天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第127号

平成二十五年度 天台仏教青年連盟全国大会
               ―神奈川結集 開催される
青年僧は発信力を持って、社会に臨まねばならない

 天台仏教青年連盟(井藤圭順代表)では、去る9月11・12の両日、横浜市みなとみらいの横浜ベイホテル東急において「平成25年度天台仏教青年連盟全国大会~神奈川結集~」を開催、全国から200名を超す仏青会員が参加した。

 今回の神奈川結集のテーマは「信なくば立たず~青年層としてのあり方~」。僧侶として仏道を歩む上で、仏を信じ、教えを信じ、己を信じること、それが僧としての基本であり、日常生活の目先のことに追われることなく、今何を為すべきかを己に問いかけようというもの。
 午後二時、光栄純貴同連盟副代表の開式の辞に続いて、井藤会長を導師に法楽が営まれた。また、主催者を代表して井藤会長が「我々青年僧は発信力を持って、社会に臨まねばならないと考えています。その意味で、東日本大震災から二年半が経ちましたが、被災地支援で仏青の会員諸氏が多く現地に入り、支援活動を行い、今もなお、持続的に行っておられること感謝いたします。これからも被災地の力となって頂きたい」とこれまでの各仏青の震災支援活動に触れた挨拶を行った。
 来賓として祝辞に立った阿純孝宗務総長は「震災における仏青の速やかな支援活動を見て、そのバイタリティに、宗祖伝教大師の『忘己利他』の精神を感じました。激動の現代にあって、天台宗がどうあるべきかを考えます時、青年僧への期待は大です。平成二十四年度より実施されている教師研修制度などを通じて、研鑽を積んで頂き、祈りと教化の道場である寺院の活性化に力を注いで頂きたい」と挨拶を行った。また、村上圓竜社会部長も「少子化により、将来、人口は一億人を切ると予想される。若い皆さんとして、僧侶としての質を高め、教化道場として寺院を活性化し、将来の天台宗を担って頂きたい」と期待を込めた言葉を仏青会員に贈った。
 記念講演は多田孝正天台宗勧学(神奈川教区・命徳寺住職)で講題は「法華三昧について」。多田勧学は隋天台智大師別傳」などの資料を基に説明を行った。専門的な内容を現代社会における僧のあり方など、今日的な仏教における課題に結びつけて講義内容で、参加した仏青会員も逐一メモを取るなど熱心に聴講していた。
 また今結集では、今後の災害発生に備え、災害時における緊急対応できる人材育成のための防災士」資格を取るよう、全教区の仏青会員に呼びかけた。
 これは、東日本大震災の被災地でのボランティア活動を行なった時、スムーズな連携行動ができず、ロスも多かった反省から計画されたもの。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

錆(さび)は 鉄より生ずれど
その鉄を きずつくるがごとく
不浄(けがれ)ある行者(ひと)は
おのれの 業により
悪処(あしき)にみちびかれん

法句経 二百四十 第十八品 塵垢(けがれ)

 近頃の世の中は、昔に比べて悪辣な犯罪が増えているかのごとく言われます。
たしかに報道される犯罪の内容を考えると、かつて無かったような犯罪が新聞紙上やテレビのニュース報道を賑わせています。ただ、マスコミュニケーションの発達により過去の時代には考えられない程にあらゆるニュースが瞬時に伝わり、メディア間の競争からか、よりセンセーショナルに報道されているきらいがあります。
 それに昔も今と同じほど残忍な事件、想像を絶するような出来事があっても、ただ現代ほど人々に伝わらなかった、という面もあるのではないでしょうか。
 ただ、いつの時代でも、人間が人間である以上、「悪いこと」の本質は変わりません。私は本質的に人間が性悪だとは思いませんが、煩悩渦巻く日々に身を置いていれば、いつしか悪に染まっていくこともあると思います。鉄もちゃんと手入れしていなければ、いつしか赤い錆が浮き出て、次第に自らを蝕んでいきます。そして、悪は悪を呼びだんだんと奈落に墜ちていくのです。だから、私たちが心掛けねばならないことは、常に、常に、善きことをなし、良き方向へ自分を導くことですね。
 こんな話を聞いたことがあります。ある修道女が善行を積み、人のために尽くしてきたので神様がご褒美に願い事を叶えてあげようとするのです。修道女は自分の心を映す鏡を見たいと言います。最初、神様は断りますが、強い願いに根負けして鏡を見せると、彼女は卒倒してしまいます。自分では清らかな澄んだ心が覗けると思っていたのですね。私たちの心の中には、いつも沸々と泡のごとく悪の錆が湧き出ているのです。その悪の錆を落とすことを忘れないようにしなければなりません。

