天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第213号

11月16日、阿部新内局発足 ―和合と本末一如の精神で―

 杜多道雄宗務総長の辞任に伴う宗務総長選挙の選挙会が11月16日に行われ、阿部昌宏・九州東教区觀音院住職が選出された。阿部師以外に候補者はなく、無投票当選となった。17日には天台宗務庁議場で宗務総長・参務任命式が挙行され、森川宏映天台座主猊下より阿部新宗務総長と6人の新参務に辞令が親授された。任期は令和6年(2024)11月16日までの4年間。

 このたびの宗務総長選挙は、杜多道雄宗務総長が10月2日に辞任したことを受けて実施されたもので、退任より45日以内に選挙を行うとの選挙規程に則り11月16日に選挙会が行われた。

 令和3年3月の任期満了を待たずにした辞任について杜多宗務総長は、「次年度予算編成や宗祖伝教大師一千二百年大遠忌を控え、次期内局の宗務運営に支障が及ばないよう配慮した」と述べた。

 任命式は午前10時から宗務庁議場で営まれ、延暦寺内局随喜のもと森川座主猊下を大導師に法楽を厳修。続いて阿部新宗務総長、参務6人に辞令が親授された。
 森川座主猊下は「明年には伝教大師一千二百年大遠忌を迎える。天台宗をまとめ、世の中をリードし、伝教大師のみ教えが多くの方々から信仰されるよう願いたい」と、阿部内局へ期待感を示された。

 阿部新宗務総長は、任命式後の記者会見で、「これまでの参務執務経験を活かし、全国3千カ寺、宗徒、檀信徒、一般社会の人びとの輿望に応えるべく、宗祖大師のみ教えをもとに、本末一如、本山護持、そして和合で宗門発展のために不惜身命、全力を傾注し職務に当たる所存」と決意を述べた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

最も説明しにくい微笑の神秘をとく鍵は、日本人の礼儀正しさである

「日本人の微笑」(『日本の面影』より)ラフカディオ・ハーン

 令和2年はコロナ禍一色になってしまいました。「新しい生活様式」が提唱され、人々はマスクをして生活をするようになりました。

 マスクで困ったことは、相手の表情がわかりにくいことです。そのため、マスクという盾(たて)に隠れて、顔に緊張感がなくなり無表情になる人が多いそうです。無表情のため口角が下がった、頬がたるんで輪郭が変わった、という悩みも増えているとも聞きます。

 今からおよそ120年前にラフカディオ・ハーン(日本名は小泉八雲)は「日本人の微笑」の中で、日本人は「生にも愛にも、そしてまた死にも同じように微笑する」と書いています。はじめはその微笑の意味がわからなかったハーンも、次第に、微笑は日本人の行儀の一部であると気づきます。「たとい胸が裂(は)りさけそうでも、勇敢にほほえむのは社会的な義務である」と。

 ある時、日本人の乳母が、にこにこしながら夫を亡くしたことを外国人である雇い主の婦人に話しました。婦人は愛する人をなくしたのに笑う乳母の態度がいやだったとハーンに言います。ハーンは乳母の態度はこういう意味だったのではと考えます。「これを、あなたさまは不幸な出来事だとお考えになるかも知れませんが、どうかこんなつまらぬことで御心配なさらぬようにして下さいませ。そして、こんなことを申しあげて心ならずも非礼にわたりましたことを、なにとぞお許し下さいませ」と。

 日本人の笑いをヘラヘラしていて不謹慎だ、というむきもあります。しかしその微笑とは、相手をおもいやるもので、無神経さや横柄さなどとはむしろ正反対のものだとハーンは述べています。
 さまざまなことが制限され、皆がストレスを感じる今だからこそ、マスクの下でも相手を気遣いほほえむ。そのような奥ゆかしさが、心の余裕につながるのではないでしょうか。

 来年は皆さまが心から笑える一年となりますよう願っております。

鬼手仏心

祖師のご遺徳を偲ぶ

 コロナ禍で全国各教区での一隅を照らす運動推進大会が延期、中止を余儀なくされる中、本年最初で最後の推進大会が五島列島の新上五島町で開催された。大会に至るまで大変なご苦労があったことと存じます。主催された九州西教区、また特に今大会に向けて並々ならぬ熱意をもってご尽力くださいました新上五島町の方々へ心から厚く御礼申し上げます。

 役得というべきか、今回この新上五島町とのご縁を結ぶきっかけとなった山王山へ詣でる機会を得た。山王山は島で二番目に高い山で439メートルとさほど高い山ではないが、少し急な山道で額に汗を滲ませながら登った。

 山頂の少し手前にひっそりと、祖師が勧請された日吉山王社があり神聖な空気がそこには流れていた。山王権現に拝礼し、山頂に至った時、青い海と点在する島々の緑、その美しさにしばらく心を奪われた。これまで富士山、月山など日本の神々が祀られる山頂を巡ってきたが今回ほど他にはない思いが込み上げてきた山は初めてである。

 1200年前、祖師が歩かれたであろう山道を登り、祖師が眺めたであろう同じ景色を眺めているんだなと思うとその喜びに自然と目頭が熱くなった。祖師が日吉山王権現をこの地にお招きしたのは比叡山から眺める琵琶湖をだぶらせたのではないだろうか。行き交う船を見ながら航海の守護を比叡の神に託されたのだろうと思うと我が祖師の深い慈悲を感じざるを得なかった。
 1200年の歴史の灯を継承くださった島の方々に敬意を表すると共に改めて感謝申し上げます。

 最後に紙面をお借りして一言。
 頼りない一隅を照らす運動総本部長でございましたがなんとか無事職務を全うすることが出来ました。
 支えてくださいました皆さまに御礼申し上げます。ありがとうございました。

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