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サミットの歴史

比叡山宗教サミット12周年− 概要

(広報天台宗 第13号)

60億の民が共に喜びあえる日まで祈り続けよう
比叡山宗教サミット12周年 「世界平和祈りの集い」報告
天台宗国際平和宗教協力協会 平成11年8月4日

 「祈ることから平和は始まる」を合言葉に世界の諸宗教代表者が比叡山へ集い、自らが信仰する宗教の垣根を越えて恒久平和実現のため共に祈りを捧げて、早いもので今年で12年目を迎える。
 その間、われわれを取り巻く環境や、人々のものの考え方など、世界の状況は目まぐるしく変化を続け、様々な問題が発生している。それらの多くは、人々の心に潜む自己中心的な考え方や、尽きることのない欲望に起因していると言っても過言ではない。われわれ宗教者は、それらを解決すべく、真の平和実現の日まで更なる努力を続けなければならない。

サミット開催から今日までの道のり

 1981年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が初めて来日し、日本の宗教代表者と懇談の折、我が宗祖傳教大師最澄上人のお言葉を引用され、「宗教協力には、日本の偉大なる教師最澄の言葉を用いるならば、『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』の精神が最も大切である」と述べられた。また、1986年10月27日には、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の呼びかけで欧米、アジア、アフリカ、南米、ソ連、東欧からあらゆる宗教代表者約100名が、イタリアのアッシジへ集い、それぞれの宗教儀礼で「平和の祈り」を行った。このとき日本からも故山田惠諦天台座主猊下をはじめ、仏教、神道、諸宗教組織、キリスト教代表者9人が参加した。
 これらの交流をきっかけとし、山田座主猊下は、傳教大師の開かれた比叡山こそ、世界の宗教者が宗教の垣根を越えて平和を祈るのにふさわしい場所であると考え「比叡山宗教サミット」開催を発願され、1987年8月4日、実現を見た。
 以後、毎年8月4日に「世界平和祈りの集い」が比叡山で開催され、1997年には世界各宗教からの代表を迎え世界平和の祈りと共に記念講演、特別フォーラム、特別演奏などによる10周年の記念式典が行われるなど、今日に至るまで平和実現に向け、祈りの発信地として天台宗が重要な役割を担い続けていることはいまさら言うまでもない。
 しかしながら、この間に起きた東西冷戦構造の崩壊は、つかの間の安堵感をもたらしたものの、逆に各地で民族間の紛争を助長し、インド、パキスタンに依るカシミール紛争、旧ユーゴのコソボ紛争、東ティモールの独立運動など、その背景には宗教間の対立があるとも言われている。
 また、先進国に限らず、発展途上国も含めた経済至上主義は、森林破壊やオゾン層破壊に代表される地球規模の環境問題を引き起こしている。一方、国内においては人心の荒廃による事件の多発など、これらはすべて、我々人間の自己中心的な考え方、心の在り方が生み出したと言っても過言ではない。21世紀を目前に控えたこの時期に、我われは、宗教・民族・国家の壁をお互いに認め合うことで超越し、弱者の立場に立ち、世界の恒久平和実現という大願に向かって絶え間無き努力を続けなければならない。

諸宗教代表者約600名が参加

 今年も8月4日比叡山延暦寺一隅を照らす会館前「祈りの広場」を会場に比叡山宗教サミット12周年「世界平和祈りの集い」が開催された。会場には人類愛善会会長廣瀬靜水師、天台真盛宗管長山本孝圓師、カトリック枢機卿白柳誠一師、神社本庁副総長加藤知衞師、世界連邦日本宗教委員会委員長池田瑩輝師などの来賓及び、宗内門跡大寺住職をはじめ、一般参加者など約600名が参加し、世界平和のため共に考え、共に祈りを捧げた。
 午後3時、天台宗国際平和宗教協力協会理事長である藤光賢天台宗宗務総長の挨拶で開会。藤総長は挨拶の中で、世界の現況に触れ、宗教者に託された使命の大きさに答えるため、更なる努力の必要性を述べた。
 つづいて、会場を埋め尽くす参列者の中を「天台宗青少年比叡山の集い」に参加の青少年180名が「世界平和への希望のメッセージ」をつけた風鈴を手に携え入場。それぞれが壇上の壁に願いを込めて吊り下げた。準備が整った壇上で渡邊惠進天台座主猊下を導師に延暦寺一山住職代表11名による法楽の後、渡邊座主猊下による「平和祈願文」の奉読がなされた。
 午後3時30分、教派神道連合会、全日本仏教会、日本キリスト教連合会、神社本庁、新日本宗教団体連合会、世界宗教者平和会議、世界連邦日本宗教委員会等の代表者13名が登壇し、比叡山大講堂をはじめ、日本中の「平和の鐘」の音が響き渡る中、参加者全員が心一つに黙祷を捧げた。黙祷につづいて、青少年リーダー代表3名による「比叡山メッセージ」の朗読。世界連邦日本宗教委員会白柳誠一委員長による講演。ヴァチカン諸宗教対話評議会フランシス・アリンゼ長官、中国佛教協会趙樸初会長のメッセージ披露。青少年代表による「平和の合言葉」朗読などが行われ、清原惠光比叡山延暦寺執行の平和への真摯な努力を積み重ねる決意と御礼の挨拶で式典は終了した。

