天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第72号

内モンゴルの砂漠化を防ぎ緑を取り戻そう

 一隅を照らす運動総本部(秋吉文隆総本部長)では、今日に至るまで「地球救援活動」の一環として、自然環境の保全活動を持続的に展開してきた。特に近年、地球温暖化問題に見られるように、一国の枠を越えての環境保護対策の必要性が求められており、同本部でも、中国内モンゴル地区での砂漠緑化活動に平成十九年より参加し、環境保全への取り組みを深めている。本年も現地活動を行うが、今回はその実情をつぶさに見て、環境保全の重要性を肌で知ってもらおうと、支部、会員、一般の方々などを対象に「植林ツアー」(五月五日~十一日)への参加を募っている。

 地球温暖化に象徴される環境問題は、グローバルな課題として位置づけられているが、個別の自然環境の変動、中でも「砂漠化」問題は食糧生産基盤である耕地の喪失でもあり、切実な問題となっている。原因は、干ばつなどの気候変動の他、森林の伐採、放牧の拡大など、人為的なものが急増している。
 隣国、中国では、国土の三十パーセント近くが既に砂漠化しており、毎年、神奈川県に匹敵する面積が砂漠化していると言われている。内モンゴル地区も一九六〇年頃から急速に砂漠化現象が見られるようになり、使用可能な草原は今では半分以下になっている。
 その背景には、新中国成立後の定着型農耕・牧畜の推進や人口増加に伴う草原の過開墾・過放牧がある。そこに気候変動が追い打ちをかけ、さらに疲弊した土地は砂漠となり、家や畑を呑み込み住民生活を圧迫し、人々は移住を余儀なくさせられるという事態を招いたわけである。
 現在様々な砂漠化阻止の取り組みがなされているが、一隅を照らす運動総本部では平成十六年より現地で植林活動を続けているNPO法人「草原の風」(長野県飯田市)の協力を得、十九年より植林ツアーに参加し、今後の活動に向け実情調査を行ってきた。

 順調に根付く木々

 かつてこの土地は海や湖であったため、草原の地下には砂が堆積している。植生が破壊され、表土が剥がれるとその砂の層が表出するのだ。ただ、元々豊かな草原であった地域で、地下水もあり草木を育てる力を持った土地である。そのため、参加した二年間を含め、植林してきた木々は順調に根付いており、今回のツアーに参加する一行にも、その成果を実感してもらえることになる。
秋吉総本部長は「当初より、体験学習的なツアーを考えていました。今回、実現する運びとなり嬉しく感じております。この地域の砂漠化は、日本を毎年襲う黄砂の原因でもあります。年々酷くなる実情を目の当たりにされて、砂漠化阻止の切実性を実感して頂ければ幸いです」と植林ツアーへの参加を呼びかけている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

あなたの席を空けて待っています。

       中村ブレイス社長・中村俊郎氏

坂本光司著「日本で一番大事にしたい会社」/あさ出版刊

 未曾有の経済危機、不況です。毎日多くの人々が職を失っています。人が簡単に放り出されてしまう社会に、誰もが絶望感をつのらせています。
 著者の坂本さんは、会社には社員とその家族を幸せにする、外注先・下請け企業の社員を幸せにする、顧客を幸せにする等々の責任があるのではないかと考え、それらを実践している企業を訪ねて本にしました。その中に中村ブレイスが紹介されています。
 中村ブレイスは、耳や鼻、指や腕、脚、乳房などを失った人のために義肢装具を作る会社です。会社は島根県の石見銀山の麓という辺鄙な所にありますが、ここで働きたいという若者が跡を絶ちません。
 ある日、中学生の時に事故で片足を失った女の子が会社を訪ねてきます。中村ブレイスは彼女の義足を作った会社でした。当時彼女は高校生でしたが、義足なのでいじめに遭い、友達も出来なかったそうです。
 「わたしは、もう高校には行きたくありません。同じような境遇の人のためにここで義肢を作りたいので働かせて下さい」と訴えるのです。中村社長は「それはだめです。高校を卒業し、できれば大学に行き、人生の経験を積んで、それでもここで働きたいというなら、あなたの席を空けて待っています」と答えるのです。
 社長との約束通り、彼女は数年して就職を果たします。昨今の人減らしという風潮に対して、働くということ、会社とは何かということを考えさせられます。 ここでは、土日は休みになっているのですが、社員は社長に隠れて働きに来るのだといいます。自分たちの作る義肢を待っている人がいる。一日早く作ってあげれば、それだけ早く救われるという思いからです。「休みなんかいらないんだ」というのです。
 粘土だらけになって働く仕事ですが、不急不要のものに付加価値をつけて売るのとは、まったく別の仕事があるのです。

