメッセージ「平和への思い」(2) 天台青少年比叡山の集い 研修生代表 一宮 七海さん

▲ 天台青少年比叡山の集い 研修生代表
  一宮 七海(いちのみや ななみ)さん

『平和への思い』 

今、私は、学校で勉強をし、運動をし、友達とたくさん話をし、笑いあえます。家に帰れば、家族で楽しくごはんを食べることができます。自分の好きなことを自由にでき、楽しく、安全に過ごすことができます。こんな生活を振り返った時、私自身は「平和」な環境で、幸せに暮らせているのだと思います。

しかし、ニュースなどで「殺人」「いじめ」「虐待」などの事件がたくさん起こっていることを見聞きしたとき、日本のすべての人が本当の意味で「平和」に暮らせているとはいえないと思います。

私には夢があります。将来は、介護士や保育士など人に関わる仕事がしたいで思っています。そのために、今後は進学をし、勉強をし、その後、自分にあった進路を、たくさんある可能性の中から選択したいと思っています。

そんな将来の夢を持てること、色々な選択をできることも、「平和」というものの一つの形なんだと思います。

しかし、学校の授業のなかで、世界中で今現在起こっている紛争や、テロなどについて調べてみると、沢山の国々がとてもひどい状態にあり、当たり前に将来を夢見ることのできない私と同じ年代の子ども達が世界にはたくさんいることを知りました。

日本もかつて、想像を絶する悲惨な戦争を経験しました。当時の日本の人々も、今現在戦争、紛争の真っ直中に生きている人々と同じように、決して「平和」を感じることが出来なかったと思います。

今年は、第二次世界大戦が終戦し70年の年となります。また、広島・長崎に原子爆弾が投下されて70年がたった年でもあります。

私が通っている長崎県対馬市の中学校では、8月9日の登校日に、平和集会があり、そこで各学年調べた内容を発表しています。私はクラスで原爆の事について調べてまとめる機会がありました。

1945年に終戦をむかえた第二次世界大戦では、たくさんの人が亡くなりました。また、8月6日、8月9日に、広島・長崎に原子爆弾が落とされ、たった2発の原爆で22万人もの人々がいっきに亡くなりました。被爆された方の中にも、いまだに苦しんでいる人がいます。

私はもう二度と戦争はしたくありません。まだ、世界には戦争、紛争をしている地域や国があります。世界中から戦争による死者がでないように、「平和」な世界を実現するために、私たちは「今自分にできること」をしっかり考えながら、生活していきたいと思いました。

「今自分にできること」。それは、自分の命、周りの人の命を大切にすること。一人一人が周りを考えて行動すること。過去の歴史についてしっかり勉強すること。何事も、無責任に他人事だと考えるのではなく、自分の事として真剣に考えることだと私は考えています。みんなが平和の為に「今自分にできること」を真剣に考えることが大切だと思います。

最後に皆さまに質問をさせていただきたいと思います。

もし、隣に座っている方とケンカをしたとしたら、どのように解決されますか?私は、友達とケンカしたときは、その友達を避けることなく、大変でもじっくり話し合い、他の友達や親、いとこなど身近な人に相談しながら、自分だけではなく、他の人ともいっしょに解決したいと思います。

「平和のために今自分にできること」や「身近な争いの解決方法」は、人それぞれだと思います。しかし、その事を真剣に考え、導きだした答えが、実は、今私たちが生きている場所を、そして、世界を、本当の意味で「平和」にするための一番の方法なのだと私は思います。

 

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