平和を語る
世界宗教者平和会議日本委員会理事長 カトリック枢機卿 白柳誠一

 平和とは一体何を意味するのでしょうか。戦争がないことでしょうか。戦争がないこと、これは勿論、平和の大変重要な要素ですが、決してそれだけを指すものではありません。昔の人は平和とは「秩序の静けさ」であると定義しました。世界のすべての事柄が秩序正しく動くとき人が味わう心の平安であると言ったのです。「秩序の静けさ」と言うと、何か人が何もしないでも訪れてくれるものと言う響きがありますが、それは決して自然にやってくるものではなく、人間の大きなエネルギーを必要とする大変ダイナミック、動的な概念なのです。ほかの言葉で表現するなら、人間が「秩序の静けさ」である平和の喜びを得るためには、戦争がないだけではなく、すべての人間が人間に相応しく、人間らしく生きられる状態、即ち、物質的にも、環境的にも生存を維持し、精神的に差別されることなく、大切にされ、愛され、あらゆる束縛から解放され、自由のうちに、人間の精神的力を伸ばしていける状態をつくりだすということでしょう。
 そのような平和は果たして可能なのでしょうか。過去の歴史を省みるとき、私たちは悲観的になってしまいます。国と国、民族と民族の殺し合い、戦争、憎しみ合い、今世紀だけでも世界を巻き込むような世界的戦争が2回もあり、未だにその愚かさは繰り返されています。(ユーゴスラビア−コソボ、インド−パキスタン、北朝鮮をめぐる緊張など)。他方、経済的発展の陰に、環境破壊は急激に進み、その日の食べ物にも事欠き、教育を受けることもできず、初歩的医療の恩恵にもあずかれないで死んでいくたくさんの人がいます。世界は「秩序の静けさ」はおろか、多くの矛盾、混乱、不秩序に満ちています。人々はこの現状をみて、将来への希望、喜びを失い、悲観的になるのも当然かもしれません。
 でも、私はここで強調したいのです。声を大にして平和は可能であると叫びたいのです。なぜなら、平和を乱し、破壊しているのはほかならぬ人間であり、戦争をはじめとして、世界の秩序をみだしているのは、私たち人間だからです。人間が立ち返って、このような人間の仕業を止めるなら平和は可能なのです。
 従って、私たちは決して自信を失ってはならないし、悲観主義に陥ることなく、平和を訴えつづけ、平和のために働かなければならないのです。
 他方、人間は精神的にも、肉体的にも限界があるだけではなく、大変弱い存在です。自分の利益追求だけを求めて、他の人を蹴落としたり無視したりします。一時的喜び、楽しみを求めて将来への責任を忘れがちです。そこで私たちは、私たち人間の力を超越する方、私たちの信ずる神仏の助けを必要とし、それを絶えず祈り求めるのです。平和は私たちが創り出すものであるとともに、神仏の賜物なのです。
 第3の千年期という大きな節目をまえにして、私たち宗教者の使命、責任は誠に大きなものです。強く世界に訴えかけようではありませんか。
 1.平和は可能であること。
 2.そのためには心を変え、平和を求め、それに反する一切のことを避けることを。
 3.人間の弱さを謙虚に認め、神仏の助けを求めることを。
 国連は第3の千年期の始めである来年、2000年を「ジュビリー2000」と呼んで9月の国連総会には各国の首脳が集い、「21世紀中には、すべての人が人間らしく生きることができる世界にしよう」との決意を表明すると聞いています。これは人間の側からの荘厳な平和への決意といえるでしょう。この決意が実行され豊かな実りが齎されるようご一緒に神仏のご加護をお祈りいたしましょう。