鬼手仏心

君にもゴールのチャンスが 天台宗財務部長 阿部昌宏

 サッカーの人気は世界的で、日本においても野球と肩を並べるほど、子ども達の間で人気だ。欧州のプロサッカーチームにも、日本人プレイヤーが多数所属し、その活躍は目覚ましいものがある。
 プロサッカーチームの人気と言えば、サポーター達の加熱した応援振りは、ヨーロッパなどでは相当なものだ。特に「フーリガン」と呼ばれる人達の応援のエスカレートした暴力沙汰は、度を超している。
 しかし、サッカーファンはそんな人間ばかりではない。ファンについて心温まる話もある。二〇〇二年の日韓共催のW杯でのこと。デンマークチームは和歌山県でキャンプを張った。
 その地元でサイン会が開かれた時、聾唖(ろうあ)の少年がトマソンという選手にサインを貰おうとするが、なかなか意志を表せない。偶然、トマソン選手の姉が聾唖であったので、手話で話しかけるが通じない。手話は国によって違うからだ。そしてトマソンは、後ろでサインを待つファンに納得してもらい、通訳を通じ筆談をする。彼は自分の姉のことを話し「誰にも試練はあります。でもそれを乗り越える勇気を持って下さい」と言い、親身に少年の相手をした。少年の母は涙した。
 デンマークは新潟で行われた決勝トーナメントに敗れるが、応援に駆けつけた少年は、試合後に再びトマソンと会う。トマソンは少年にこんな別れの言葉を贈った。「君には試練が与えられている。それは神様が決めたこと。しかし、必ず君にもゴールを決めるチャンスを神様は与えて下さるはず」と。少年は満面の微笑を浮かべてトマソンとのツーショットの写真に収まった。少年にとってこれ以上の励ましはなかった。一人の少年に光を与えた、いい話ではないか。

仏教の散歩道

マングローブの森

 滋賀県の浄土真宗の僧侶の丁野恵鏡(ようのえきょう)師から一冊の本を送っていただきました。師は幼児教育の専門家で、本は『照育のひろば』(探究社)と題されています。その中で師は、石垣島のマングローブ林について興味深い話を紹介されています。
 マングローブ林は紅樹林とも呼ばれ、熱帯や亜熱帯の遠浅で泥深い海岸や河口などに発達する林、あるいはジャングルです。潮の干満の影響を受ける所に出来る林ですから、耐塩性の強い植物でなければなりません。いろんな植物がありますが、石垣島のそれはヒルギの林です。ちょうど満潮の時、丁野師は船に乗って川をさかのぼりました。船の船長は、ヒルギについて観光客にこう説明しました。
 「みなさん、見てください。ヒルギのうちには、ところどころに茶色い葉が見えるでしょう。ヒルギは本来、陸の植物でした。ところが、長い歳月を経て、この植物は水辺におりて来ました。もともと淡水で育つ木なんですが、満潮時には川の上流まで海水が上がって来ます。でも、ヒルギは塩分が嫌いです。そこでどうするかといえば、一枚の葉っぱにみんなの塩分を集めるのです。するとあのように、一本の木に一枚だけ茶色くなった葉っぱが出来ます。そして、やがて塩分をいっぱいためて、川に落ちて行くのです。」
 丁野師は船長のその説明に、胸を打たれたと言っておられます。
 《私は説明を聞きながら、ハッとしました。もし一枚の葉っぱがみんなの塩分を引き受けなかったら、ヒルギは全体が塩分を吸って、枯れてしまったでしょう。水辺では群生できなかったはずです。
 一枚の葉っぱがみんなの苦しみや痛みを一身に引き受け、やがて自らは朽ち果てていく。それは仏さまの大悲のこころでもあります》
 わたしも、丁野師の感想に同感です。
 この世の中は「ご縁の世界」です。ご縁の世界においては、誰かが得をすれば誰かが損をせねばなりません。誰かが優等生になれば誰かが劣等生になるのです。全員が優等生になれない。みんなが勝ち組になれないのです。必ず負け組になる人がいます。
 誰が負け組の役割をするのでしょうか?ヒルギの中で、みんなの塩分を一身に引き受ける葉っぱが、どのようにして決まるのでしょうか?
 われわれ現代日本人は「自己責任」と言っています。本人が努力しないから負け組になったのだと見るのです。そして、自己責任だから自分一人で苦しめばよいと言います。
 でも、仏はそのような見方をされないでしょう。
 「あなたはみんなの苦しみを引き受けているのだね。ありがとう」。きっと仏はその人にそう言われるでしょう。わたしは、それが仏の慈悲だと思っています。

カット・酒谷 加奈

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