天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第99号

半田座主猊下、気仙沼で慰霊法要
「全国民が皆様に心を寄せている」と励ましのお言葉

 半田孝淳第二百五十六世天台座主猊下は、五月十一日に東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市に赴かれ、観音寺(鮎貝宗城住職)を会場に、東日本大震災で犠牲になられた全ての人々に対する慰霊法要を厳修された。座主猊下が被災地に赴かれて慰霊法要を修されるのは始めて。同法要によって、天台宗は、これからの復興に向け全力で取り組む姿勢を改めて内外に示した。

 被災地での「東日本大震災犠牲者慰霊法要」は、半田座主猊下が「仏教者としての使命を果たしたい」と強く希望され実現した。
 伝統仏教教団の管長が被災地で慰霊法要を行うのは天台宗が初めて。
 同日午前中に、慰霊法要に先立って半田猊下は、気仙沼鹿折地区を視察された。
 鹿折地区は地震、津波、火災によって壊滅的な被害を受けた地区である。あまりの悲惨さに半田猊下は絶句され、涙を流された。
 慰霊法要は、阿純孝宗務総長はじめ天台宗全内局、総本山延暦寺から武覚超執行、水尾寂芳教化部長が出席。地元陸奥教区からは山田俊和中尊寺貫首を始め、教区役職員、また全国各地より、宗機顧問、宗議会議員、宗務所長や仏教青年会有志らが出仕、福聚教会会員が御詠歌を奉納した。そして、親族を今回の大震災で失った観音寺檀家の人々ら約三百名が参列して午後二時から開式した。
 半田座主猊下は法則で「今日まで、遙かに慰霊復興の祈念を捧げ、本日茲(ここ)に、直々に、気仙沼観音寺ご宝前にぬかずくことを得て,更に深く祈りを凝らす」と述べられた。
 さらにお言葉では「被災地を見て、惨事の様を目の当たりにしました。報道を通じて心配していましたが、その全体に触れ何ともいえない気持ちです。現場でお参りしながら、皆様の気持ちが少しは分かった気がします。人は独りではありません。大勢の人に支えられながら生きています。今回の大惨事で、全国民が心を寄せ、物資を寄せ、皆様の復興を願っています。どうぞ、亡くなった方の分まで生きて、復興に力を尽くして下さい」と述べられた。
 この後、午後二時四十六分に全員で黙祷を捧げ、阿宗務総長は「亡くなった方は、別の世界、浄土におられます。誰も浄土に行くことができます。不幸にして命を絶たれた人も仏様のそばにおられるのです。そのことが信じられれば心が安らかになります」と述べて慰霊法要を締めくくった。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

不幸が押し寄せた時も、耐え忍んでいれば、状態は必ず変わっていくと信じて生きて欲しいのです。

「今こそ、切に生きる」(文藝春秋) 瀬戸内寂聴

 瀬戸内さんは「この天災を前に『無常』という言葉が胸に沁(し)みました。天災とは突然に降り掛かる災難。善行を積んでつましく生きていても理不尽に襲われる。それは前もって防ぎようがない」といいます。
 お釈迦様は「四諦・八正道・十二縁起」を説かれました。四諦とは「四つの真理」のことです。その第一は「苦諦」で、我々の生存は苦であると教えられました。具体的には四苦八苦と呼ばれるものです。
 生まれてくる、そのことが苦だといわれたのです。
 人生が苦であるなら「生きていても仕方がない」とか「人生には、苦しいことも多いけれど、楽しいこともあるじゃないか」という反論がありそうです。
 漢訳で「苦」と訳されている原語は、サンスクリット語では「ドゥフカ」といって「思うままにならないこと」というのが本来の意味です。
 つまりお釈迦様は「人生とは思うようにならない」と言われたのです。
 人生どころか、自身の体でさえ、思うようにはなりません。私たちの体を形作っている細胞は、数カ月のサイクルで入れ替わるといわれます。皮膚も脳も数カ月で入れ替わっているのです。見た目は同じ私でも、自然に脱皮しているようなものです。出来るのは、せいぜいダイエットぐらいでしょう。それも思うようにはいきません。
 仏教では、あらゆるものは「常ならず」と教えます。絶えず動いていて、同じ状態ではありません。これが「無常」です。今日は、楽しく幸せであっても、明日には「無常の風が吹いて」この世にいないかもしれません。逆に、今日は、耐えきれないほどの不幸な状態であっても、耐え忍んでいれば(仏教では「忍辱」といいますが)、青空が見えてくる、明日を信じて生きて欲しいと瀬戸内さんは励ましています。

仏教の散歩道

仏教者であれ!

 『マハーパリニッバーナ・スッタンタ』によりますと、釈迦世尊は入滅される直前、侍者の阿難(あなん)(アーナンダ)に、
 「わたしが入滅したあとは、仏教教団は細々とした戒律をすべて廃止しなさい」
 と遺言されています。なぜそのように指示されたのでしょうか?
 現在の学校の校則がそうですが、あまりに細かな校則を定めていると、生徒たちはその規則の裏をかこうと必死になります。そして、教官の目をうまくごまかしたことで快感を味わい、更により一層のごまかしの技術を磨くようになります。その結果、何のための校則か分からなくなってしまいます。
 その点では、明治九(一八七六)年に札幌農学校の教頭として来日したアメリカの教育者のクラーク博士が、すべての校則を廃止して、ただ、
 「紳士であれ!(Be Gentleman!)」
 だけを校則としたのは、炯眼(けいがん)と言うべきでしょう。
 仏教の戒についても同じことが言えます。
 もともと仏教の戒は、それを守ろうとする自発的な意志が大事です。だから、在家信者の場合は、たとえその戒を破ったからといって罰則があるわけではありません。だが、集団生活をする僧侶の場合は、戒を破ることによって他人の修行を妨げる虞(おそれ)がありますから、罰則が設けられているのです。その罰則を想定したものが律です。
 これでお分かりのように、戒と律はまったく違ったものです。戒はあくまでも自発的な精神です。それに対して律は、他律的です。
 そして釈迦は、在家信者に対しては戒にだけを定められ、出家修行者の教団に対しては律を制定されたのです。ところが、あまりにも細かな律があると、出家修行者がその律の条項にとらわれて、本当の戒の精神が忘れられてしまう危険があります。それで釈迦世尊は、ご自身が入滅されたあとの教団は律を廃止して、本来の戒の精神に立脚するようにと遺誡されたのです。
 ところが、あろうことかあるまいことか、釈迦入滅後の仏教教団は、釈迦の遺誡を無視して、細々とした律を全部残してしまいました。その結果、二百五十戒という、まことに瑣末的な律が残され、仏教教団がそれに縛られて本当の釈迦の精神を忘れるようになってしまった。それが小乗仏教の教団です。
 そのような小乗仏教の弊害に気づいたのが、じつは伝教大師最澄(七六七ー八二二)です。彼は、われわれ仏教者を自発的に戒を守ろうとする心が大事なのだと考えました。クラーク博士流に言うなら、ただ、
 「仏教者であれ!」
 というだけでよいのです。いくら失敗をしても、また過ちを犯しても、また仏教者として生きようとする心が大切なのです。わたしは伝教大師最澄の心をそのように理解しています。

カット・酒谷 加奈

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