天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第250号

謹賀新年
令和六年元旦

互いを敬い尊重する社会へ    天台座主 大樹孝啓

 新年明けましておめでとうございます。皆様におかれましては、清々しく初春を迎えられたこと、お慶び申し上げます。

 旧年、比叡山では宗内随一の古儀法会である法華大会広学竪義が4年ぶりに行われました。そして新探題の堀澤祖門大僧正が、また新已講の清原惠光大僧正が、それぞれご出仕されて綿密なる論義法要を勤められたことは、御同慶に堪えない次第でございます。

 また平成24年4月に開闢しました祖師先徳鑽仰大法会は昨年3月末日をもって、魔事無く円成いたしました。宗祖伝教大師、慈覚大師、恵心僧都、そして相応和尚の御遠忌やご生誕を祝した11年間に及ぶ数々の報恩行事に、多くの皆様が勝縁を結ばれたことと存じます。

 振り返りますと、期間中は東日本大震災による復興支援事業に一宗挙げて注力し、また世界的に流行した新型コロナウイルス感染症によって私たちはかつて経験したことがない生活を余儀なくされました。

 しかし、伝教大師様の『忘己利他』、『一隅を照らす』のみ教えを戴く我々天台宗徒並びに檀信徒は、このみ教えを指針とする行動規範を保ち、困難を乗り切ることができました。同時に、社会においても「利他の精神」が見直されて多くの人々にも浸透したことは、伝教大師様が目指された浄仏国土への一歩になったと捉えております。

 その記念事業である総本堂根本中堂大改修は、令和9年度の完成を目指し工事は順調に進捗しております。文化財として後世に伝える面もありますが、開創以来の伝教大師様の御心を伝える大切な堂宇であります。内外からお寄せいただいたご支援は、伝教大師様への皆様からの報恩の御心であると思っております。心より感謝申し上げます。

 さて、世界に目を転じますと、ロシアによるウクライナへの侵攻は止まず、いま中東地域のイスラエルとパレスチナでは凄惨な対立の歴史が繰り返され、多くの市民が犠牲となっております。また、気候変動による地球規模での災害が多発しております。これらの事象は、私たちの安全を脅かすばかりでなく、貧富の格差などを生み出しており、世界では新たな分断線が引かれようとしています。特に天災の多発は、豊かさを求めてきた人間への神仏からの警告と受け止めるべきでしょう。

 人間は協力し合わなければ生きてはいけません。共に寄り添い、支え合っていくことが大切なのです。伝教大師様は、菩薩となる人の育成に心血を注がれました。その菩薩となるためには、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つの行が必要です。この六行を実践することで利他の善行が広まり、自然と慈悲心が芽生え互いを敬うことができる社会が生まれるのです。

 これまでにも毎年8月に開かれる比叡山宗教サミット「世界平和祈りの集い」をとおして、私たちは世界平和への祈りを捧げてまいりました。争いがない平和な世の中、すなわち伝教大師様の御誓願である浄仏国土建設に近づけるために、これからも祈りと対話を続けてまいります。

 高祖、宗祖のみ教えを体し、一隅を照らすという一灯を高く掲げて、新しい年に望みたいと存じます。
 
 皆様のご多幸を祈念し、新年の御挨拶といたします。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

生きることにとっての最大の障害は、
明日という時に依存し、
今日という時を無にする期待である

セネカ『生の短さについて』(大西英文訳)

 新しい年が明けました。

 毎年年始に「今年こそ取り組もう」と心に誓ったり目標を掲(かか)げたりするものがあります。そしてたいていの場合は年末に年賀状を認(したた)めながら、取り組むことすらできなかった日々に思いを馳(は)せ、「来年こそやろう」と自省することになります。「あの頃から始めていたら今頃は…」と夢想することも少なくありません。まさに昨年末も、毎年行っている心の反省を繰り返しながら過ごしていました。

 2千年前の哲学者であるセネカの『生の短さについて』を読み返していると、冒頭の言葉に改めてはっとしました。セネカはこの著書の中で、自分のために使う時間が人生でいかに短く、他のために浪費(ろうひ)していることかを説いています。

 そして冒頭の言葉の前後はこのように記されています。「…この先延(さきの)ばしこそ生の最大の浪費なのである。先延ばしは、先々(さきざき)のことを約束することで、次の日が来るごとに、その一日を奪い去り、今という時を奪い去る。(中略)君はどこを見つめているのか。どこを目指そうというのであろう。来(きた)るべき未来のものは不確実さの中にある。ただちに生きよ。」と。

 また、セネカは「生きる術は生涯をかけて学びとらねばならないこと」とも述べています。「ただちに生きよ」とは「自分の時間のために生きよ」ということなのです。

 いろんな解釈があるとは思いますが、この「自分の時間」というのは「自分にとって有意義な時間」と捉(とら)えてもいいのではないでしょうか。今年こそやってみたいと思うことに取り組んでみたり、会っておきたい人に会ったり。「今」を大切にすることで、その時々を「生きている」一年にできたらいいですよね。

 今年が皆様にとって実りある一年となりますようお祈り申し上げます。

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