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サミットの歴史

比叡山宗教サミット9周年− 概要

(比叡山時報 第498号 平成8年8月8日)

宗教サミット9周年記念 世界平和祈りの集い

 1987年の「比叡山宗教サミット」以来、“祈り”の精神を絶やすことなく、今年も8月4日、「宗教サミット9周年記念『世界平和祈りの集い』」を開催、不戦と平和を祈った。15日の終戦記念日など戦争関連諸行事が行われるこの8月に“祈り”が行われることを再認識し、来年の10周年につなげなければなるまい。
 1981年、ローマ教皇ヨハネス・パウロ二世が初めて来日した折、日本の宗教代表者に対し、我が宗祖伝教大師最澄上人のお言葉を引用され、「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」こそ宗教協力の原点であると話された。
 この挨拶を受けて、故山田惠諦天台座主は、伝教大師の開かれた比叡山こそ、世界の宗教者が宗教の垣根を越えて平和を祈るのにふさわしい場所であると考え「比叡山宗教サミット」を発願され、1987年8月4日、実現を見た。
 以後、毎年8月4日に「世界平和祈りの集い」を開催し続け、今日に至るまで平和実現に向け、祈りの発信地として比叡山が重要な役割を担い続けていることは、今さら言うまでもない。
 しかしながら、89年の東西ドイツのベルリンの壁崩壊以来、東西間における冷戦構造が急速に崩れ、国際的に安堵感が漂ったのもつかの間、一方では、血で血を洗う民族間の紛争が頻発、凄惨を極め、世界に大きな波紋を投げかけた。これらの紛争は子どもを含めた多くの犠牲者や難民を出し、現在も飢餓や難民問題は深刻化の一途をたどるばかりである。
 こうしたことから国連は、世界の多くの恵まれない子どもたちを窮状から救うため、本年を「国際貧困撲滅年」と定め、救援を呼びかけている。
 また、国際世論として核兵器廃絶が声高に叫ばれる昨今、昨年から数度にわたり、フランス・中国では核実験が繰り返されるなど、未だ冷戦構造の余韻を残しつつあり、世界で唯一の被爆国、日本人の感情を逆なでにするばかりでなく、地球環境を考慮に入れないエゴイズムに強い噴りの声が世界で上がっている。さらに開発の余波で水質汚染や森林過剰伐採、ひいてはオゾン層破壊という地球規模の環境破壊を招き、未来を危惧せざるを得ない情況にあるが、決して我われ日本人の責任も少なくはない。
 「飽くなき欲望の心」から「奉仕と感謝の心」への転換が望まれる今こそ、我われは今まで歩んできた道を省み、何をすべきかを模索し、来る21世紀を希望の時代にしなければならない。

世界の子どもを救って ユニセフに1,000万円を贈呈

 今年も8月4日、比叡山上で「比叡山宗教サミット9周年記念『世界平和祈りの集い』」が開催された。あいにくのにわか雨のため、急遽、予定していた根本中堂前広場から、今回初めて中堂内に会場を移し開催。園城寺長吏福家俊明師、天台真盛宗管長山本孝圓師、人類愛善会会長廣瀬靜水師、カトリック京都司教田中健一師、賀茂別雷神社宮司建内光儀師、善隣教教主力久隆積師、カトリック枢機卿白柳誠一師、世界宗教者委員会委員長池田瑩輝師などの来賓及び宗内門跡大寺住職をはじめ、一般参加者など約600名が参列し、全員が平和を学び、考え、祈りを捧げた。
 午後3時、杉谷義純天台宗務総長の挨拶で式典は開会。大津市の合唱音楽研究会会員54名の女性コーラスにより「平和の祈り」の歌が厳かに捧げられ感動を呼んだ。
 この曲は、アッシジゆかりの聖フランシスコが平和を渇望して書いた詩を、国立音大教授で作曲家の高田三郎氏が、翻訳・編曲したもので、アッシジ精神を継承したこの式典にふさわしい日伊合作の曲である。
 式典は、天台宗青少年比叡山研修会の研修生約200名による献燈・献華・献香、延暦一山僧12名出仕による法楽の後、梅山圓了天台座主猊下より「平和祈願文」が読み上げられた。
 そして午後3時30分、比叡山内と日本中の鐘の音が響き渡ると共に、参加者全員が心ひとつに黙祷を捧げ、塩見祐子KBS京都アナウンサーによる「比叡山メッセージ」が朗読されると、広く世界に向け祈りの心が放たれた。
 また、来賓挨拶に続いて「戦争や飢餓などで苦しむ世界の子どもを救って下さい」との思いを込め、青少年研修生たちから託された募金をはじめ、全国の檀信徒から寄せられた浄財1,000万円が一隅を照らす運動副会長の小堀光詮師から、(財)日本ユニセフ協会の東郷良尚専務理事に贈呈された。

