天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第194号

令和ゆかりの太宰府で 九州西教区
六所宝塔建立10周年記念法要

九州西教区(嘉瀬慶文宗務所長)では、4月22日に太宰府宝満山にて「六所宝塔」(如法経塔)の建立十周年記念法要を厳修した。六所宝塔は平成21年11月に伝教大師の遺徳を偲び大師顕彰の意味を込めて建立されたものである。また太宰府は新元号「令和」ゆかりの地でもあり、参加者は新しい時代を迎えるにあたり、あらためて伝教大師が祈念された国家安泰、仏法興隆、国民安楽のご精神を護持してゆく決意を新たにした

 法要は嘉瀬所長を導師に法華三昧で約1時間行われた。
 来賓には甘井亮淳天台宗財務部長、藤光俊宗議会議員、角本尚雄西教区顧問らが出席。また宝塔と建立地を護持している森妙香妙香庵住職とその篤信者らが参加した。
 「宝塔」の基となったのは、伝教大師が国家安泰、仏法興隆、国民安楽を祈念する拠点として日本各所に建立を企画した「六所宝塔」である。六所宝塔は歴史の中で焼失したが平成21年11月に開宗千二百年慶讃大法会記念事業として、太宰府の安西筑前宝塔跡に再建された。同時期に九州東教区によって宇佐神宮にも宝塔が建立された。
 嘉瀬導師は「宝塔と宝満山の地を守ってこられた森住職と篤信者の皆様に敬意を表す。次の10年にむかって天台宗、九州西教区としてしっかりと御護りしてゆくとの決意を新たにするものである」と挨拶した。
 伝教大師は遣唐使として渡海する前年の延暦22年に竈門山寺に籠もって薬師如来四体を刻んで法華経を講じ、宇佐八幡大神を拝して渡海の無事を祈った。
 日本に帰国した大師は、弘仁五年に宇佐神宮を巡拝し、神恩感謝のために宇佐神宮(当時は弥勒寺)に六所宝塔のひとつである安南宝塔を建立することを発願した。
 また、慈覚大師は承和十四年に唐より帰国した時、竈門山寺(当時は大山寺)に立ち寄って金剛般若経一千巻を転じた。その後、法華経一千部を納める安西宝塔が完成したといわれる。
 竈門神社のある宝満山の遺跡発掘調査は平成二十年に太宰府教育委員会によって行われ「本谷礎石群」が発見された。その基壇周辺より平安期の瓦や小金銅仏が出土し、年代や文献と一致した。このため安西筑前宝塔と証明された。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

風に散る 花橘(はなたちばな)を袖(そで)に受けて
     君がみ跡(あと)と 偲(しの)ひつるかも

万葉集10巻1966 作者未詳

 新しい時代が始まりました。新元号「令和」は万葉集が典拠であることが発表されています。
万葉集には「たちばな」について詠(うた)われた歌がたくさんあります。昔から橘の白く咲く花や常緑の葉を日本人は愛でてきました。
橘は日本書紀や古事記にも「時(とき)じくの香(かく)の木(こ)の実(み)」(いつでも香りを放つ木の実)として登場します。不老不死の薬として垂仁(すいにん)天皇が「常世(とこよ)の国」に使者を遣(つか)わせて求めさせたというものです。昔の人は、いつまでも青々とした葉やあざやかな色の実に強い生命力を感じ、神聖さを抱いていたのかもしれません。
冒頭の歌は「風に散る花橘を袖に受けて、これは貴方が残したしるしだと、貴方のことを思い出してしまいます」という意味です。橘は「愛した人の香り」や「思い出の人の香り」として和歌に数多く登場します。
衣の袖に舞い散って香る花びらに、花橘が咲くころ共に過ごした人への懐旧の情があふれてやまない様子が、美しく詠われています。
香りというのは不思議で、ふと漂(ただよ)う匂いに、その匂いを嗅(か)いだ時の場面が鮮明に思い出されることがあります。草刈りをしていて立ちのぼってくる青臭さに、幼いころに遊んだ原っぱが目に浮かんだり。機械の油の匂いに、父親のかさついて節くれた太い指を思い出したり。その時に見た風景や音が、意図せず心にわき上がってくることは、誰もが経験したことがあると思います。
日本では、柑橘類や匂いがきつくない花の香りが好まれると香水業界の人に聞きました。総じてさりげない自然の香りを好むそうです。それは、花橘に忘れ得ぬ人を重ねて歌をよんできた伝統かもしれません。
橘ばかりではなく「君かへす 朝の舗石(しきいし)さくさくと 雪よ林檎(りんご)の香のごとくふれ」(北原白秋)という粋な歌などをふと思い出します。

鬼手仏心

初春の令月にして気淑(よ)く風和(やわら)ぎ

 新時代の幕が開かれました。天皇陛下のご即位、心よりお祝い申し上げます。さて、愈々(いよいよ)「令和」元年が始まる。しかしながら、これほどまでに注目を浴びた元号はなかったのではなかろうか。三月から元号の予想合戦が始まり、発表の四月一日には報道が過熱。都会のオーロラビジョンの前には黒山の人だかり。あちらこちらでスマホ片手に確認する光景が目にされ、日本中の目がその瞬間に注がれたようであった。
 新元号が発表されると「いいね」「ピンとこない」「慣れるまで時間がかかりそう」など様々な感想が日本全国をかけめぐり、中には「元号を使わない。これからは西暦で通します」という方も少なからずいるようだ。どちらを使おうが個人の自由ではあるが、元号は日本特有のもので、いわば今上陛下のお顔のようなもの。私は大事にしていきたいと思う。
 ただ、これからの問題は西暦の変換だ。平成何年が西暦何年なのか、それこそスマホで調べないとすぐには出てこない。令和何年が西暦何年なのか、戸惑うことが多くなりそうと思われている方がたくさんいらっしゃるのではないか。危ぶむなかれ。先日、ツイッターで面白い投稿を見つけたので紹介したい。キーワードは「令和」。れいわを数字で表そうとすると、0(れ)1(い)8(わ)。018と覚えておく。これに年数を足すだけで西暦に変換できますというもの。例えば令和五年なら018+5で2023年となる。逆に西暦からは18を引けばいい。2030年なら令和12年となる。覚えておくととっさの時に便利だ。
 平成の簡単な変換方法もあるが紙面が足りないので、また別の機会に。これから良い事も悪い事も様々あるだろうが良い事が多い時代になるよう祈りたい。

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