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サミットの歴史

比叡山宗教サミット19周年− 概要

(広報天台宗 第31号)

比叡山宗教サミット19周年『世界平和祈りの集い』

 比叡山宗教サミット19周年「世界平和祈りの集い」が、8月4日に比叡山延暦寺一隅を照らす会館前広場において開催された。今年世界平和を祈るために集った参加者は約600名。猛暑の中、明年に迎える第20回の記念サミットに向けて「対話」と「祈り」の継続を誓い合う集いとなった。
 祈りの集いは、濱中光礼宗務総長の開式の辞で始められ、比叡山幼稚園園児や天台青少年比叡山の集いで登叡し、同祈りの集いにも参加した青少年達から献花が行われた。
 渡邊恵進天台座主猊下は「冷戦の終結によって、平和実現へのほのかな希望を感じた時もあったが、今日まで戦火のとぎれることはなく、嘆く人々は後を絶たなかった。中東は憎しみと報復が繰り返されている。仏教には『怨みに報いるに怨みをもってせば怨みは絶えず。怨みに徳をもってせば怨み終いに止む』という教えがある。憎しみの鎖を断ち切り、当事者が相互理解をするためには、この教えに基づくより他はない。この考えを広く理解していただくことが平和の実現に繋がる。心より御仏が我らの祈りを納受されたまい、戦争に苦しむ人すべてに平和がもたらされんことを祈る」と平和祈願文を読み上げた。
 このあと各宗教宗派の代表者が登壇し、比叡山で打ち鳴らされた平和の鐘に合わせて世界の平和を祈った。
 そして第1回の宗教サミットで発表された「比叡山メッセージ」が朗読されたあと半田孝淳曼殊院門跡門主が「平和を語る」と題して、アッシジの精神を引き継ぎ、19回にわたる比叡山宗教サミットに貢献してきた自らの歴史を振り返り、明年の20周年に向けての期待を表明した。
 続いて青少年たちが「世界の恵まれない子ども達のために」と出し合った寄金が小堀光詮三千院門跡門主からユニセフへ寄託された。
 またバチカンや中国仏教教会から寄せられたメッセージが披露されたあと、平和の合い言葉が唱和され、清原恵光延暦寺執行が閉会の辞を述べて終了した。

