天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第233号

比叡山宗教サミット35周年記念「世界宗教者平和の祈り集い」―気候変動と宗教者の責務―

 比叡山宗教サミット35周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」が8月4日、国立京都国際会館と比叡山上を会場に開催される。国内外から約400人の宗教者が参加し、『気候変動と宗教者の責務』をテーマに、諸問題解決への対話と、世界平和に向けて共に祈りを捧げる。式典の模様は、動画投稿サイトYouTubeで、全世界に向けてライブ配信する。

 比叡山宗教サミット「世界宗教者平和の祈りの集い」は昭和62年(1987)に第1回目を開催。前年にイタリア・アッシジで、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世聖下が、世界の宗教者に呼び掛けて開いた「世界宗教者平和祈願集会」の精神を引き継ぎ、当時の諸宗教間の交流に力を注いでいた日本の宗教者(日本宗教連盟協賛の5団体及び世界宗教者平和会議日本委員会、世界連邦日本宗教委員会)らが中心となり「日本宗教代表者会議」を組織して開催された。

 以来、10周年毎には「日本宗教代表者会議」を、また、その間の5年毎には「実行委員会」が組織され、アッシジの精神を伝えている。
今回は、実行委員会の主催で、国立京都国際会館(午前)と比叡山上(午後)で開かれる。
国立京都国際会館での式典では、一般財団法人日本総合研究所会長の寺島実郎多摩大学学長が「歴史的大転換期における宗教―心の回復力(レジリエンス)を求めて―」と題し記念講演、その後、海外から参加する2名を含めた宗教代表者と有識者がテーマに沿ったシンポジウムを行う。

 午後からは会場を比叡山上に移し、15時より一隅会館前特設広場で世界平和祈りの式典を挙行。15時30分には「平和の鐘」を鐘打して参加者全員で平和の祈り(黙祷)を捧げる。続いて、各宗教別の祈りが営まれ、最後は「比叡山メッセージ2022」を発表し、宗教者が共に平和に向けた実践への決意が述べられる。

 実行委員長の阿部昌宏天台宗宗務総長は「今日的課題を宗教者として認識しながら発信すべく実行委員会を立ち上げた。比叡山から世界平和にむけて、いかにあるべきかを発信して参りたい」と開催に向けて抱負を語った。

※写真は比叡山宗教サミット30周年記念での祈りの模様(2017.08.04)

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

戦争が廊下の奥に立ってゐた

渡辺白泉

 戦中の軍国主義下において詠まれた句です。作者は新興俳句運動で活躍した俳人で「京大俳句」に参加、その批判精神ゆえにいわゆる「京大俳句事件」に連座して検挙されています。建物の廊下の奥に、「戦争」という恐ろしいものが、いつの間にか突っ立っていたという、不気味な句となっていますが、日々の何でもない日常に、徐々に徐々に邪悪なものが覆い被さってきた感じがよく現れています。

 かつて日本は、戦争に至る数々の予兆があったはずなのに抵抗できず、戦争に至ったのでした。その結果、大きな犠牲を蒙ったのは、一般の国民、民衆でした。兵士として戦死したり、民間人でも戦禍で命を失ったりしたのです。そのため、過去の反省の上にたって戦争忌避(きひ)への歩みを続け、どの国にも増して平和を希求する現在の日本になったと思います。

 ロシアによるウクライナ侵攻という暴挙が毎日報じられています。国際法を破って他国を侵略するという無体な行為が、「まさか今の世界に起こるとは」と、信じられない人も多かったでしょう。じわじわと戦争に移って行ったのと違い、衝撃は大きいものがあります。

 今回のようにロシアによる戦争行為は、理非がなく、許されるものではないと思います。でも戦争はどのような事情があっても悲惨なものです。侵攻された側の人びとの犠牲はあまりに悲しいものですが、一方、強権的に動員された攻める側の兵士の犠牲も悲しいものです。命を奪うために派遣されたロシアの兵士も、苦悩を抱えて戦闘に臨んでいる者も多くいるでしょう。

 どちらにしろ、痛ましいことです。なんとか戦争の終結に向けて政治的、外交的交渉が進展しないのかと、気を揉むばかりです。

鬼手仏心

悩ましい日々

 コロナ禍も3年目となりましたが、残念ながら早急な収束は望めないようです。寺の幼稚園もいろいろと大変です。そんな中、子ども達の元気な声だけが、希望となっています。なんとか収束の道筋が付けばいいが、と思う日々です。

 人間社会は、他人との密な接触をもとに成り立ち、その環境下でこれまで進化を遂げてきました。それだけに、マスク着用が日常となり、相手の表情が分かりにくくなっていることがどんな影響を子どもたちに与えているか心配になります。

 子どもたちの脳の発達において一番大切な時期に、いろんな身体的接触や表情、特に顔全体による働きかけに制限がかけられてしまっているからです。特に、会話においては、声が発せられる時の口の動きや形が重要です。幼児はそれを自ら真似て、だんだんとコミュニケーションを豊かにしていくと、いわれているのです。
大人は、表情を読み取る技術は既に身につけてますから、マスクを着用した顔を見てもある程度着けてない時の感じが想像できます。しかし、マスク顔しか知らない幼児にはこれは難しいことです。マスクをすっかり外せる日々が早くきてほしいものです。

過去に経験したことのないこのコロナ禍で、保育園や幼稚園、小学校など教育現場は、感染対策を進めながら子どもの成長を見守る毎日です。この新型コロナウイルス感染の問題はどうやら長期に亘る模様です。
それだけに、どのような生活が子ども達にとって良いのか、悩ましい日々が続きます。

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