天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第56号

第21回世界宗教者平和の祈りの集い

 十月二十一日から二十三日まで、聖エジディオ共同体が主催する「第二十一回世界宗教者平和の祈りの集い」がイタリアのナポリで開催され、天台宗も代表団を派遣した。同祈りの集いには、日本の各教宗派の代表団をはじめ、世界各国から代表的宗教指導者たちが参加、世界が抱える諸問題について意見交換し、共に世界平和の実現を祈った。

 今回の祈りの集いには全世界から約三万名が参加した。天台宗からは名誉団長の杉谷義純宗機顧問をはじめ、西郊良光顧問(前宗務総長)、濱中光礼団長(宗務総長)ら総勢二十三名が参加。
 杉谷名誉団長は、二十一日のオープニングセレモニーで「聖エジディオ共同体祈りの二十一年」と題して発言し、翌二十二日のフォーラムでは「暴力のない世界実現のための宗教間対話」について提言した。その中で杉谷名誉団長は宗教が政治に利用され、暴力が生み出す憎しみの連鎖の道具に使われている現状を分析、諸宗教が互いの霊性を認め、相互理解を踏まえた対話の必要性を主張した。更に対話の先に真の共生があり、「和解と許し」の地平が開けてくることを強く訴えた。 
 また、濱中団長は二十三日のフォーラムで「世界から暴力の根絶 日本宗教の果たす役割」について提言を行った。この中で濱中団長は、八月の比叡山宗教サミット二十周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」を踏まえて「自らの限られた世界観のみを正義として、他者を裁くという考えからは、決して世界平和は訪れない」と指摘。今夏の祈りの集いが、アフガンにおける人質問題にメッセージを発することで解決促進をはかったことについて触れ「世界から暴力、戦争が一日も早く消滅するように行動し続けていきたい」と決意を述べた。
 そして各宗教者は、同日夕刻、会場となったサンカルロ劇場から、フルビシート広場に移動し、平和の行進を行った。また、ファイナル・セレモニーには、ナポリターノイタリア大統領も出席した。

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 「原爆の子の像」に平和を祈り捧げる
 「世界宗教者平和の祈りの集い」の折り鶴
  
 この夏、八月三、四日に開かれた「世界宗教者平和の祈りの集い」において、天台青少年、ボスニアと広島の子どもたち、そして参加者一人ひとりが平和への祈りを込めて折った「折り鶴」が、去る十月五日、広島平和記念公園の「原爆の子の像」に捧げられた。「原爆の子の像」は、被爆して亡くなった子どもたちの慰霊と平和を築くために造られた像で、被爆し、十二歳で白血病で亡くなった佐々木禎子さんが回復を願って鶴を折ったことが像建立のきっかけとなっている。そのため、毎年世界中から折り鶴が捧げられている。
 同日は、祈りの集いの主催者を代表して、谷晃昭日本宗教代表者会議財務部長(天台宗総務部長)が「折り鶴」を持参し、「原爆の子の像」に捧げた。 

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

逆に聞きたいんだけどさ。どこを意図してんのかね、マスコミは?お金持ってるのが勝ち組で、持ってなくてピーピー言ってんのが負け組なの?

矢沢永吉「反セレブ宣言」

 お釈迦様が入滅される時、弟子たちが、「お釈迦様が亡くなられたら、私たちは何を拠り所として生きていったらいいのですか」と問いかけられました。
 お釈迦様は「自らを灯として生きなさい。法を灯として生きていきなさい」と教えられました。これは「自灯明法灯明」といって、お釈迦様の最後の教えになったといわれています。
 日本人は、この「自らを灯として生きる」という生き方が苦手のようです。常に他人の目を意識し、他人と比較しながら生きているようにみえます。これでは「他灯明」になってしまいます。
 背筋をピンと伸ばして、自信をもって生きたいと思います。
 どんなことをしても、お金を持てば「勝ち」で、「己を忘れて他を利する」生き方をしてもお金がなければ「負け」なんて、そんな馬鹿なことはありません。
 せめて、自分が幸せかどうかなんて、人様に決めてもらうのではなく、自分で決めなくてはおかしい。
 お釈迦様も伝教大師も「資産」など持っておられませんでした。「捨てる」ことこそ、大事だと教えられたのです。
 「評価」に右往左往し、お金の多寡で仕事を選ぶ人々をみると、まことに愚かな人だと思います。 
 もし、仮に勝ち負けというものがあるのなら、それは、その人が幸福であったかどうかでしょう。
 「ボロ軽トラしかないが、これから嫁と子どもを乗せて、夕食に行ってくる」と言った人がいます。一日の仕事を終え、今日はちょっと奮発して家族揃って外食に行こう!という幸せそうな情景が目に浮かびます。たとえお金が無くとも、彼こそ、勝ち組ではないかと思うのですが?
 少なくともブランドスーツに高級外車より、カッコいいではありませんか。