鬼手仏心

一食(いちじき)を捧げる   天台宗出版室長  谷 晃昭

 
 「一隅を照らす運動」では毎月四日を一隅の日と定めて「一食を捧げる」運動を提唱している。
 これは単に一食分を献金してくださいという事ではない。飽食の裏側で飢餓に苦しむ世界の人々との連帯を促すこと、そして限られた資源をどのように賢く分配し、共生していくかを、お互いに考え合おうとすることも目的としている。
 WFP(国連世界食糧計画)の統計では、約六十八億人といわれる世界人口の八人に一人に当たる八億五千万人が飢餓の状態にある。飢えは、未だに世界第一位の死亡原因であり、このうち、六秒間に一人の割合で五歳未満の子どもたちが飢餓を原因とする疾病などで死亡しているという。
 飢餓の原因としては、自然災害や紛争、慢性的な貧困などがあるが、これに加えて最近の食糧物価の高騰が大きく影響し、WFPの努力で下がりつつあった飢餓率が、数年前の状況に戻っているという。世界的な金融危機の影響は、弱者に及び、今後もますます食糧難の状態は続くといわれる。
 主にアフリカ・アジアの一部地域で深刻な状況にあるが、経済成長著しいインドにおいても、貧富の格差はますます広がる傾向にあり、低層生活者は未だ十分な食糧確保は出来ていない。
 このような状況にあるインド・ナグプール市の寺、禅定林を先般二月に訪れた。
 その折、禅定林信徒の若者たちが組織するパンニャ・メッタ・ユースの会員から一食を捧げる運動の協力金として三千ルピーが地球救援事務局に寄託された。会員の呼びかけによって集められた一年分の大金だ。円に換算すれば大金とは言えないが、その気持ちがありがたく、思わず涙腺が緩みそうになったのも加齢のせいだけではない。

仏教の散歩道

こだわりを捨てる

 趙州(じょうしゅう)(七七八-八九七)は中国禅僧のうちで最高峰とされる高僧です。生没年を見ると分かりますが、彼は百二十歳まで生きて説法したようです。
 その趙州のところに、ある日、厳陽(ごんよう)という僧がやって来て問答します。まず厳陽は、
 《一物不将来(いちもつふしょうらい)の時、如何(いかん)》-わたしは何もかも捨て去って、一物も持っていません。どうしたらいいでしょうか?-
 と問いを発しました。彼は、自分はすべてを捨てたのだと豪語しています。褒めてもらいたいといった気持ちがありありです。
 それに対して趙州は、
 《放下著(ほうげじゃく)》-投げ捨てろ!-
 と応じます。この"著"は命令の意味を表わす助辞です。放下、すなわち放り捨てろという答です。
 《已(すで)に是(こ)れ一物不将来、這(こ)の什麼(なに)をか放下せん》-すでにすべてを捨てたのです。この上、何を放下すればいいのです?!-
 厳陽はそう反問しました。当然ですね。それに対する趙州の返答はこうでした。
 《恁麼(いんも)ならば則(すなわ)ち担取(たんしゅ)し去れ》-それなら、担(かつ)いで行け!-
 おもしろい禅問答ですね。
 禅はわれわれに、あらゆる執着・こだわりを捨てろと教えています。それで厳陽は、自分はあらゆるこだわりを捨てたと思い込んでいたわけです。それに対して趙州は、おまえさんはこだわりを捨てたというこだわりを持っているではないか。その捨てたというこだわりを捨てないと駄目だよ、と教えたのです。でも、その趙州の教えは、厳陽には通じなかったようですね。
 それはともかく、わたしたちはさまざまなこだわりを持っています。家族にあっては良き夫・良き妻・良き父親・良き母親・良き子どもでなければならぬというこだわりを持っています。そして会社にあっては良きサラリーマンでなければならぬというこだわりがあります。勤勉であることにこだわり、まじめであらねばならぬとこだわり、努力することにこだわっています。その結果、わたしたちは自縄自縛の状態になっていませんか?
 そんなこだわりをさっさと捨てて、もっと自由に、おおらかに生きよ! 禅はわたしたちにそう教えてくれています。
 でもね、まじめさ・勤勉・努力に対するこだわりを捨てることが、不まじめに生きよ!怠けよ!というのではありませんよ。そう思うのは、こだわらないことにこだわっているのです。
 まじめさ/不まじめ、勤勉/怠惰といった二極対立の枠を超えた、もっと自由でおおらかな生き方があるはずです。禅は、そのような自由な生き方を見つけろ! と、わたしたちに教えてくれているのです。その自由な生き方を見つけるために、まずこだわりを捨てねばなりません。それが「放下著」なんですよ。

カット・酒谷 加奈

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