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サミットの歴史

比叡山宗教サミット4周年− 概要

(比叡山時報 平成3年9月8日)

比叡山宗教サミット4周年 世界平和の祈り記念式典
現実の問題を直視しながら「平和の祈り」の実践を

 「比叡山宗教サミット」4周年を記念しての「世界平和祈りの集い」が、8月4日、比叡山延暦寺根本中堂上広場の特設会場で開かれ、約600人の参加者が平和への熱い祈りを捧げた。
 今年は日本各地から、仏教、神道、キリスト教など諸宗教の代表者、全国から集った青少年研修生、第2期行院生、比叡山写経会参加者のほか、ムサ・オマル駐日スーダン大使、ギイ・プリム国連難民高等弁務官事務所駐日代表、東郷良尚ユニセフ日本事務局長など多彩な顔ぶれの中で行われた。
 昨年のこの日は、イラク軍のクウェート侵攻というショッキングなニュースの中での開催だった。
 世界のイスラム教の代表者を招いての「ムルタカ比叡山会議」は、直ちに即時停戦とイラク軍の完全撤退を求めるアピールを採択、両国首相をはじめ、アメリカ、ソ連各国の首脳、国連事務総長などへ打電した。
 そして限りない犠牲を残して戦火は治まったが、多くの難民が国境周辺に集まり新たな問題を世界に提供した。
 今年の記念式典にギイ・プリムUNHCR駐日代表、東郷良尚ユニセフ日本事務局長の出席を求めたのも、「平和の祈り」の実践を、現実の問題を直視しながら推進しようという主催者の考えからであった。
 天台宗が今展開している「地球へ慈愛の灯を」運動こそ、まさしく「比叡山宗教サミット」精神の具現であらねばならない。

子供たちの幸せ願い ユニセフへ1,000万円を贈呈

 この日午後3時、多紀頴信天台宗務総長の開式の辞で式典は始まった。
 広場を覆いつくす大テントの中にしつらえられた会場は、谷からの涼風が吹き抜け、昨年の猛暑がうそのよう。
 「自らの信仰を貫きながら、平和と人間の大義に献身することをお互いに確認すると共に、より忠実に平和のために献身し、平和のために働き、かつ苦しむ覚悟をもって、真の平和がこの地球に訪れるまで祈り続け、行動する責務を痛感しさらに宗務協力の絆をより深めよう」
 力強い多紀総長のことばにつづいて、青少年研修生による「最澄さま」のメロディーにのって山田座主、式衆が入場。研修生代表によって根本中堂の不滅の灯が移され、花が供えられ、般若心経の読経へとつづく。
 「1987年8月3日、4日、比叡山開創1200年を記念して、平和のために祈るべく参集したわれわれは、世界平和に真摯な思いを寄せる宗教者および他のすべての人びとに対して心からのメッセージを送りたいと思う」
 澄みきった声が会場に響く。「比叡山メッセージ」の朗読である。
 「比叡山宗教サミット」の精神をいつまでも受けつごうと、毎年語りつがれることになっている。
 KBS京都塩見祐子アナウンサーの顔にも緊張感があふれている。
 「平和のために祈るべく集ったわれわれの営みが、世界のいたる所で繰り返され、大いなる平和の賜が、われわれの時代に与えられんことを」
 大きな拍手の中でメッセージの朗読が終わった。
 午後3時30分、比叡山三塔諸堂の梵鐘が一斉に鳴り出し、世界の平和を祈っての1分間の黙祷が宣せられた。
 5年前の同時刻、全世界の寺院、教会の鐘が打たれた。その日、その時を年々受けついで来ているのである。
 正面祭壇左右のクス玉がパッと開く。
 「世界平和の祈り」
 「地球へ慈愛の灯を」
 ムサ・オマル駐日大使、ギイ・プリム駐日代表らの挨拶のあと、山田座主は、「平和を語る」と題し「今こそ全世界がすべてを“話し合い”によって理論を尽し、現実を処理するよう仕向けたい。それには世界のすべての人が平和を祈る心を持つ以外にはない」と訴えられた。
 敗戦のすぐ後、西条八十もまた「心に平和あらずして、地上に平和あるべきや」と詠っている。
 このあと、世界の子どもたちの幸せを願い、東郷良尚日本ユニセフ協会事務局長に、千葉照源一隅を照らす運動総本部会長から金1,000万円が贈呈され、熱のこもった記念式典の幕を閉じた。
 参加者はこのあと会場を比叡山ホテルに移し、懇親の盃を重ねながら秋めいた比叡山での一刻を過した。


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