天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第90号

比叡山宗教サミット23周年
「世界平和祈りの集い」を開催

 八月四日、比叡山延暦寺において比叡山宗教サミット二十三周年「世界平和祈りの集い」が開催され、千名近い参加者が、戦争のない平和な世界が訪れることを真摯に祈った。二十三周年を迎えた今年の集いでは、ローマ教皇庁諸宗教対話評議会議長のジャン=ルイ・トーラン枢機卿や世界仏教徒連盟(WFB)のパン・ワナメティー会長の「平和メッセージ」が発表されるなど、世界の宗教者が手を携えて世界平和のために祈り、行動する大切さを訴えた。

 「世界平和祈りの集い」は、午後三時より延暦寺・一隅を照らす会館前広場にて始まり、阿純孝天台宗宗務総長が開式を宣言。「第四十五回天台青少年比叡山の集い」に参加した青少年による平和の折り鶴の奉納、比叡山幼稚園園児による献花が行われた後、延暦寺一山泰門庵住職の堀澤祖門師を導師に法楽が営まれた。
 続いて、半田孝淳天台座主猊下が登壇し平和祈願文を朗読。その中で半田座主猊下は、「平和とは、単に戦争がないということではなく、人間どうしの睦み合う融和の状態、人類共同体の実現をいう。およそ正義や慈悲のないところに平和はない」という比叡山メッセージをあらためて取り上げ、そのための行動を強く訴えた。 
 それを受け、神道・仏教・キリスト教・イスラム教など各教宗派の代表者が登壇、「平和の鐘」が打ち鳴らされる中、世界平和を祈って黙祷が捧げられた(写真)。黙祷に続き、高見三明・長崎カトリック大司教区大司教が「平和を語る」と題し講演。高見大司教は、一人ひとりの人間が、平和を壊す働きを抑制し互いによい関係をつくる努力が必用とし、平和を壊す欲望に打ち勝つのは愛であると強調した。
 また、世界宗教者を代表して、ジャン=ルイ・トーラン枢機卿とパン・ワナメティーWFB会長の平和メッセージが読み上げられ、世界の宗教者が宗派の垣根を越えて、共に平和のために行動する必要性を訴える声明に、参加者から大きな賛同の拍手が湧き起こっていた。
 続いて天台青少年比叡山の集いに参加した青少年代表によるユニセフ募金の贈呈式、「比叡山メッセージ」の朗読、「平和の合い言葉」の宣言が行われた。時代を担う若者たちの平和への願い、世界の全ての人々との連帯を求める力強いメッセージに、参加者も将来への希望の光を見いだした様子だった。
 なお、今集いでは、広島の原爆で被爆したピアノの演奏も行われた。惨禍を潜り抜けたピアノの美しい調べに、参加者も平和への思いを新たにしていた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

なにしろ、現実は、果てしない泥沼みたいなもので
“思いわずろうても”キリがないのだ。

水木しげる/「ねぼけ人生」

 漫画家水木しげるさんと奥さんの奮闘を描いたNHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」が好評です。人気のキーワードは、貧乏とそれに負けない「ほのぼの」だと思われます。
 水木さんは戦争で左腕を失って復員し、その後紙芝居、貸本業界を転々とし、四十代になってようやく雑誌で成功するまでは超貧乏でした。
 「一山百円の腐ったバナナを買って食うのが無上の楽しみという、人には話せないような思い」に疲れると「思いわずろうても、キリがない」と、木を削り、部品を組み立てて、連合艦隊模型作りにいそしんでいました。それも、手先の器用な奥さんが手伝って、二人で一円のお金にもならない模型作りにひたすら励む、というのですから、どこか可笑しい。
貧乏でも悲惨ではない。「そげですなあ」という島根弁が、ゆるやかな癒しになっています。その時代を知る人も、知らない人も、水木夫妻を応援したくなるように構成されているところがミソでしょうか。
 ただ、水木さんは人生をあきらめたり、超越していたわけではありません。命がけで漫画に打ち込んでいるのに、自分たちを苦しめる貧乏や世間に「世の中の仕組みに対するイカリが燃え上がったが、どうすることもできない」ということも書いています。その上で、サラリと「イカリは自分を苦しめるだけのことだった」などと、仏教者のようにすごいことを言う。
 売れっ子漫画家になればなったで「編集者は群れを成して現れる。初めは、福の神のご来臨と考えていたが、やがて、これは僕の寝る時間を奪いにくる悪魔だということがわかってきた」と言うのですから、現実はどちらにしても思うようにはいかないようです。
 それでも水木さんは「人の一生というものは、ふりかえってみれば面白いものかもしれない」と言う。この、「ちょっこし」ほがらかな人生観は素晴らしいと思います。

