天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第137号

平和の祈り―広島
10年を迎え、決意を新たに

 法句経では釈尊の「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない」との教えを伝えている。また半田孝淳天台座主猊下も、伝教大師の「己を忘れて他を利するは慈悲の極み也」という言葉を引用されて「この精神が世界平和実現のために重要である」と諭されている。
 天台宗では、これまで日本の平和を祈り、そして一日も早い世界平和の実現のために様々な取り組みを行ってきた。それは各教区、団体、個人のレベルでも顕著である。天台宗では、こうした平和への取り組みを、一隅を照らす運動総本部や檀信徒会等とも協力して、より一層充実し訴えていきたいとしている。

 去る七月十四日には、広島市平和記念公園の原爆供養塔前において『戦歿者慰霊・世界平和の祈り』法要が執り行われた。同法要は、開宗一千二百年慶讃大法会を機に、岡山・山陰・四国教区の三県特別布教として平成十七年に始められたもの。
 戦争犠牲者、原爆犠牲者の回向と悲惨な戦争体験、更には平和の尊さを風化させないために、という思いを持って、三教区はこの法要を毎年営んできた。そして本年でちょうど十年の節目を迎えた。
 同日の法要は、午後一時半過ぎより、水尾寂芳延暦寺一山禪定院住職(延暦寺副執行)を導師に、見上知正山陰教区宗務所長、永宗幸信岡山教区宗務所長、及び三教区から約二十名が出仕、来賓の木ノ下寂俊天台宗宗務総長、阿部昌宏天台宗参務総務部長、葉上観行宗議会議員、永合韶俊宗議会議員が参会し、厳かに執り行われた。
 法要にあたり見上所長は「我々が今あるのは、戦争で亡くなった方々の尊い命の犠牲があってのこと。そのことを忘れず、戦争の悲惨さ、平和の大切さを後世に伝えていく義務がある。今後もこの慰霊と平和を願う法要を続けていくことが我々の使命だと思う」と語り、法要厳修後に挨拶に立った木ノ下宗務総長も「三教区により、平成十七年に大法会の記念特別事業として始められたこの法要も十年を迎えた。この間、毎年、慰霊法要を続け、平和への祈りを捧げてこられた三教区の方々に深甚の敬意を表したい。戦後六十九年も経てば、悲惨な戦争体験も忘れ去られるおそれがある。若い世代に二度と戦争を起こしてはならないという思いを持って法要を続けねばならない。天台宗としても、三教区の平和への希求の思いを更に拡大すべく行動を起こしていきたい」と述べた。天台宗では、これらの平和を求める活動をより積極的に援助し、推し進めていく決意を新たにしている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

批判ばかりされた子どもは非難することをおぼえる/殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる/笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる/皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる

ドロシー・ローノルト

 米国の家庭教育学者・ドロシー・ローノルトのこの詩が世に知られるようになったのは、皇太子殿下が四十五歳の誕生日の会見で、感銘をうけたとして紹介されたことでした。「この詩は、人と人との結びつきの大切さ、人を愛することの大切さ、人への思いやりなど、今の社会でともすれば忘れられがちな、しかし子どもの成長過程で、とても大切な要素を見事に表現していると思います」と、その時述べられています。
 この詩はこのあと「しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる/寛容にであった子どもは 忍耐をおぼえる/賞賛を受けた子どもは 評価することをおぼえる/フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる/友情を知る子どもは 親切をおぼえる/安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる/可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じとることをおぼえる」と続きます。
 今、日本の社会では、子どもの育児放棄や虐待などの事件がたびたび報道されています。イジメの問題も後を絶ちません。殺伐とした親子関係や、ギスギスした子ども達の世界が浮かび上がってきます。もちろん、愛情深い親子関係や友愛のある子ども世界の方が圧倒的だと思いますが、愛情が基本となる子育て、教育にほころびが目立ってきたような気もします。
 しかし、明治期の日本は違っていました。大森貝塚を発見した米国の学者モースは「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」と書いている。同じく日本を訪れた女性旅行家イザベラ・バードも「これほど自分の子供達を可愛がる人々を見たことはありません」と書いている。私達は、いつから子どもへの深い愛を見失い始めたのでしょうか。 

