サミット 開催趣旨 プログラムのご案内 サミットの歴史 比叡山宗教サミット
 

サミットの歴史

比叡山宗教サミット16周年− 概要

(広報天台宗 第21号)

比叡山宗教サミット16周年『世界平和祈りの集い』

 昭和62年に開催された「比叡山宗教サミット」から、早くも16周年を迎えた8月4日。
 この16年の間、世界の宗教者は絶え間なく祈り、話し合いを続けてきた。
 今年も比叡山上に、また、全国の寺院に平和を願う鐘の音色が響いた。そして宗教者たちの祈りは捧げられた。「恒久平和実現」という、ただ一つの想いのために。
 しかし、ここ数年来、各地で新たな脅威が世界に暗雲を立ちこめさせている。
 争いのない、人類が共に喜び合えるという、真の平和の時代は何時訪れるのだろうか。その答えを得るためにも、我々は祈り続けなければならない。

 例年にない冷夏に見舞われた今年の夏。各地で水害の被害が続き、さらに追い打ちをかけるように東北の地震と、暗い話題が日本中を覆っていた。目を海外に転じてみると、中近東やアフリカの紛争、北朝鮮問題など、解決の糸口さえ見えない問題が山積している。 「イスラムとの対話」という趣旨で開催された昨年の15周年記念行事以後、絶えることのない紛争が、今なお世界の各地で続いている。
 このような背景の中で「比叡山宗教サミット16周年『世界平和祈りの集い』」が開催された。
 今回の祈りの集いには、国内の各教宗派の代表をはじめ、宗内寺院住職、役職員、「天台青少年比叡山の集い」に参加の青少年など、約1,000名が出席。特に今年は、海外からイスラエル・ラオ師(前イスラエル首長ラビ・ユダヤ教)、シェイク・タラル・シデル師(パレスチナ・アラファト議長宗教顧問・イスラム教)、田雲徳師(大韓仏教天台宗総務院長)も参加し、共に平和のために祈りを捧げた。
 式典は、午後3時に西郊良光天台宗宗務総長の挨拶で開会。続いて会場を埋め尽くす参加者の中を「天台青少年比叡山の集い」の青少年が世界各国の国旗を持ちながら入場。壇上中央に置かれた地球を表すモニュメントの左右に、国旗をそれぞれ自由に並べていった。これは、世界の国々には序列も区別もないことを意図したもの。舞台中央の地球のモニュメントに向かい、渡邊惠進天台座主猊下を導師に仰ぎ、延暦寺一山住職出仕のもと法楽が修され、続いて座主猊下による「平和祈願文」が奉読された。この中で座主猊下は「世界の平和と全人類の幸福を願う私たち宗教者は、地上の60億の全ての人たちが、お互いに助け合い喜びあえる日が到来するまで、宗教の教義の垣根を越えて、祈り、力を合わせて行動をおこさなければならない」と述べ、そのためにも神仏の加護を念じつつ、忘己利他の精神の発揚と少欲知足の生活信条を実践する必要性を説かれた。
 午後3時30分、教派神道連合会、全日本仏教会、日本キリスト教連合会、神社本庁、新日本宗教団体連合会、世界宗教者平和会議日本委員会、世界連邦日本宗教委員会等の代表者や海外からの来賓など、20名が登壇し、比叡山をはじめ、日本中の「平和の鐘」の音が響く中、参加者全員が黙祷を捧げた。
 続いて、青少年リーダー3名による「比叡山メッセージ」の朗読、さらに日本ムスリム協会名誉会長・樋口美作氏による「平和を語る」と題した記念講演があった。
 式典はその後、ヴァチカン諸宗教対話評議会議長マイケル・L・フィッツジラルド大司教からのメッセージ披露、青少年代表による「平和の合い言葉」唱和などが行われ、森定慈芳延暦寺執行の閉会の辞をもって幕を閉じた。

