天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第209号

戦後75年迎え「不滅の法灯」捧げて慰霊

-戦歿者に世界平和誓う-

 広島市の平和記念公園にある原爆供養塔前で7月14日、一隅を照らす運動「第16回戦歿者慰霊・世界平和の祈り『天台宗平和祈念法要』」が営まれた。今年は戦後75年の節目から、比叡山延暦寺根本中堂の「不滅の法灯」から分けられた灯が供えられ、戦歿者らに世界の恒久平和を誓った。

 開宗一千二百年慶讃大法会を機に岡山、山陰、四国の三教区による三県特別布教として平成17年に始められた法要。戦歿者や原爆犠牲者の慰霊とともに、戦争体験を風化させず、平和の大切さや尊さを後世に伝えるため続けている。
 例年は三教区の住職有志らの出仕で営んできたが、今年は新型コロナウイルス感染症感染拡大防止のため規模を縮小して実施した。

 法要は、岡山教区の永宗幸信宗務所長を導師に、村上行英同教区副所長、延暦寺副執行の小寺照依教化部長、九州西教区から髙倉聖法種因寺住職、安東定悦雙林院住職らが出仕。法要の趣旨に賛同する、歌手で比叡山延暦寺親善大使の森友嵐士さんも参列した。不滅の法灯から分けられた灯と福岡県英彦山(ひこさん)の水が供えられ、広島県出身である森友さんが『宗歌』など2曲を献歌した。

 また7月に発生した豪雨被害の犠牲者並びに被災地の早期復興と新型コロナウイルス感染症の収束も併せて祈願した。 


-法灯が沖縄と長崎にも-

 中国・四国・九州にある各教区の中で趣旨に賛同した有志らが、今年が戦後75年を迎えたことから、太平洋戦争の激戦地となった沖縄県、被爆地の広島、長崎の両県で「終戦七十五年・比叡山不滅の法灯平和行脚」を企画。比叡山延暦寺根本中堂の「不滅の法灯」から分灯された灯を宝前に供え、全戦歿者を慰霊し、多くの人びとと共に世界平和を願う祈りを捧げようとしていた。しかし新型コロナウイルス感染拡大防止を考慮し、有志のみの少人数で慰霊法要を営むことに、やむなく変更した。

 沖縄県では、延暦寺の僧侶や宗内の住職、檀信徒ら有志が平成14年から「沖縄戦争殉難者慰霊行脚」を毎年続け、県内各所で慰霊法要を営んでいる関係から実施された。4月に髙倉種因寺住職ら数名が「不滅の法灯」を掲げて海を渡り、糸満市の平和祈念公園や首里城などを行脚した。

 続いて5月14日には、長崎県佐世保市の祇園寺(山下隆源住職)で嘉瀬慶文九州西教区宗務所長の導師で法要を営み、広島での法要に報恩を繋げた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

「むかしは目立たないように生きる、そういう考え方でしたね。いまは目立つように生きる、そうなってますわね」

『無名人名語録』 永 六輔

 巷(ちまた)で生きる無名の人々の言葉には、「なるほど、まさにそう」と思わせてくれるものがあります。
 それは、あまり表に出さず、心の奥底でつぶやかれるたぐいの言葉であるからです。
 掲げた言葉などは、まさにそうだと思います。

 この言葉自体、採り上げられたのは随分前のことでしたが、今の時代に発せられたかのような言葉です。いつの時代でも言われる言葉に「近頃の若者たちは、昔に比べて云々…」というのがあります。
 この掲げた言葉も同様です。しかし、このインターネット時代になると、とみに「目立つ」ことが人気を得ているようです。

 元来、周囲に気遣いし和を尊ぶ性格が日本人にはありました。生き抜くためにはまず、自己を主張しなければならないとする西欧諸国と違っています。それだけに、日本人は周りと同じであることをまず第一とする「同調圧力」に弱いといわれるのでしょう。
 「目立たないように生きる」とは、仕事の上でも日常生活の上でも、周りと協調して生きることです。
 その実直な姿が目に浮かびます。それが価値として認められていたわけです。今は、そんな生き方はあまり認められないように思えます。

 「人に認められたい」「特別な存在として見られたい」など、他人の視線に捉えられたいという思いがよくわかるのが、今のインターネットの世界でしょう。

 ユーチューブが俄然人気があるのも頷けます。人気が出れば、お金も稼げます。小学生の将来なりたい職業としてユーチューバーが上位に上がっているのも頷けます。目立たなく、そっと静かに生きていくなどという人生観は、もはや支持されなくなっているのでしょうか。ちょっと寂しい気がします。

鬼手仏心

共命鳥(ぐみょうちょう)って何?

 共命鳥は極楽に棲む六鳥の中の一鳥である。両頭の人面を持ち、妙音声を発し四無常を説くと言われる。ところが仏典の『仏本行集経(ぶつほんぎょうじっきょう)』や『雑法蔵経(ぞうほうぞうきょう)』を読むと、釈尊と提婆達多(だいばだった)の因縁譚として出て来る。

 『仏本行集経』によるとこうである。共命鳥は一頭が覚めている時は一頭は眠っている。一をカルダ、一をウバカルダという。或時、カルダが摩頭迦という極味の果を食べた所、まずかったことに眠りから覚めたウバガルダは瞋恚(しんい)の心を起こし、カルダを害そうと、毒果を食べて両頭共に死んでしまう。此の時のカルダが釈尊であり、ウバカルダが提婆達多である。末尾に「我利益を教うるも反って更に我が為に怨讐を用いる也」とある。

教理的な事柄が書かれていないから私などは、なぜ共命鳥が極楽に居るのと問いたくなる。悶々としていたら、東京国立博物館に三体の共命鳥像があることが分かった。其の内の一体は、大谷探検隊が将来した五世紀頃のテラコッタであるが、男女の顔を持つ鳥が肩を組み、今は失われているが合掌している姿で、光背も有ったようである。玄奘三蔵も『大唐西域記』でヒマラヤ山中に共命鳥がいると記しているので、地域的な伝説か信仰が極楽に棲まわせたものか。ところで、テラコッタ製の共命鳥は温かみのある道祖神の雰囲気をそこはかとなく醸し出している。

 それを見ている中に想像してみた。昔取っ組み合いが日常茶飯事であったカップルが、やがてお互いを尊重することを学び、長い長い時間を掛けて一心同体とも言える姿に変わっていった。それを共命鳥として極楽の一鳥に加えたのだと。喜んでいたら『菜根譚』に「怨みは徳に因りて彰(あら)わる。故に人をして我を徳とせしむるは、徳と怨みの両(ふた)つながら忘るるに若かず」とあった。う~ん、こちらの方が現実的か。

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