天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第64号

各地で一隅を照らす運動「推進大会」を開催

 五カ年に亘る「天台宗開宗千二百年慶讃大法会」も、三月末日をもって魔事なく円成し、天台宗は新たな節目を迎えた。この五カ年は、本山始め各教区においても様々な行事が執り行われ、各寺院・檀信徒一体となった慶祝期間となった。この成果を糧として、宗祖伝教大師の御心を今以上に敷衍し、混迷する現代社会の中に「忘己利他」の精神を根付かせていかなければならない。新しい年度を迎え、「一隅を照らす運動」各教区本部も新たな決意を持ってそれぞれ大会を開催した。

 第三十九回を迎えた「東京大会」は九段会館大ホールにおいて開催された。会場一杯の参加者を前に、東京を中心に関東一円の天台宗僧侶をメンバーとする「天台聲明音律研究会」や「天台雅楽会」の実演の後、白井のり子氏が「今を生きる」と題して講演。白井氏はサリドマイド被害児としての半生を語り、障害を有りのままに受け入れて生きること、何事も諦めずトライすることの大事さを語りかけ、健常者も障害者の自助努力を尊重することの大切さを指摘していた。
 「神奈川・川崎大会」は川崎市高津市民館で開催され、講師に作家・詩人の青木新門氏を招き「いのちのバトンタッチ」と題する講演が行われた。青木氏の著書「納棺夫日記」は葬儀社での経験を綴ったベストセラーで、その経験から「死」の在り方について語っていた。また、「信越大会」は伊那部・大願寺で行われ、小川晃豊宗議会議員(群馬教区)が「いまこそご先祖さまの供養を」との演題で講演を行っている。
 「東海大会」は名古屋市の覚王山日泰寺であり、教区檀信徒総会に引き続き開催、立松圓浄・覚王山日泰寺参務(同教区・吉祥院住職)が「一隅を照らす」と題して講演。十九日には、「兵庫大会」が加西市健康福祉会館で開かれ、山田能裕延暦寺一山瑞応院住職が比叡山の行事と修行を通して見た「比叡の四季」について講演を行った。
 いづれの大会でも同運動への関心も高く、災害救援の募金へも、多くの浄財が寄せられていた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

世界に苦しみがあり
生ある物が残っている限り
私も 残ります
世界の苦難をなくすために

ダライ・ラマ十四世「ノーベル賞受賞記念講演時の祈り」

 ダライ・ラマ十四世猊下がノーベル平和賞を受けたのは一九八九年十二月のことでした。
 約二十年前のことです。今日チベット問題がさまざまな波紋を呼んでいますが、置かれている状況は殆ど変わっていません。
 猊下は、囚われている同胞のために代わって発言しているが「自分は国や家や文化を破壊されたという怒りや憎しみで発言しているのではない」と明言されています。「自分たちを圧する人たちも、慈悲の対象になるのだから」と言われるのです。
 そして、今世界が直面している暴力、自然破壊、貧困、飢えなどは「みな人間が作り出した問題であり、それは相互理解や人類愛を育むことによって解決できる。仏教は敵すらも愛し、慈悲の心をもてと教えている」と指摘されています。
 伝教大師は「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と教えられました。ダライ・ラマ猊下の態度は、仏教者そのものに思えます。
 私たちも、祈りの集いを通じて世界の平和を訴え続けてきましたが、猊下の「戦争がないという意味での平和は飢えや寒さのために死に瀕している人にとっては、ほとんど何の価値もありません。拷問を受けている政治犯の苦痛を取り除くこともできません。平和とは、人権が尊重され、食べ物がふんだんにあり、個人と民族が自由でいられるところに存在するものです」という指摘は重く心に響きます。
 猊下は「真の幸福は、心の平安と足ることを知る心によってもたらされる。そして、この心は、利他の精神、愛、慈悲の心を育み、無明と利己主義と欲望を克服することで勝ち取ることが出来るのです」と語られたあとに、冒頭の祈りを捧げられました。

