天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第89号

「戦歿者慰霊・世界平和の祈り」

 七月十四日、岡山・山陰・四国教区合同による「戦歿者慰霊・世界平和の祈り」法要が、広島市平和記念公園の原爆供養塔前において執り行われた。同法要は、天台宗開宗千二百年慶讃大法会記念事業として平成十七年より始められ、今年で六度目。三教区主催となってからは、三回を数える。

 「戦歿者慰霊・世界平和の祈り」法要は、天台宗僧侶としての自らの行と位置づけられている。それは、戦後六十数年という時間経過で、ややもすると戦争の悲惨さと平和の大切さが忘れられがちな風潮に対し、宗教者として常に不戦の誓いを忘れないためでもある。
 同日の法要は、午後二時より、広島市平和記念公園・原爆供養塔前において執り行われ、導師に、見上知正山陰教区宗務所長、副導師は葉上観行岡山教区宗務所長、関覺圓四国教区宗務所長がそれぞれ勤めた。
 また、来賓として、水尾寂芳延暦寺一山禅定院住職が参列、式衆は、三教区から出仕の僧侶約三十名が勤めた。
 同日広島地域は、豪雨に見舞われていたが、法要時には雨も小休止。法要に参列した三教区の檀信徒や、供養塔を訪れた国内外の人々も、原爆犠牲者の鎮魂と世界平和への祈りを捧げていた。
 法要に当たり葉上師は「原爆投下より、六十数年が経過し、戦争の悲惨さ、被爆による惨禍が忘れられていく気がする。今ある安寧と繁栄は、この戦争犠牲者の上に築かれていることを私たちは忘れてはならない。そのためにも、この戦歿者追悼の法要は平和希求と我々自身の行として、後世まで続けていかねばならない」と挨拶した。
 この法要は、開宗千二百年を機に企画された「三県(沖縄・鹿児島・広島)特別布教」の一環として営まれ、その後、毎年営まれている。
 世界で唯一の被爆地、広島で戦争犠牲者の慰霊と世界平和を祈念する法要を厳修することは、毎年の「世界平和祈りの集い」開催など、教宗派の垣根を越えて活動を持続的に展開している天台宗にとっても、大きな意義を持つものといえよう。

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 夏を彩る信濃のハス  上田市・國分寺

 信濃国分寺(塩入法道住職)のハスが見頃を迎えた。
 七年前までは、住職が趣味で鉢ハスを栽培していたが、境内うらの農地を借り受け、中尊寺ハスなどを移植。上田市応援事業の後押しも受けた「地域興し」が実を結び、信州の夏を彩っている。
 「車椅子でも楽しんでもらえるように」と観光路も整備。
 七月十八日には、第四回「ハスのフェスタ」も行われ、寺と信徒、地域が一体となったイベントが展開された。国分寺のハスは八月中旬頃まで楽しめる。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

その場に最も適した考え方、行いをするということは、より多くの人々の幸せのためになることをするということです。

山田 惠諦 著/「大愚のすすめ」

 私たちは毎日、時々刻々「あれか、これか」と迷い、悩みます。
 迷いや悩みにも色々あって、誰が見ても「これしかない」ということは簡単に処理できます。難しいのは「どちらを取ったらよいのか?」という場合です。 
 では、迷った時にはどうするか?仏教の答えは簡単です。「自分が嫌だと思う方、損だと思う方を選びなさい」というのです。「得する方」ではなく、「損をする方」です。自分が損をする決断をすればどうなるか。他人が得をします。これが仏教の考えです。
 そのことを山田惠諦第二五三世天台座主猊下は「仏教は理屈の上の理想だけを追求するものではない。みなが幸せになるという現実をとるのが仏教だ」と語りました。
 私達が悩むときは、自分を中心に物事を考えています。そうではなく「みなが幸せになる」方へ、考えの軸足を置きなさいというのです。自我がでると、どうしても真実が見えにくくなります。
 「事実が見えんでは、真実に対応する所作はとれない。その場に最も適した対応がとれんことになる」。
 また「これが理屈だ。これが今までの慣例だ」ということを一度捨てて、多くの人々が幸せになる道を探すということが、仏様に近づく第一歩だといわれます。
 山田座主は「自分一人が喜んでも、それはただ一人だけの喜びで、寂しいものなんだ。それよりは、五人喜ばせ、十人喜ばせる方がずっとよい。その方が自分の喜びだって、ずっと大きくなる」といいます。
 多くの人々の役に立って生きる、そのことが生きている喜びであり、生かされている価値なのです。そのためには、自分をまず捨てる。「己を忘れて他を利する」という気持ちになることが大事です。その心がなければ、いつまでも「あれか、これか」という迷いを繰り返して真実の世界を見ることができません。