鬼手仏心

それぞれに咲く 天台宗社会部長 角本 向雄

 梅雨の時には、ジメジメとした日が続きました。そのような日々に、庭の一画で咲くピンクや青いアジサイの花を見ていると心が和み、モヤモヤとした気持ちが晴れわたったものです。
 冬のアジサイは、か細い枝のみで枯れてしまったのではないかと思うような姿でしたが、春を迎えて芽吹き、きれいな花を咲かせました。
 日本では、桜・ひまわり・コスモス・サザンカなど四季折々の花が、私たちの心を和ませ楽しませてくれます。
 先日、孫娘と散歩をしているとき、道ばたに座り込んだので「どうしたの?」と聞くと「きれい」と言います。何かと思ったら草むらの中に黄色い小さな花が咲いていました。「きれいだね」と言って、しばらく一緒にその花を見ていました。
 普段ならば道ばたの雑草として見過ごしてしまうところです。孫に言われて初めてゆっくりとその花を見て、名も知らない草も懸命にきれいな花を咲かせているのだなあ、と気づきました。
 花壇の花は、人から水や肥料を与えられ、日当たりの良い場所で育てられます。一方で道ばたの草花は、与えられた環境の中で、自分自身の力で花を咲かせています。その生命力に感心させられます。
 花にも色々とあるように、私たちもひとり一人がそれぞれの場所で、各々の形・色の花を咲かせています。阿弥陀経には「青色青光、黄色黄光、赤色赤光」とあります。仏の世界で咲く花は、青い色の花は青い光を放ち、黄色い色の花は黄色に輝き、それぞれ差別なく美しいというのです。
 伝教大師様のお言葉に「一隅を照らす」とありますが、道ばたの草花を見て、私も与えられた場所で花を咲かせ、自分の光を放てるよう、精進していきたいと思いました。

仏教の散歩道

所有権の移転

 『法華経』の「化城喩品(けじょうゆほん)」には、梵天(ぼんてん)が仏に自分が住んでいる宮殿を布施する話が書かれています。梵天は布施したあとで、
  願以此功徳(がんにしくどく)
(願わくは此(こ)の功徳を以(もっ)て)
  普及於一切(ふぎゅうおいっさい)
(普(あまね)く一切に及ぼし)
  我等与衆生(がとうよしゅじょう)
(我らと衆生と)
  皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう)
(皆共(みなとも)に仏道を成ぜん)
 と言っています。ご存じのように、これが「普廻向文(ふえこうもん)」と呼ばれているものです。わたしは宮殿を布施させていただきます。だからその功徳をわたしにください―というのではありません。それだと「ギブ・アンド・テイク」になり、日本の神道の神様に対する祈願になってしまいます。仏教の布施は、そうではなしに、大勢の人たちとともに救われたいというのです。それが普廻向文の意味するところです。
 それから、もう一つ注意してもらいたいことがあります。梵天は仏に宮殿を布施しました。すると梵天は宮殿を去ってホームレスになるのでしょうか?そして仏がその宮殿に住まれるのでしょうか?
 そうではないと思います。仏が宮殿に住めば、仏は在家になり出家者でなくなってしまいます。
 わたしは、梵天は宮殿を仏に寄進しても、依然として宮殿に住み続けていると思います。
 ということは、宮殿の献上は、たんに名義の変更だけです。宮殿の所有権は梵天から仏に移転され、しかし使用権は従前通り梵天にある。そういう寄進であったとわたしは考えます。
 じつは、ここに仏教の布施の真の意味があるのです。
 わたしたちは、自分の全財産を布施すべきです。自分の財産のごく一部を布施したところで、それは真の布施ではありません。布施が真の布施になるためには、全財産どころか、命までも投げ出さねばならないのです。
 でも、そんなことは不可能だ―とわたしたちは考えるでしょう。ところが、それは可能なんです。布施は所有権の移転であって、使用権は自分に残ると考えればよいのです。
 つまり、わたしの全財産、わたしの命は、すべて仏のものです。仏の財産と命を、わたしは使わせていただいているのです。わたしはいま、仏の家に寄宿させていただき、仏のものである衣類を着させてもらい、仏の食事を食べさせてもらっている。わたしの命も仏のものなんだ。わたしのものなんて一つもない。そしてまた、わが子も、わが父母も、すべて仏から預かっているものだ。そう考えるのが布施です。そのように考えることができるようになれば、わたしたちは立派な布施をしたことになるのです。
 いつも唱えさせていただいている普廻向文を、わたしはそのように解釈しています。なかなかユニークな解釈だと、ちょっとうぬぼれています。

カット・酒谷 加奈

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