鬼手仏心

「子育ての重大さ」  天台宗出版室長  谷  晃 昭

 
 子育てすることの重大さと難しさを改めて感じる。
 東京・秋葉原で白昼起こった無差別通り魔事件は、加害者が残したメールや逮捕後の供述から、凶行にいたる精神的動きが次第に明らかにされてきた。小・中学校時代では、学業優秀であり、さほど問題視されていなかった子どもがどうしてこのような事件を起こすに至ったか。彼はその後、地元でも有名な進学高校に入り、その頃から心の中の葛藤を漏らし始める。曰く「私は人形ではありません」「親が書いた作文で賞をとり、親が書いた絵で賞をとる」等々。自我が芽生え自立心が旺盛になる時期、それまでの親子関係が、次第に窮屈になったのであろうか。それに加えて、有名進学校では、それ以前のように学業でも目立つことがなかったのだろう。挫折感が次第に深くなる。片一方では、大きな自尊心を抱えた少年の中に、得体の知れない怒りが根を張っていったのだろう。
 盲導犬には育成に欠かせない期間がある。生後二カ月から、一歳になるまでの間、パピーウォーカーと呼ばれるボランティアの家族によって深い愛情に包まれて暮らす期間で、これにより盲導犬は人間に対する強い信頼感を持つのだという。これがないと、いかに訓練しても盲導犬には育たない。犬と人間では違うと言われるかも知れないが、基本は同じではないだろうか。育児について、こうせよ、あれはするななど、いろいろと評論はあるが、一番肝心なのは、肌と肌を触れ合い、思う存分抱きしめてやる愛であろう。その上の躾であり、教育である。
 あれこれ理由を考えても、やってしまった凶行が許されるものではない。
 突然にして将来有る人生を断ち切られた被害者の無念さと遺族の悲嘆を思うと、慰めの言葉も無い。

仏教の散歩道

「四方サンガ」の理念

 “僧”という語は、インドのサンスクリット語の“サンガ”を“僧伽(そうぎゃ)”と音訳し、それを省略したものです。そして、“サンガ”は「集い・群れ・団体」を意味します。
 したがってサンガ(僧伽あるいは僧)は、本来は「仏教教団」を意味し、一人一人のお坊さんの意味ではありません。それが日本においては、いつのまにか僧といえば一人のお坊さん(出家者)を意味するようになり、複数形の場合はわざわざ“僧たち”と呼ばれるようになりました。
 それはさておき、サンガは仏教教団を意味します。そして、サンガには二種があります。
 -四方サンガと現前サンガ-
 です。日本仏教ではこの二つの区別をあまりしませんが、インド仏教では二つははっきり区別されています。
 ある土地に四人以上の比丘(びく)が集まったとします。比丘というのは出家修行者です。日本でお坊さんと呼ばれ、また僧と呼ばれている人です。で、ある土地に四人以上の比丘が集まると、そこに「現前サンガ」が出来るわけです。そして、この現前サンガは、サンガの構成員の合議によって運営されます。もちろん、サンガの構成員の一部が他の土地に移って、比丘が三人以下になると、その現前サンガは消滅することになります。
 ですから、この地球上には、多数の大小さまざまなサンガ(仏教教団)が、その都度、成立したり解消したりしているわけです。
 ところが、サンガはそれだけではありません。もう一つ、「四方サンガ」があります。
 この四方サンガの構成員は、いま現在の時点において地球上にいる比丘の全員です。いや、現在いる比丘ばかりではなく、これからの将来において比丘になる人たちの全員を含めています。
 いいですか、たとえば釈迦の時代に、インドの土地に大勢の比丘がいました。彼らは、それぞれの土地における現前サンガの構成員であると同時に、また四方サンガの構成員でした。しかし、四方サンガの構成員は彼らだけではなしに、遠い二十一世紀の日本で比丘となる者までも含んでいたのです。
 ですから、仏教教団は、いま現在の仏教者のためだけのものではありません。これから先、未来において仏教を学ぼうとする人たちのために、仏教教団は大きな責任を負っています。それが四方サンガの理念です。
 じつは、最近わたしは、アメリカ先住民の一つであるナバホ族のあいだで語られている言葉を知りました。
 《自然は祖先から譲り受けたものではない。子孫から借り受けたものだ》
 いい言葉ですね。この言葉から「四方サンガ」の理念を思い出したのです。この地球はいま生きている人間だけのものではありません。これから生まれてくる大勢の人たちを含めた「四方地球」です。そのことを忘れずにおきましょう。

カット・酒谷 加奈

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