天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第100号

創刊100号 被災地にカレンダーを贈る
今日から明日へ希望をつないで

 天台宗災害対策本部(阿純孝本部長)では、東日本大震災で避難所生活を余儀なくされている人や、仮設住宅で暮らし始めている家族の皆さんへ、今年の「天台宗開運招福カレンダー」を、急遽(きゅうきょ)、増刷して送りました。「ある程度の物資はあるけれども、今年のカレンダーがない」との声に応えるためです。来年のカレンダーもお送りしたいと思っております。読者の皆様にもご協力をお願いします。

 きっかけは五月下旬に陸奥教区の黒石寺住職さんからの問い合わせの電話でした。
 「仮設住宅の人から『カレンダーが欲しい』という要望がありました。今年の天台宗開運招福カレンダーの残部はないでしょうか?」。
 通常、出版室で制作しているカレンダーは、年末に売り切れにしています。それでも、倉庫や印刷会社を調べて何とか百六十部を確保し、お送りしました。
 カレンダーは黒石寺から、東松島市で自ら被災しながらも被災者救援活動を続けている天台宗の石川仁徳萬寳院住職に送られ、被災者の方に配られました。
 被災地ではカレンダーがなくて困っているとの情報は、五月三十一日に開かれた天台宗宗務所長会でも話題となりました。それを受けて災害対策本部は出版室に指示し、急遽、墨書版(青山映信師筆)四千部を増刷しました。それらは宮城県箟峯寺の佐々木了章住職を窓口にして被災者の方々へ届けられています。
 「被災地のニーズにあった支援を」と言われます。けれども、被災地の方々が何を求めているのか、日が経てば刻々と移り変わり、なかなか把握できません。
 「カレンダーがない」とは気づきませんでした。カレンダーは、今日を確認し、明日を、未来の予定を見るものです。
 天台宗は、東日本大震災で被災され、避難生活あるいは仮設住宅での暮らしを余儀なくされている人々に、明日を見て欲しい、希望を見て欲しいと願います。
 被災地での生活は、毎日毎日を生き抜くことで精一杯かもしれません。しかし、前を見つめて生きていかれることが何よりも大切なことだと思います。
 そして、一日、一日が仏様から頂いている宝珠であることを被災された方々に感じて頂きたいのです。
 
―来年版も八月には完成の予定―
 
 出版室では、明年のカレンダーの編集を進めています。八月には見本版が出来上がる予定です。例年通り墨書版は一部百円、イラスト版は二百円の定価です。
 墨書版は、晝間玄明東京教区正観寺前住職(天台宗書道連盟副理事長)が、またイラスト版は気鋭のイラストレーター・赤池佳江子さんが担当します(三面に関連記事)。
 墨書版には「すべての人は仏性を持っている」などの仏教語、またイラスト版には「ありがとうの心で」のように易しい言葉で、それぞれに天台宗の教えが掲げられています。
 天台宗災害対策本部では、ある程度の部数を被災者の方々に届けたいと思います。
 被災者の方々が、天台宗の檀信徒であるなしにかかわらず、お届けしたいと考えています。
 すでに何人かの住職さんから「予約」という形で支援を頂いています。お檀家の皆様、ご信者の皆様にも是非ご協力をお願いします。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

一日のいやなことは
その日が終わったらおしまい。
明日はまた新しい自分と思っていけば、
楽しいんとちがうかなあ。

酒井雄哉大阿闍梨

 酒井大阿闍梨は「一日一生」を提唱しています。
 もちろん、昨日何かが終わったとしても、次の日に全く新しい世界が広がるということではありません。
しかし「自分自身はいつも新しくなっている。一日だって同じ日はない」といいます。全力を尽くして一日を生き、また明日を迎えようというのが「一日一生」の目指す生き方です。
自分のペースで一日を生きるといってもよいかもしれません。
 酒井大阿闍梨は「泥水でも、そのうち泥が沈殿して、綺麗な水になるじゃない。そういうふうに、ゆっくり構えていればいいんじゃないの」と語っています。
 このゆっくりと構えることが、日本人には苦手です。いつも、あくせくし、取り越し苦労を重ね、今を犠牲にして、未来に幸せを求めるのが平均的なライフスタイルのようです。
 それに、私たちは自分の幸せを他人に預け過ぎです。「あの人が言ったから」とか「こんな仕事ぶりでは上司に認められない」といった具合です。自分の評価を他人に任せる生き方では、なかなか幸せにたどりつけません。大事なのは、自分自身を愛おしみ、「好き、嫌い、やる、やらない」を自分自身が選択して、ゆったりと生きることではないかと思われます。
 本紙は、今号で通算百号を迎えました。この欄は、創刊以来続いていますから、今回が百回目です。インターネットで紹介して下さる方もおられます。有り難いことだと思っています。本欄は、困難に立ち向かっておられる方に、少し息抜きをして、という思いで始めました。そして辛い思いをしている人に「人生の達人は、困難を乗り越えるためにこんな素敵な言葉を残していますよ」という応援歌のつもりで書き継いできました。来月も、素晴らしい言葉たちを探したいと思っています。