比叡山「世界平和祈りの集い」
(宗)日本ムスリム協会 名誉会長 理事 樋口美作


慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において、
 16年前、ここ比叡山において日本の宗教代表者の皆様が総力を結集され、日本で初めて世界の諸宗教指導者を集め「比叡山宗教サミット」を開催し、世界平和実現への真摯な祈のりを捧げました。そして16年経った今もその祈りの灯は、多くの宗教指導者の熱意によって消えることなく綿々と継承されており、これからも世界平和の道標として永久に受け継がれて行く事でありましょう。この様な諸宗教の先達者が残された壮大な舞台で、今日平和について語る機会を与えられました事は私にとって身に余る光栄であります。
 平和、すなわち紛争や戦争の無い穏やかな世界の実現は、人類共通の願いである筈であります。しかしながら私達が生きる地球上には、今なお多くの地域紛争を抱えております。
 何故なのか、「紛争も戦争も人間がする事、人の心によって起こるものです」とは白柳枢機卿のお言葉であります。
 平和か戦争かの分かれ道は、その立場に立つ人の心の持ち方によって運命付けられると理解されるのであります。それ故に、私達は今日まで共に祈り、それぞれの立場から対話を重ね、平和実現の為各界の指導者に訴え続けて参いりました。
 しかしながら、止むことの無い地球上の悲惨な事件の勃発は、ある時にはこの努力が果たして報われるのだろうか、と疑問と挫折感さえ私達に与えます。
 そんな時、私はこう考えたいのです。私達が共に祈り、そして個々の祈りがあればこそ今の世界があるのだと。もしこの宗教サミットと祈りが無かったなら、世界はもっと悲惨で深刻な状況になって行くのだと。
 クルアーンの教えの中に、創造主、アッラーは万物を創造し、神の代理人として人間をこの地上に遣わされたとあります。すなわち私達人間には、この地球上の環境を保全し、全ての人類と万物が共存する為にその責任を果たす義務があるという事であります。
 私達が神に感謝し、祈りの心を忘れない限り神は私達に叡智と導きをお与え下さるものと信じます。
 私達ムスリムの共通の願いは、来世において楽園が約束される事でありこれが究極の平和であります。その為にこの現世をいかに生きるかが大きな課題であります。クルアーンの教えに基づくアッラーと自分との直接的な関係の中で、また他人と自分との社会的な関係の中で、アッラーへの絶対的帰依と、人類の社会や文化の多様性を容認しお互いに尊重し合う事は、平和的共存を促す基本的な教えであり正義であると信じます。
 したがって、今日とかく論議をかもしているグローバライゼーションの問題にしても、もしそれが多様性を否定し、単に一国による一極集中的考えを主張するものであるなら、容認し難いものと成りましょう。
 今や両極の過激的な人達の主張する神の名による独り善がりの正義によって、平和の大義が侵されつつあると懸念されているのであります。
 半世紀の間、未解決のまま放置されている中東紛争は、パレスチナの人達が起こした紛争ではありませんでした。私が中東諸国に在住していた時、よく耳にした彼等の言葉は「俺達は何も悪い事はしていない、どの宗教も民族も皆仲良く暮らしていたんだ」と言う事でありました。
 今やその紛争の原因が、かつての欧米大国の独善的な行動によるものであった事は、歴史的事実であります。
 幸いにも現在、ご承知のように僅かながらも和平への光が見えております。願わくはこの紛争の当事者たるかつての大国は、責任を持ってこの紛争を平和的手段によって解決すべく誠心誠意努力して欲しいものと願うものであります。
 天台宗開祖のお言葉に「宝とは道心ある人」と言う言葉があると聞いております。
道心とは、社会の平和、人類の幸福のために社会の一隅に(どこにでも)あって尽力すること、であると説かれております。
 実は、私はこの言葉をカトリック新聞の中で知ったのでありますが、正にイスラームの言う「ジハード」すなわち、刻苦勉励すると言う本義に共通する教えであると思います。
 私は本日この機会を与えられました事によって、道心ある皆様と共にムスリムの一人として平和のためのジハードに努力して行きたいと、思いを新たにした次第であります。
 終わりに、この「比叡山宗教サミット」の開催にご尽力給わりました全ての関係者に深甚なる敬意と感謝の意を表したいと思います。
 ご清聴ありがとうございました。
 皆様に神のご加護のあらんことを。