鬼手仏心

商売とは  天台宗出版室長 谷 晃昭

 
 がっかりするような食を巡る事件が相次ぐ。
 伊勢の名物「赤福」は、小生が伊勢神宮を参拝した昭和五十九年頃は確か、伊勢付近でしか販売されていなかったように記憶している。
 珍しさもあって、辛党の自分も食べてみた。見た目より上品な甘さが印象的であった。やがて、それが名古屋の駅でも見かけるようになり、京都の駅でも見るようになってきた。
 ご商売繁盛で何よりと思いきや、今回の消費者を欺く事件である。
 北海道では「白い恋人」なる菓子が問題になり、同じ北海道の食肉加工業者も不祥事で叩かれたが、ああ、「赤福」お前もか、と慨嘆するのは小生のみではあるまい。
 確かに今の世の中、商売は大きくするものと考えるのが経営者の常識かも知れないが、客からすればそうばかりとは言えない。
 ご当地だけにしかなく、そこへ行かなければ手に入らないもの。数に限りがあって、すぐ売り切れるもの。案外そういうものが密かに客の人気を呼び、口コミで広がっていくのものである。
 イタリア料理に最適なトマトを契約栽培して、大成功を収めた女性グループの話をどこかで聞いたし、朝露の降りる頃に収穫し、その日のうちに東京の料理屋へ卸す、という「幻の枝豆」なるものの噂も聞いたことがある。
 いずれも大規模ではなく、人間の手の届く範囲で、丹誠込めて生産しているものだろう。大量生産で小回りが効かなくなり、売り上げ至上で偽装をしてしまう経営とは無縁だ。
 要は生産者が絶対の自信を持ち、自慢して出せるものを作ることが重要なのであり、消費者もそのことを良く知っている。ただ売り上げにこだわった商売には、人はついてこないということである。

仏教の散歩道

井戸に落ちた月

 「大変だ、大変だ! 月が井戸に落ちてしまったぞ」
 あわて者の猿が大声で叫びました。その声で大勢の仲間の猿がやって来て、井戸の底をのぞき込みます。
 たしかに井戸の底には月が映っています。それで猿たちは、月が井戸に落ち込んでしまったと信じたのです。
 誰かがちょっとでも空を見ると、ちゃんと月があるのに、みんながみんな井戸の底だけ見て、月が井戸に落ちたと信じ込んだのです。
 そこで、猿たちは月を助けようと思いました。
 ボス猿が言いました。
 「みんなで協力して、月を救いだそう。まず、あの井戸の上の木の枝にわしが左手でつかまる。そして、わしの右手におまえがつかまれ。そのおまえに、そうだきみがつかまれ。順々に手をつないでいけば、井戸の底に届くだろう」
 その命令に従って、何匹もの猿が手をつなぎました。
 けれども、深い井戸で、木の枝も高いところにあったもので、なかなか井戸の底まで届きません。「もう一頭、もう一頭…」と、どんどん猿が増えていきます。
 すると、どうなるか、おわかりになりますよね。
 そうです。猿たちの重さに木の枝が折れてしまい、猿は全員、井戸に溺れて死んでしまいました。
     ◎ 
 「あなた方に、この話の意味がわかるだろうか…?」
 お釈迦さまは説法に耳を傾けていた弟子たちに問い掛けられました。
 「この猿は、人間の愚かさを象徴しているのだよ。愚かな人間は、物質的に豊かになると幸福になれると錯覚している。そこで、みんなで力を合わせて、物質的豊かさを獲得しようとする。それは、ちょうど井戸の中の月を取ろうとするようなものだ…」
 笑い話だと思って聞いていた弟子たちは、ちょっとびっくりしたような顔をしています。
 お釈迦さまは説法を続けられました。
 「愚かな人間は金儲けに血眼になって、みんなで働け、働けとやっているうちに、病気になって倒れてしまう。物質的豊かさが幸福をもたらしてくれると錯覚するから、そのような失敗をするのだよ。本当の幸福は、むしろ少欲によって得られるものなのだ。欲望を少なくすることが、真の幸福への道なのだよ。あなた方は、そのことを忘れずにしっかりと覚えておきなさい」
 このお釈迦さまの説法は、なんだかいまの日本人のための説法のように思われます。
 『摩訶僧祇律』(まかそうぎりつ)(巻第七)に出てくる話です。

カット・酒谷 加奈

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