天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第76号

天台座主猊下、初めて高野山を公式参拝

 半田孝淳天台座主猊下は、六月十五日に高野山真言宗総本山金剛峯寺で厳修された弘法大師降誕会に参拝された。天台座主が高野山を公式参拝するのは、天台宗、真言宗が開宗されて以来初めてのこと。

 天台宗と真言宗は平安時代に開宗され、以来、共に日本仏教を支え合う宗派として、互いに敬意を表しあい、また学びあいながら千二百年の歴史を刻んできた。
 近年は、全日本仏教会、また比叡山宗教サミットにおいても重要なパートナーとなっている。
 天台宗では平成十五年度から二十年度まで開宗千二百年慶讃大法会を奉修したが、平成十七年に行われた開宗記念の大法要には、金剛峯寺座主資延敏雄猊下が延暦寺根本中堂を参拝されている。そのこともあり、半田座主猊下は高野山への参拝を強く希望されていた。
 金剛峯寺座主松長有慶猊下が平成十八年十一月に、半田座主猊下が十九年二月と、ほぼ同時に座主猊下に上任され、また松長座主猊下と半田座主猊下は個人的にも親交が深いこともあり、今回の公式参拝は松長座主猊下が半田座主猊下を弘法大師降誕会に招く形で実現したものである。
 同日、半田座主猊下は濱中光礼天台宗宗務総長はじめ天台宗内局、また総本山延暦寺の小林祖承総務部長らと共に、高野山大師教会に到着。百人近い高野山真言宗僧侶の出迎えを受けた。
 そして大師教会大講堂で厳修された一時間半にわたる弘法大師降誕会に随喜されたあと弘法大師の御廟である奥の院に向かわれた。
 半田座主猊下と松長座主猊下が樹齢数百年の杉木立と、青葉若葉の照り映える参道を並んで歩かれると、折からの参拝者たちは合掌で迎えていた。そして奥の院で、半田座主猊下は弘法大師御前に焼香された。天台座主としては初めてのことである。
 半田座主猊下は「高野山金剛峯寺に参拝させて頂き、弘法大師様の御前に詣でることができることは、有り難い仏縁のきわみである。このことが機縁となり、お互いの交流が更に活発になり、互いに手をとりあって仏法興隆、世界平和に邁進できるならば望外の幸せであり、そのことを改めて祈念したい」と述べられ、松長座主猊下と堅い握手を交わされた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

「自分の弱さ、痛みを受け入れないと他人の弱さを受け入れられない」

入佐 明美/「釜ヶ崎」のケースワーカー

 入佐さんは三十年以上、大阪の日雇い労働者の町「釜ヶ崎」で彼らの生活立て直しと、生きる喜びを取り戻すために活動を続けているケースワーカーです。
 彼女は、ネパールで医療活動を続けている岩村昇医師に憧れ、ネパールで人の為に生きたいと望みます。看護学校に進み、岩村医師にネパール行きの希望を伝えたところ、釜ヶ崎での医療活動を勧められます。
 最初は、自分のような小娘が相手にされるだろうかと不安だったと言います。けれども、釜ヶ崎に足を運び、病気、栄養失調、障害者、行き倒れの人を見て、医療従事者を必要としていることを実感し、ケースワーカーへの道を進みます
 ある日、「ねえちゃん、世話になったな、わし元気になりたい」と、一人の労働者が言った言葉を、彼女は活動の原点にしていると言います。
 「本音で話せる人が一人でもいると生きていける。あのねえちゃんは、一生懸命話を聞き続けてくれる」。
 その頃、釜ヶ崎の人を立ち直らせようと、やってあげるという気持ちがあったのではないかと気づきます。労働者を自己実現の対象者として見ていたのではないかと思うのです。「本当に変わらなければいけないのは自分自身ではないのか」と悟ったと言います。
 路上生活する労働者が、アパートに入居するために、入佐さんはお金を貸します。百パーセント返金されます。「わしを信用してくれたことが一番嬉しかった」と彼らは言います
 仏教では、他者の救済に乗り出すことを「利他行」と言います。入佐さんの仕事は、まさに利他行です。その根本には「自分の弱さ、痛みを受け入れないと他人の弱さを受け入れられない」という考えがあるのです。かつて入佐さんにお話を伺った時「私は、ネパールに行くことを目標にしていました。けれど、私にとってネパールとは場所でなく、人のために役に立つことだということが分かったのです」と語られていたことは忘れられません。