鬼手仏心

十六歳の大黒柱  天台宗参務法人部長  山田 亮清

 
 近年、お葬式は、ふつう昼間に行われますが、大正時代はそうでもなかったと、日本将棋連盟会長だった木村義雄第十四世名人が、記しています。
 木村名人は、東京下町の下駄職人の子どもに生まれました。将棋の才に恵まれ、極貧の中から関根金治郎十三世名人に入門し、将棋の道を目指します。早くに母を亡くしましたが、その葬儀は、お金がないために形ばかりのことしかできなかったと嘆いています。
 当時は「香典が集まってから、葬礼の計画を立てた」といいます。あまりお金が集まらず、世間の目を気にして「白昼は遠慮し、朝早く葬儀をすませた」といいます。朝早く、とは夜明け前のことで、人目につかぬように、そっと野辺の送りを済ませたのです。
 大正九年になると木村名人は、四段に昇進して生活も楽になり、祖父母と父と一緒に暮らすために、長年の夢であった自分たちの家を借ります。この時、一家の大黒柱となった木村名人は実に十六歳!時代が違うとはいえ感嘆せずにはおられません。祖母は「これで安心した。自分の家で死ねる。もう一つの願いは、無理にでも弔いは、昼間に出して欲しい」と言って七十五歳で亡くなります。その願い通りに葬儀は昼間に行われました。祖父は「おまえのおかげだ。これで、俺も婆さんへの義理も立ち、仏もさぞ喜んでくれているだろう」と十六歳の孫に頭を下げるのです。
 家族というものが支え合った時代のことです。今「葬式はいらない」などと言う人もありますが、かつて日本人は、礼節や礼儀を重んじる丁寧な暮らしを営んでいたのです。何が豊かで、何が貧しいのか。私たちは、戦後の価値観を総点検する時期にきているのかもしれません。

仏教の散歩道

相手を変える

 「自分が変われば、相手が変わる」
 そんなふうに言われる人がいます。
 夫婦の関係、嫁と姑の関係、職場の人間関係など、しばしば対立することが多いですね。そして人は、その人間関係のトラブルに悩み、苦しみます。
 そんなとき、よく聞かされるのがこの言葉です。あなたが相手に対する態度を改めるなら、必ず相手も態度を変える。だから、あなた自身が自分を変えるように努力しなさい。そういった忠告がなされます。
 そして、実際に、自分が変わることによって、相手との人間関係が改善されることがあります。
 けれども、まちがってもらっては困るのは、相手を変えるために自分が変わろうとしてはならないのです。そんなことをすれば、相手に対する憎しみがますます強くなります。
 すなわち、たとえば、嫁が姑に対する態度を改めます。ほんの少しやさしくする。あるいはちょっとしたお世辞を言う。そうすることによって、姑が自分に対してやさしくなることを期待します。だが、義母の自分に対する態度は変りません。そうすると彼女は、
 〈わたしがこれほどまでに尽くしているのに、お義母(かあ)さんはいっこうにやさしくならない。お義母さんはいやな人だ!〉
 と思うようになります。かえって逆効果なんです。そうであれば、むしろ自分を変えないほうがよかったのです。これは、どこにまちがいの原因があるかといえば、いくら自分が変わっても、それによって相手が変化することはないからです。
 と言えば、「自分が変われば、相手が変わる」というのは嘘なのかとなりそうですが、それは嘘ではありません。ただし、自分が変わると、相手に対する自分の見方が変わるのであって、相手という実体そのものが変わるのではありません。相手は相手のままです。
 これは、暑さ、寒さというもので考えてみるとよく分かるでしょう。〈いやだ!〉〈たまらない〉と思っている夏の酷暑も冬の厳寒も、海水浴やスキーに行けば、暑ければ暑いほど、寒ければ寒いほど、いいものになります。温度計で計測した暑さ、寒さには何の変化もありませんが、自分の見方が変わることによって、それに対する自分の気持ちが変わるのです。それが、「自分が変われば、相手が変わる」の意味です。
 だから、姑に接する嫁の態度が変わると、嫁自身の姑に対する見方は変わります。その見方の変化によって、人間関係の煩わしさが少しは軽減されるでしょう。
 けれども、勘違いしてはいけないのは、姑その人を嫁は変えることはできません。姑の性格や人柄はそのままです。したがって、嫁が自分を変えることによって姑を変えようとしてはいけないのです。そんなことをすれば、かえって逆効果になることを知っておいてください。

カット・酒谷 加奈

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