現代文明の裏には犠牲が 山本氏、平和を語る

 講演では、子どもたちの未来のために地域開発を進める、(財)日本フォスター・プラン協会事務局長の山本浩氏より『平和を語る』の演題でお話しをいただき、物質万能主義が蔓延する現代文明の裏側には貧困・飢餓などが常に存在し、その主たる犠牲者は多くの子どもたちであることを切実に訴え、聞く者は、日ごろ何げなく生活していることが、いかに多くの犠牲の上に成り立っているか反省せざるを得なかった。
 また、ローマ教皇庁諸宗教対話評議会長官フランシス・アリンゼ枢機卿のメッセージを田中健一司教が代読されたほか、アッシジ聖フランシスコ大聖堂諸宗教対話部門代表のマキシミリアン・ミッチー神父、聖エジディオ共同体創立者のアンドレア・リッカルディ教授からそれぞれ、永遠の平和実現を渇望するメッセージが届けられた。
 式典は、青少年研修生代表による「平和の合い言葉」が唱和され、小林隆彰延暦寺執行の挨拶をもって閉会された。
 8月6日の広島、9日の長崎原爆投下、15日の終戦の日をはじめとする、戦争に関する行事を多く控えたこの時期に、この式典が開催された意義を踏まえ、我々は宗教・民族・国家の壁をお互いに認め合うことで超越し、世界の恒久平和という大願の実現に向かってたゆまない努力を続けなければならない。


(広報天台宗 第4号)

比叡山宗教サミット9周年
「世界平和祈りの集い」報告 ― 10周年を明年に控えて ―
天台宗国際平和宗教協力協会事務局

 去る8月4日、比叡山延暦寺根本中堂において、諸宗教の代表者を始めとする各界各層の人々が集い、比叡山宗教サミット9周年『世界平和祈りの集い』が開催された。本年が国連の定める「国際貧困撲滅年」であることに因み、世界の孤児たちの里親制度を推進している財団法人日本フォスタープラン協会の山本浩事事務局長が「平和を語る」と題して講演。紛争や飢餓によって犠牲となっている、世界の多くの恵まれない子供たちの窮状を報告した。今、私たちが貧困撲滅に向けて何を成すべきか、深く考えさせられると同時に、物質万能主義が蔓延する現代文明は、このような子供たちの犠牲の上に成り立っている側面があることに気づかされ、先進国の名の下、消費生活を享受している我々自身の日々の行いを深く懺悔させられた内容であった。さらに、当日この祈りの集いに参加した檀信徒の青少年たちは、世界の孤児たちと自分たちを対比し、心に深く受け止めるものがあった。
 また、午後3時30分には、恒例の平和を希求する鐘の音が比叡山全山を起点として日本中に鳴り響き、平和への切なる思いを更に深めたのであった。
 さて、1986年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世聖下の呼びかけにより行われた「世界平和祈りの集い」に参列、その精神に賛同した故山田惠諦天台座主の発願を契機とし、翌1987年に諸宗教指導者の一致協力の下に開催された「比叡山宗教サミット」も、明年10周年を迎えることとなり、再び当初と同じ規模で記念行事が執り行われることとなった。
 記念行事の運営は、日本宗教連盟協賛五団体(教派神道連合会・全日本仏教会・日本キリスト教連合会・神社本庁・新日本宗教団体連合会)、WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会、並びに世界連邦日本宗教委員会を主体とし、当時と同じく「日本宗教代表者会議」を組織して運営母体とし、仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教・ヒンズー教等々、世界の宗教指導者を招聘し、日本の宗教界の総力を結集して盛大裡に開催すべく、現在着々と準備が進められている。
 心の時代の到来が切望される昨今、私たち宗教者が歩んできた道に足らざる点はなかったか、反省すべき点は何か、真摯に総括し、来るべき21世紀に向けての活路を切り開くべく、地球規模の諸課題が協議される予定である。
 世界の現状は今なお混沌とし、閉塞的ですらある。民族問題・環境問題・人口問題・食料問題等々、解決が急がれる問題は枚挙に暇がない。このような深刻な状況を現出させた遠因は、結局の所、我々一人ひとりの心に潜む欲望であり、所有を主目的に構築してきた文明にあると思料される。生きるための欲望が限度を超えてしまった結果、我々自身に解決不可能と思わせる程の難問が突き付けられているのである。
 まさに今、我々は心を入れ替え、近代文明を超克し、愛や慈悲を前提とした睦み合いの文明に移行しなければならない。かつて、アメリカ・マサチューセッツの神学者ラインホールド・ニーバーは、次のような祈りの言葉を捧げた。「変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を、われらに与えたまえ」。
 「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」。1981年2月、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世聖下は、我が国をご訪問の際、日本の宗教指導者を前にしたご挨拶の中で、宗祖伝教大師のこの言葉を引用され、平和のための宗教協力は、この精神が最も大切であると述べられた。人類が輝ける未来を創造するため、我々宗教者が欲望の呪縛から自身を率先して解放すべく、心を変えなければならないのである。
 「一身弁じ難く、衆力成じ易し」と宗祖大師のお言葉にあるように、一人の力には自ずと限度があるが、全人類が渇望してやまない世界の恒久平和という共通の目的に向かい、民族、国家、そして宗教が互いのエゴを捨て去り、相互協力を果たすべく、10周年記念行事は行われるのである。


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