鬼手仏心

臓器移植法の改正  天台宗出版室長  谷 晃昭

 
 臓器移植法の改正がなされようとしている。特に今回の改正では、十五歳以下の臓器移植の制限を緩和して低年齢者の臓器提供と移植について国内法を改正することが眼目のひとつとなっている。臓器移植については一九六八年、札幌医科大学での心臓移植が様々な論議を呼び、以来一九九七年の臓器移植法の制定に至っても、まだ社会的総意を得ているという訳でなく、三年を目処に見直しを条件に制定された経緯がある。その改正がこの時期に急がれる背景には、自国の移植臓器は自国内でという国際的な潮流がある。
 天台宗では、既に臓器移植と脳死については平成七年に見解を提示している。(天台宗ホームページ・天台の主張に掲載)その基本的な立場はまず脳死は人の死ではなく、従来の、心停止や瞳孔の拡散などの症状によって死の判定をすることとし、また、臓器の提供については、提供者の生前の同意を必須条件とし、「捨身布施」の行為として認めたいとする立場を明確にしている。今回の「脳死を人の死」とすることを前提とした、衆議院での採決にはこの点で大いに疑問を呈さざるを得ない。
 低年齢者の臓器提供は「本人の同意」を得ることは困難である。自然この決断は両親や親族に委ねられる。脳死とは言え、まだ心臓の鼓動がある内に臓器提供を決断しなければならないその心情はさぞ切ないものと思う。しかし一方で移植でしか治療の道がない子どもを持つ親の切実な気持ちも理解できる。人工臓器の技術が不完全な今、移植技術も向上した中で、臓器移植治療をただ否定する気はないが、「人の死」について、また臓器移植に伴う様々な問題点の論議を十分尽くした上での法改正をお願いしたい。

仏教の散歩道

「空(くう)」とは何か?

 『般若心経』が「空(くう)」を教えたお経であることは、ほとんどの方がご存じです。いまから三十年ほど昔ですが、仏教の講演会でわたしは、
 -「空」のはなし-
 と題する講演をしました。当時わたしは、気象大学校で哲学を教えていたので、肩書きは「気象大学校教授」になっていました。
 講演終了後、聴衆の一人から質問がありました。
 「きょうの演題は空(そら)のはなしなのに、天気予報についてはちっとも話されませんでした。どうしてですか……?」
 あれにはびっくりしましたね。やはり「空(くう)」について語るときには、ルビが必要かもしれません。
 では、「空」とは何でしょうか? これはなかなかむずかしいのですが、わたしは次のようにいうことができると思っています。
 -「空」とは、有る/無いにこだわらない考え方-
 たとえば、わたしたちは心配事が有ると思っています。そして、その心配事を無くそう、無くそうとしています。それは有/無にこだわり、有/無にとらわれた考え方です。
 でも、心配事というのは、あなたが自分でつくりだしたものなんですよ。固定的な心配事というものはありません。それは実体的に存在しているものではないのです。それが証拠に、くよくよ、じくじく心配しているときに、ぐらりと地震が起きると、たちまち心配事は消え失せてしまいます。あるいは、これは心配事の性質にもよりますが、一週間もすればその心配事はなくなっています。人の噂も七十五日といいますが、七十五日後にも残っている心配事なんて、まずはありませんね。
 つまり、心配事なんて、有るとか無いといったものではないのです。さまざまな条件 仏教の言葉だと縁(えん)です によって、そこに仮に生起しているだけです。それが「空」なんです。
 これは、悩みや悲しみにしても同じです。固定的、実体的に存在している悩みや悲しみなんてありません。すべては「空」です。「空」というのは、さまざまな縁によって、そこに仮に悩みや悲しみとして現れているのです。有る/無いで考えてはいけないのです。
 では、どうすればよいのでしょう?
 まあ、幽霊みたいなものだと思ってください。幽霊に怯えている人に、「幽霊なんて存在しない」と説き聞かせてもだめです。それは有る/無いにこだわった考え方です。むしろ幽霊をよくよく観察してごらん。幽霊にもなかなかいいところがあるよ、と教えてあげたほうがよいでしょう。
 ということは、わたしたちは、悩みや不安、悲しみ心配事とうまく付き合うようにすればいいのです。ただし、その方法は、各自がうまく考案、工夫するよりほかありませんが……。

カット・酒谷 加奈

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