鬼手仏心

鉄腕アトムのメッセージ 天台宗参務社会部長 村上圓竜

 
 わが世代では、手塚治虫氏の代表作は「鉄腕アトム」でしょう。十万馬力の正義の味方、鉄腕アトムの活躍に胸躍らせたものです。科学の発展がまだ信じられた時代でした。
 手塚氏は兵庫県の宝塚で生まれ、少年時代は、自然の中で昆虫採集に夢中になったそうです。有名な話ですが、治虫のペンネームは甲虫のオサムシになぞらえたものです。
 氏は、自然というものは人の心を癒す不思議な力を宿していて、自然こそ、子どもにとっては最高な教師だと僕は思いますと、著作で述べています。また、自然界の生き物の生死や残酷性を垣間見ることで、同じ生命あるものとして生きてゆく予行演習しているのだ、との主張は共感できます。
 子どものころ私は、夏休みのほとんどの時間を、昆虫・蝉取り・魚採りに費やしました。そしてまた、生きた蛙や蛇に残酷な仕打ちをした思い出は、今でも残っています。
 現在の私は、それら生き物に対して、差別と偏見は殆ど持っていません。その生き物自体の自然界での役割と、存在の意味を理解できるようになったのは、この少年時代の自然界での予行演習のおかげです。
 手塚氏は「なんとしても地球を死の惑星にしたくない。未来に向かって、地球上のすべての生物との共存を」と述べています。「アトムの物語」は、技術革新で繁栄する社会を描くのではなく「自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みをもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくか」を描いたものでした。原発の放射性物質飛散が現実となった今、アトムならどう行動するでしょうか。

仏教の散歩道

励ましの言葉は危険

 大学受験に失敗して浪人中の息子がいます。ある朝、父親が息子に
 「おい、がんばれよ」
 と声をかけて会社に行きました。その日の午後、父親は息子の自殺の報らせを聞かされるはめになったのです。
 息子の遺書には、こんな言葉が書かれていました。
 「僕は一生懸命に努力している。それなのに父は、ぼくのがんばりが足りないと言う。僕はどこまでがんばればいいのか!?」
 父親は呆然とします。
 「俺は、そんな意味でがんばれと言ったのではないのに……」
 父親はそう言いたいでしょう。父親にすれば、息子を励ますつもりで、「がんばれよ」と言ったのです。だが、励ましというものが、本質的には他人を批判し、ときには非難になっていることを、彼は気づいていなかったのです。
 いや、この父親だけではありません。昨今の日本人は、すぐにがんばれ、がんばれといった言葉を口にします。その結果、大抵の人ががんばれに不感症になっています。そうして、場合によってはその言葉に傷つく人もいることを忘れてしまっているのです。
 病人のお見舞いに行けば、ほとんどの人が病人に向かって、「がんばってください」と言います。
 「がんばれないからこそ、入院しているのに……」
 と、ある病人が述懐していましたが、どうも日本人はがんばれが好きなんですね。
 けれども、心の病気の人に「がんばれ」と言えば、自殺の危険があります。浪人の息子も、本人も気がつかないうちに、軽い心の病気になっていたのでしょう。
 落ち込んでいる人や大きな災難に遭った人に、「がんばれよ」といった励ましの言葉は、受け取り方によっては非難・攻撃になることがあります。
 つまり、あなたのがんばりは少ない、もっとがんばらねばならないのだ、といった趣意の発言と受け取られる可能性があります。
 意気銷沈している人、泣いている人にとって、本当に必要なのはそんな励ましの言葉ではありません。泣いている人、悲しんでいる人にわたしたちがしてあげられること、してあげねばならないことは、その人と一緒に悲しみ、泣いてあげることだと思います。
 もしもあの父親が息子に、
 「おまえもつらいだろうな……。でも、ゆったり、のんびりとやれよ」
 と声をかけてあげていれば、息子も自殺しないですんだかもしれません。がんばれではなしに、
 ―ゆったり、のんびり―
 が仏教者の言うべき言葉だと思います。東日本大震災に際して、そんなことを考えています。

カット・酒谷 加奈

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