天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第173号

開宗1200年慶讃大法会記念事業として平成17年に三県(広島・鹿児島・沖縄)特別布教の一環で実施されてから今年で13回目。

開宗1200年慶讃大法会記念事業として平成17年に三県(広島・鹿児島・沖縄)特別布教の一環で実施されてから今年で13回目。

 開宗1200年慶讃大法会記念事業として平成17年に三県(広島・鹿児島・沖縄)特別布教の一環で実施されてから今年で13回目。この法要は、先の戦争犠牲者や原爆犠牲者を追悼するために営まれてきた。そして悲惨な戦争体験を風化させず、平和の尊さを法要を通じて後世に伝えるべく毎年3教区合同で取り組んでいる。
 同日の法要は、午後2時から見上知正山陰教区宗務所長を導師に、3教区有志住職らの出仕で厳修された。(写真下)
 小堀光實延暦寺執行、水尾寂芳延暦寺一山禪定院住職、森田源真天台宗参務教学部長、宗議会の葉上観行(岡山)、永合韶俊(四国)両議員、永宗幸信岡山教区宗務所長、木村俊雅四国教区宗務所長らが来賓として参列した。
 今法要では、昨年と同じく、原爆投下時に焦土と化した地で、水を求めて亡くなった犠牲者のために比叡山で汲まれた霊水が祭壇に供えられ、平和を願う読経が公園内に響いた。
 法要後、小堀執行と森田教学部長は世界平和を希求する同法要の意義について触れ、宗、本山も3教区と共にこれからも祈り続けることを誓った。
 永宗岡山教区宗務所長は「今日の法要が尊い命の大切さ、そして、子や孫が幸せになるよう世界平和を祈ることの一助としてほしい。帰宅後に、ご縁のある方々に法要の趣旨を繋げて頂きたい」と呼びかけ、謝辞を述べた。 

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

避けることができないものは、
抱擁してしまわなければならない

シェイクスピア

 長い人生、幼いときから年老いた時期まで、いろいろな事態に遭遇します。
 もちろん良いことばかりではなく、嫌なこと、恐怖を感じることなど、意に沿わないないことに直面し、悩むことは数知れませんね。
 そんなとき、まず頭に浮かぶのは「なんとかそれから、逃れられないものか」という思いでしょう。
 では、どうしても避けられないと覚悟しなければならなくなったとき、いかに対処すればいいのでしょうか。
 人間には、強心臓で「矢でも鉄砲でも、何でも持ってこい!」といった、羨ましいほど剛胆な人と、どんなことにも心配が先にくる、ノミの心臓ともいわれる弱気な人がいます。
 まあ、大抵の人は、その二つのタイプを両極端とした範囲のどこかに納まるでしょう。
 しかし、こうした事態では、二者択一が迫られます。あくまで事実から眼をそむけて、成り行きに任せるのか、はたまた、ハッキリとそのことを正面から受け止めて対峙するのか、こういう場合には二つに一つしかありません。
 そんなときには、開き直って真正面からそのことに向かっていくことしかないでしょう。
 言い方を変えれば、「抱擁してしまわなければならない」ということです。
 嫌な道でも、進んで入って行けば、そこから道は開けるということ、つまりは、自ら行動を起こすことで新たな局面が現れ、それが問題の解決につながっていくということでしょう。 これは、経験的にもいえることだと思います。誰しも、大なり小なり、こうして難事を切り抜けた過去があると思います。
 難しいことに直面したときや、どうしようかと迷ったとき、ちょっと思い出してみるべき言葉だと思います。 

鬼手仏心

「和顔愛語」天台宗社会部長 林光俊

 「和顔愛語」とは、『大無量寿経』にある言葉です。おだやかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することです。
この言葉のあとには「先意承問」と続きます。相手の気持ちを先に察して、その望みを受け取り、自分が満たしてあげるという意味です。
 「和顔愛語 先意承問」とは、和やかな顔と思いやりの言葉で人に接して相手の気持ちをいたわり、先に相手の気持ちを察して望みをかなえてあげるということになります。
 大正時代に79歳で永平寺六十七世貫首となられた北野元峰という禅師がおられました。
 この方が若いときに母親が病気になったので、家に帰って看病しました。
 幸いにして病気がなおりましたので、再び永平寺で修行に励むことになり、明日は永平寺に帰るというとき、北野禅師は母に向かって次のようにいいました。
 「母ちゃん、俺、一生懸命に修行するよ。もし修行がものにならなくて偉い坊さんになれなかったら、もう二度とこの家のしきいをまたがないから」。
 そうすると母は「馬鹿なことをいうもんではない!」と激怒するのです。
 「もし、おまえが、えらい坊さんになったら、みながチヤホヤしてくれるから、家に帰ってくることはない。しかし、ダメな坊主にしかなれず皆から後ろ指を指されることになったら、その時こそ、この家に帰ってこい。戸は開けておく。母ちゃんは待ってるからな」と言ったというのです。
 「思いやりのある言葉」とはこういうものです。底抜けに自分のことをどこまでも肯定してくれる言葉、「あなたがいるだけでいいのだ」という言葉のことです。
 北野禅師は死ぬまでこの言葉を忘れなかったといいます。

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