鬼手仏心

トンパチ  天台宗出版室長  杜多 道雄

 
 私が子どもの頃には、東京にも赤トンボが群舞するような風景をよく見ました。
 トンボを捕るには、留まっているトンボに近づいて指をグルグル回し、目を回させて落とすなどという方法が、子どもの間では伝えられていました。試してはみるのですが、すぐに逃げられて成功したことがありません。そんなことも、時間がたっぷりあって、自然が豊だった頃の懐かしい思い出です。
 どんなに忙しくなっても、自然に触れれば立ち止まるぐらいの心の余裕が欲しいとは思いますが、現実に追われてなかなか実現できません。
 もう都会ではトンボに出会うこともなくなりました。
トンボは、種類によって生息する環境が違います。流れる川に棲むのは、オニヤンマやサナエトンボ。止水を好むのはギンヤンマやシオカラトンボ。ため池はクロイトトンボなどが棲息するのだといいます。
 いずれを見ても、日本の大都会からは消え去った環境です。
「トンパチ」とは「トンボに鉢巻き」という意味で、トンボの大きな目玉にハチマキをすれば、むやみやたらに飛ぶように「後先考えない無謀な人」のことです。これまでのように、自然を破壊してきたのは、まさに「トンパチ」な行為です。
 ところが、私が今執務している滋賀県大津市の琵琶湖は、それらの生息環境を全て備えていて「トンボの宝庫」と呼ばれているのです。トンボの種類は優に九十種を超えるのだそうです。「指を立て  辛抱強く トンボ待ち」という川柳のように、久しぶりに童心に返るような自然との出会いがあるのではないかと楽しみにしています。

仏教の散歩道

「忘己利他」

 伝教大師最澄の言葉に、
 -忘己利他(もうこりた)-
 があります。「さんざんな目にあって、もう懲(こ)りたわ」と言っているようで、この言葉を聞くたびに苦笑してしまいます。
 いえ、これは不まじめな言葉ではありません。最澄の『山家学生式・六条式』にある言葉で、正しく引用しますと、
 《悪事は己れに向かえ、好事は他に与え、己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり》
 です。好ましくないこと(悪事)は自分が引きうけ、好ましいことは他人に与える。自分の利害を忘れて他人を利することこそ、究極の慈悲である。そういった意味です。
 ところで、他人のために何かをしてあげたいといった気持ちは誰だって持っています。しかし、それがために、かえって悪い結果になることがあるのは、多くの人が体験するところです。
 たとえば、嫁と姑の問題で考えてみましょう。嫁が姑を喜ばせようとして、外出のついでに鰻(うなぎ)のかば焼きを買ってきます。さぞやお義母(かあ)さんは喜こんでくれるだろうと期待していますが、それほどのお礼の言葉が返ってこないようなとき、姑に対する憎しみさえ起きてきます。年寄りにすれば、その日はあまり食欲がなく、あっさりした物を食べたかったのです。だから、鰻を見て、うんざりしたのかもしれません。
 逆に、嫁の留守中に、姑が食器を洗っておいてくれた。しかし、嫁からすれば、食器は完全に洗えていない。どこかに汚れがついています。そうすると、再び洗い直さねばなりません。そこで、「お義母(かあ)さん、あまり余計なことはしないでください」と言いたくなります。その言葉をいくらやさしく言ってみたところで、姑はカチンときます。
 世の中は、だいたいがこういうものです。利他のつもりでやったことが、かえって不和をもたらすことになるのです。
 これは、わたしがあなたにしてあげたといった気持ちがあるからです。そのわたしがといった気持ちをなくさないといけないのです。それが「忘己」です。自己をなくすことです。
 具体的にはどうすればいいのでしょうか?
 たとえば、満員電車で老人に席を譲ります。それは立派な布施の行為ですが、相手に喜こんでもらおうという気持ちがあると、忘己になっていません。相手に喜こんでもらおうということは、相手からのお礼の言葉を期待しているからです。そして、お礼の言葉がないと腹が立ちます。
 それゆえ、席を譲るのではなしに、はじめから座わらないのです。それが布施。座わらずに立っているのは疲れますが、自分がその疲れるという悪事を買って出ます。そうすると誰かが座われますから利他になります。
 つまり、忘己がそのまま利他になっているわけです。

カット・酒谷 加奈

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