天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第199号

世界宗教者平和の祈りの集い スペイン・マドリード
「国境なき平和」をテーマに宗教代表者が討議

 カトリックの信徒団体「聖エジディオ共同体」が主催する「第33回世界宗教者平和の祈りの集い」が9月15日から3日間、スペイン・マドリードで開催された。
 天台宗からは小堀光實延暦寺執行を団長に、吉澤道人宗議会副議長、森定慈仁一隅を照らす運動総本部長を副団長とする10名の使節団を派遣し、諸宗教代表者らと平和への祈りを捧げた。

 この集いは、1986年に当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世聖下の呼びかけでイタリアのアッシジで始められたもので、以来、ヨーロッパ各地で年一度開かれている。

 「国境なき平和」をテーマに掲げた今年の集いには、全世界から様々な宗教団体・宗派より千名を超える聖職者が参加。開会式では聖エジディオ共同体創設者のアンドレア・リッカルディ教授がこの集いの意義と歴史を振り返り、主催者を代表し歓迎した。また、中央アフリカ共和国のトゥアデラ大統領らがスピーチし、世界で起こる諸問題解決に向けた議論に期待を寄せた。
 16、17日には、マドリード市内の各会場で27の分科会があり、分科会3で小堀執行が「非武装と非暴力」と題して講演した。
 小堀執行は、唯一の被爆国・日本の宗教者として、広島、長崎への原子爆弾投下について触れ、核廃絶が進まない世界状況を憂いた。
 そして戦争や紛争の終結だけが平和をもたらすものでなく、「貧困や飢餓、人種差別、地球環境問題が私たちの生活を脅かす存在になりつつある」と指摘。「平和とは全てが平等で何よりも地球社会に共通する正義の問題であるという見地に立って語らねばならない」と訴え、「互いの価値観の多様性を認め、共に生きることによって良き友人になることが大切だ」と、相互理解と連帯を呼びかけた。

 最終日の17日は、午後6時から各宗教・宗派による平和の祈り法要が市内各所で営まれ、続く閉会式で「平和宣言文」が採択され全日程を終えた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

見る人に 物のあはれをしらすれば 月やこの世の鏡なるらむ

崇徳院(『風雅和歌集』より)

 「見る人に〝もののあはれ〟を知らすのであれば、月はこの世の鏡なのだろう」

 今年の十五夜は既に終わってしまいましたが、その次に美しいとされる十三夜が近づいてまいりました。「中秋の名月」という中国由来の十五夜に対し、十三夜は「後の名月」と呼ばれる日本独自の風習です。昔から、十五夜の月見をしたら十三夜の月見もするのが良いとされています。

 日本文学において、月を主題にした作品は多くあります。和歌の世界では、春は桜や梅と共に夜空に浮かぶ情景が数々描かれ、夏には夜明けが早く月を見られる時間が少ないことを惜しまれる歌が残されています。
秋の月を題材としたものの中に「見る人の袖をぞしぼる秋の夜は月にいかなる影かそふらむ」という和歌があります。「見る人が涙で濡れた袖を絞る秋の月にはどんな光が加えられているのだろうか」と詠まれるように、月を眺め涙した古人は多くいたようです。知らず知らずのうちに「もののあはれ」を感じ取っていたのでしょう。しかしその価値観は世界共通というわけではありません。

 西洋では月は人を狂気に引き込むとされ、満月の夜には狼男が目覚め、魔女が集会を行うと言い伝えられてきました。月を由来とした英語〝ルナティック〟は〝狂った〟という意味になります。そう言われるようになったのは、月の光が人の心の奥底を照らし出すように見え、普段は押さえている狂気が呼び起こされると考えられていたからです。

 夜空に冴え冴えと浮かぶ月の姿に、西洋人は得体の知れぬ狂気を見いだした一方で、「もののあはれ」を感じとってきた日本人の感性は、今もなお、私たちの心の中に息づいているのではないでしょうか。

鬼手仏心

被災地を忘れないで

 暑い夏も過ぎ、ようやく涼しい日々が来たようです。
 酷暑とともに、今年も台風や集中豪雨などによる風水害で各地で大きな被害が出ております。特に最近の災害の特徴は、短時間で限られた地域に集中する豪雨による被害が多いことでしょうか。被害を受けた方々に心よりお見舞い申し上げます。

 あの東日本大震災のときもそうでしたが「まさか自分の住むところが」という思いは災害を被(こうむ)った方々共通の思いでしょう。災害直後は、日常生活を維持することに必死で、同時に全国からの支援などで気の高まりもあり、立ち止まって悲しむ間もない日々の連続なのがよくわかります。しかし、だんだんと報道も少なくなり、いわゆる「風化」していくようになると、それに反比例してつらい思いも増します。被災地福島に住む私にはそのことが痛いほどわかります。

 震災から8年。東北各地の被災地はまだまだ復興は道半ばです。精神的にも悲しみがだんだん心の奥に沈み、時間が経つに連れて、その悲しみは言い様もなくさらに深くなります。ただ、被災した方々は、それを世間に対して大仰(おおぎょう)に叫ぶようなことはされないでしょう。でも、「被災地のことを忘れないで」という思いは心の奥に残っていることと思います。
 こんな歌に出会ったことがありました。「大袈裟になにかしなくてもいいからさ 思い出してね福島のこと」。

 災害列島というべき日本は、これからも幾多の災害を被ることでしょう。私は常に被災各地の方々の心を忘れないようにしたいと思っています。それが「共に生きる」という考えにつながるものと信じています。

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