註(ジュビリーとは、古代イスラエルにおいて50年ごとに行われたという開放の年、社会主義を目指した年のことをいう)。

比叡山宗教サミット12周年記念 平和の祈りの集いメッセージ
ローマ教皇庁諸宗教対話評議会長官 フランシス・アリンゼ枢機卿

 ローマ教皇庁諸宗教対話評議会を代表し、また、私個人の名において、天台宗の比叡山宗教サミット12周年平和の祈りの集いにメッセージをお送りできることをうれしく存じます。私自身はこの度の集いに参加することはできませんが、1999年8月4日、私の心は比叡山に集うすべての皆様と共にあります。平和を祈るために集うことは、それぞれの宗教を信仰する人々にとって、深く宗教的行為であるばかりでなく、暴力と戦争にとらわれた世界の中で、諸宗教の連帯と協力を示す共通の力強いシンボルとなるものです。平和は、人間の心の中で常に教化され、深まって行くものでなければなりません。そして祈りは、人間の心を表現する言葉として、平和を実現する最も効果的な方法の一つです。
 この短いメッセージを書いているこの時も、私は世界中で進行中の戦争による、罪のない犠牲者―ユーゴスラビア、カシミール、コンゴ共和国、北アイルランド、などの人々のことを思い起こさずにはいられません。神が私達人間をお導き下さるよう、ひたすら祈るばかりです。どうか、神のかけがえのない創造物である私達が、良い行いをして悪い行いを慎み、死よりも生を選択し、常に善によって悪を克服することで、神の平和の担い手となることができますように。
 カトリック教会では、いま西暦2000年の大聖年に向けて、全力で準備を進めております。大聖年は、私達が神の子と認識するイエス・キリストは「平和の王子」としてこの世に使わされました。それゆえに、過去の100年と過去の1000年の日々に、私達はこの平和の使命をどのように努めてきたのか、これからの千年紀を前にして、検証をする責任があると信じるからです。私達は、神がイエス・キリストにおいて完全な形でお示し下さった、その根源から究極まで、あらゆる平和へのさらなる忠誠を、神に誓います。新たな千年紀に、すべての人々が戦争と暴力を全面放棄し、平和と調和への道を踏み出すことができますように。
 神の祝福が皆様のうえにあらんことを祈ります。

1999年7月8日

メッセージ アッシジから比叡山へ
聖フランシスコ大聖堂 マキシミリアン・ミッチーOFM Conv.

 比叡山宗教サミット12周年の集いに、聖なる山比叡山に参集された宗教指導者の皆様、ならびに信者の皆様へ。
平和を!
 ここ、聖フランシスコ生誕の聖地アッシジから、フランシスコ大聖堂の修道士を代表して、メッセージをお送りできますことを光栄に存じます。
 今日皆様はこの聖なる地で、1987年8月3日−4日に開催された比叡山宗教サミット12周年を記念し、平和を祈るために集まっておられます。この「世界宗教者平和の祈り」が最初に行われたのは1986年10月27日アッシジにおいてでした。この集いはローマ教皇ヨハネ・パウロ二世聖下のご意向により実現したのです。
 本日比叡山におけるこの集会は、20世紀最後の日本の宗教指導者による祈りの集いであると同時に、21世紀への第一歩となる意義ある集いでもあります。
 今日皆様はこの聖なる山で、平和を語るためではなく、祈るために集まっておられます。異なる宗教伝統から、尊敬と愛と兄弟姉妹の絆とで結ばれた皆様はすでに平和の証人です。
 アッシジの「世界平和祈りの集い」は諸宗教対話における新たな可能性を広げる、大いなる希望となりました。その時から世界の宗教はお互いを尊敬と愛の目で見ることができるようになったのです。何世紀もの長い誤解と偏見、不寛容の壁が取り払われました。
 1987年比叡山で開催された祈りの集いは、アッシジの出会いから最初に結ばれた絆でした。そして日本の皆様はこの「アッシジ精神」を生き生きと広げて下さったのです。1987年、アッシジと京都に心の橋がかけられ、以来二つの聖なる都市は祈りと平和の象徴となりました。
 世界は平和を待ち望み、祈りを必要としています。また、世界にとって今ほど、宗教の精神性が必要な時はありません。祈りは、平和、正義、尊敬、万物の砦であり、世界の苦しみを解決に導く最も良い方法です。私達は心と精神の平和を得るために霊的な手段が必要です。「人はパンのみにて生きるものにあらず」と、我が主イエス・キリストは言われましたが、現代人は精神性への大きな渇望があります。
 比叡山にご参集の親愛なる兄弟姉妹の皆様、私達は思いと祈りのなかで皆様と共にいます。本日、私達アッシジの聖フランシスコ会兄弟姉妹は、皆様の平和、正義、和解への思いに心を合わせます。本日、新たな千年紀を前にアッシジの聖フランシスコの精神をもって、皆様と共に祈ります。「主よ、どうか私をあなたの平和の器とさせて下さい」。
 平和を祈ります!

1999年7月21日


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