平成15年8月4日

教皇庁諸宗教対話評議会 2003年7月21日
比叡山宗教サミット(世界平和祈祷集会)16周年にあたってのメッセージ
諸宗教対話評議会議長 マイケル・L・フィッツジェラルド大司教

 毎年8月4日に比叡山で行われる平和祈祷集会に参加された方がたに、このメッセージをお送りできることを大変喜ばしく思います。皆様が今年集まられたことは、ますます重要な意味を帯びております。非常に多くの善意の人びとが、現在、世界に平和と和解を築くために努力しているからです。この努力は、とりわけ最近のイラク戦争後の中東において行われています。
 数年前、人類は平和と繁栄を心から期待しながら、新しい千年期へと歩み出しました。しかしながら、まさにこの数年の間に、わたしたちはほとんど毎日のように、生々しい暴力と流血の現場を目にしてきました。この世界に平和が訪れることは実際には不可能なのでしょうか。多くの人びとの平和への望みは空しい夢として潰れてしまうのでしょうか。
 40年前、福者教皇ヨハネ二十三世は、善意あるすべての人びとに向けて一通の重要な手紙を書きました。教皇はこの手紙を『地上の平和』(Pacem in Terris)と名付けました。この手紙の中で教皇は、平和は4本の柱で支えられる建物のようなものだと述べています。その4本の柱とは、真理、正義、愛、そして自由です。諸民族、諸国家間の関係が良好かつ平和的なものとなるには、これらのうちのどれも欠くことができないのです。
 第1の柱は真理です。真理の中には、人間が自分自身を支配する主人ではなく、神のみ旨を果たすように招かれた存在だということを認めることが含まれています。神こそすべてのものの造り主であり、絶対的な意味での真理なのです。人間関係において、真理(真実)は誠実さという意味をもっています。誠実さは、互いに信頼し合い、平和をもたらすような実りある対話を行ううえで、欠くことのできないものです。
 しかしながら、平和は正義なしに存在できません。正義は、人間一人ひとりの尊厳と権利を尊重することだからです。個人においてだけでなく、国際関係においても正義が欠けていることが、この世界の多くの不安の原因であり、暴力を生じさせる元になっています。
 とはいえ、正義は愛によって導かれなければなりません。愛とは、わたしたちが皆、人類という一つの家族に属していることを認めることを可能にする力です。それゆえ愛は、同じ仲間である人類を、自分の兄弟姉妹と考えることができる力です。愛は、喜びも悲しみも、ともに分かち合うことを可能にします。愛によって、人は弱さを認めます。それゆえ愛はゆるしを可能にします。このようなゆるしは、平和の回復になくてはならないものです。ゆるしによってこそ、新たな基盤の上に立ち、関係を修復し、再出発することが可能になるからです。
 これら三つの事柄の前提になるのは、自由です。自由は、人間に備わった不可欠な特質だからです。自由は責任を意味します。そして、わたしたち一人ひとりは、神の前で、社会に貢献する責任を担っているのです。
 このよき日にあたり、わたしは皆様がたが、福者教皇ヨハネ二十三世と同じように、地上の平和について考えてくださればと思います。教皇ヨハネ二十三世は未来を恐れることがありませんでした。教皇の希望は、神と人への深い信頼に支えられていました。どうか皆様も、このような未来への希望をもっていただければと願います。このような希望こそ、わたしたちの世界に真の平和が実現するよう、一緒に努力していくうえでの支えになるものです。
 わたしの思いを皆様にお伝えするこのような機会をお与えくださり感謝いたします。皆様とともにお祈りいたします。
 全能の神が皆様がた一人ひとりを、そして皆様すべてを祝福してくださいますように。


サミットの歴史トップページへ戻る

ページの先頭へ戻る

 
Copyright(c) 天台宗国際平和宗教協力協会 All Rights Reserved.
当ホームページ上にある文書・写真・イラスト・動画等の無断使用・複製を固くお断りいたします。