比叡山宗教サミット19周年 世界平和祈りの集い「平和を語る」
天台宗国際平和宗教協力協会顧問 曼殊院門跡門主 半田孝淳

 省みまするに1981(昭和58)年に今は亡きローマ教皇ヨハネ・パウロ二世聖下が来日され、わが国の各宗教者の代表を前にして「皆さんの偉大な教師である最澄の言葉を用いるならば『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』」との宗祖大師の山家学生式のお言葉を引かれ、宗教協力にはこのご精神が最も大切であると述べられました。
 このメッセージを、直接その席で聞かれた天台座主山田恵諦猊下は心から感動され、この大師さまの心、この尊い御主張を活かして世界の平和に寄与することが、ご自分に課せられた使命であると決意され、胸中に「比叡山宗教サミット」の開催を発案されたと伺っております。まさに日本宗教史上、画期的な集いが始められる端緒となったわけであります。
 1986年には、ローマ教皇の提唱により世界各国の宗教指導者が、イタリアのアッシジに会し「平和の祈り」を捧げる会が催されました。
 比叡山宗教サミット開催にあたっては、日本宗教界の総力が結集され「日本宗教代表者会議」が組織されました。
 そして、ローマ教皇聖下のご出席を仰ぐために使節団が派遣されることになり、不肖私もその一員として38名の方々とローマに向かったのであります。同時に、比叡山宗教サミット開会の折に比叡山上で「平和の鐘」を鳴らしますので、世界の宗教殿堂でも、共に平和の鐘を鳴らして頂きたいという御願いもいたしました。
 先ずヴァチカンのサンピエトロ広場で教皇聖下に謁見し、山田猊下からの親書をお渡し申し上げ、アリンゼ諸宗教対話省長官には「平和の鐘」について快諾を頂きました。続いて英国に渡り、カンタベリー大主教にお目にかかり、同様に平和の鐘のご依頼を申し上げたところ早速ご賛同下されたのでした。世界の宗教代表者がいかに「平和の実現」を希求しているかを、私は身をもって体験させられたのであります。
 第4回ポーランドのワルシャワで開かれた会議で故山田猊下がすばらしい講演をされた直後、猊下の車椅子ごとキリスト教の聖エジディオの方々がもちあげて「東洋の聖者」「東洋の聖者」と口々に唱えながら道路を横断された光景は今尚記憶に深く残って居ります。
 第6回の平和集会がマルタ島に開かれた時イタリア首相アンドレオッティ閣下が「平和は戦争によって失われるものではなく、対話がくずれる時に失われる」と強調なさいました。各国の宗教者の方々と一堂に会して、世界平和実現のために意見をかわしてゆく過程で、私は対話の重要性を実感するにいたりました。更にアンドレオッティ閣下は、「宗教はいま多く問題に遭遇しているが、この集いによる対話で、人と人との間にある不信の壁を乗り越える方法を見い出すであろう」と「集い」の意義を強く訴えられました。
 2001年の9・11テロを大変憂慮されたローマ教皇聖下は、翌年2002年に、180名の各国宗教指導者を招かれました。そしてヴァチカン宮殿からアッシジまでの200キロを、各国宗教指導者と共に自ら列車に乗り込んで、宗教協力の実際を強く訴えられました。その時、私は世界平和の成就は、ひとえに私たちの協力にかかっているのだ、そのために私たちが集い、対話することが最良の手段なのだと確信いたしました。
 昨年の第19回の集いに、私は前西郊総長らと共に渡邊座主猊下の代理として参加いたしました。西ではアウシュビッツについて、また東では広島、長崎への原爆投下60年にあたるので、私が指名されて、ファイナルセレモニーで提言するという、日本人で初の名誉をいただくことになりました。
 会場は世界文化遺産のフランス・リヨンのローマ屋外劇場であり、私の提言は、原爆がいかなる惨状を日本にもたらしたか、また今尚、原爆後遺症に悩んでいる人々の現状について世界中に理解と支援を訴えました。更に私が朗読した被爆詩人峠三吉氏の「ちちをかえせ ははをかえせ・・・」という詩は、聴衆の心に深い感動を与えたようでした。
 そして我が国は非核三原則による立場を堅持し、核廃絶を強く求めていること、我々はあらゆる戦争に反対しなくてはならないことを、世界宗教者に向かって訴え、戦争反対、核廃絶の連帯を呼びかけました。
 さて「比叡山宗教サミット」では、これまで諸先生から素晴らしいお言葉、またご提言がなされました。
 ある先生は「生命の尊厳、尊敬と信頼、寛容と赦し等々、人類が希望に輝く新しい世紀を迎えるために人類普遍の倫理の確立が、現代の宗教者に課せられた最大の使命だ」として「『生命の尊厳』を実現し得るものは、平和の確立にあるとある」と提言されました。
 また「人類における平和な世界とは、世界中の人々が互いに助けあい、武力をもって争わず、物心両面が豊かで不平不満を抱かず、生き甲斐を持った生活がなされている社会である」と述べられ、その「人々の行くべき方向を示すのが宗教者の役割である」と訴えておられます。
 世界宗教者会議及びサミットに参加されたことで「どんな宗教も、人間が人間として生きていく上における共通の持つべき教えがあることを知った。それは、無辜の人を殺さず、人を生かし、人のために生きることが大切であるということである。宗教サミットによる祈りや、個々の祈りがなければ、世界はもっと悲惨で深刻な状況になって行くでしょう」と申された方もあります。
 これからの「比叡山宗教サミット」につきまして私は、伝教大師の「一身弁じ難く衆力成じ易し」のお言葉をお借りし、皆様のより一層のご協力を切望し、「継続は力なり」の実を示させて頂きたいと希望いたすものであります。私の16回に亘る海外における宗教サミットの感想を述べさせて頂きました。
 ご静聴心より感謝いたします。

(抜粋)


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