天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第54号

比叡山宗教サミット20周年記念
「世界宗教者平和の祈りの集い」を開催

 比叡山宗教ミット二十周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」(主催・日本宗教代表者会議)が、八月三日、四日の両日、国立京都国際会館並びに比叡山延暦寺を会場に開催された。テーマは「和解と協力」で、世界各国十九カ国からの宗教指導者を含め、国内外から約二千名が参加、未だ収まらない紛争状況や地球の環境問題について論議を交わした。二日間に亘る集いの集約として、「『和解と許し』によってこそ、平和がもたらされる」との比叡山メッセージを比叡山上から世界に向け発信した。

 二十周年を迎えたこの祈りの集いが持つ最大の課題は、「対立と憎悪」を克服し、いかに「和解と許し」を獲得するか、であった。
 三日のオープニングでは、その「和解と許し」を実践しているボスニアのコミュニティー・ガーデンの少女四人が登場。彼女らは、互いに争った民族と宗教の違う人たちが、憎しみを乗り越えて暮らす共同農園で生活しており、被爆地広島の子どもたちと共に、紛争や対立もなく互いを隔てる境界のない、平和な世界の実現を訴える絵とメッセージを発表し、会場から大きな共感を得ていた。
 この後、主催者を代表して濱中光礼事務総長が開会の挨拶を行い、続いて国連事務総長、ローマ教皇、世界仏教徒連盟会長らのメッセージの披露、バチカンのフェリックス・マチャド師(教皇庁諸宗教対話評議会次長)、サウディアラビアのアアブドゥラー・アルレヘダン氏(イスラム問題・寄進・宣教・善導省イスラム問題審議官)の記念講演があり、最後に杉谷義純事務局顧問をコーディネイターとし、「和解と協力ー宗教・民族・国境を越えて」をテーマにシンポジウムが行われた。パネリストにはキリスト教、仏教、イスラーム、ユダヤ教、諸宗教などから七名が出席した。
 四日は午前中、二つのフォーラムが開催され、「諸宗教間の対話と協力ー紛争和解から平和構築のためにー」、「自然との和解と共生ー宗教者は地球環境保全のために何ができるかー」をテーマに意見を交換した。
 午後からは会場を比叡山延暦寺根本中堂前広場に移し、「世界平和祈り式典」を開催。ボスニアと広島の子ども達により「世界平和の鐘」が打ち鳴らされたのを合図に、参加者全員が平和への黙祷、続いて半田孝淳名誉議長の挨拶の後、内外の諸宗教代表がそれぞれの宗教儀式に則り、祈りを捧げた。
 また、参加者や天台青少年が折った千羽鶴でボスニア、広島、天台青少年たちが地球型オブジェを作成し、一日も早い世界平和を祈った。
 最後に「『対立と憎悪』からは解決の道は決して生まれず、愛と慈悲に基づく『和解と許し』によってこそ初めて平和がもたらされることを強く確信する」との比叡山メッセージが発表された。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

一粒の卵のような 一日を
わがふところに 温めている

山崎方代    

 山崎方代は「漂泊の歌人」、あるいは「昭和の山頭火」と呼ばれています。
方代は本名で、八人兄弟の末っ子として生まれましたが、彼が生まれたときに生きていたのは、長女と五女だけで、両親は「生き放題、死に放題でいい」というので、こう名づけたといいます。
 太平洋戦争で右眼を失明し、左眼の視力もほとんどなくなり、姉の世話になり、街頭で靴の修理などをしながら各地を旅した人です。種田山頭火と同じ自由律の名歌をいくつも残しました。
自らを「無用の人」といい、世間から離れるように暮らしていた方代は、生涯独身の孤独な生活をおくりました。方代の歌はわかりやすく、難解なところは少しもありません。
 「手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る」という歌は、過剰包装の見直しや、レジ袋削減といった昨今の風潮からみれば、あらまほしい風景かもしれませんが、単に豆腐を入れる鍋がないという貧乏くさいものです。しかし、方代の「豆腐を買ったぞ」という嬉しさがひしひしと伝わってきて、こちらもつい嬉しくなってしまいます。
 表題の歌は、大切な一日を、この時代にまだ貴重品だった卵のようにして、自分のふところに大事に、大事に温めているというのです。時間は、誰にも等しくあります。それを忙しく使うか、ゆっくりと過ごすかは、その人次第です。けれども、ある程度生きて自分の人生を振り返るとき、懐かしく思い出すのは、ゆっくりと過ごした時のことばかりです。こう思うと、方代は孤独ではありましたが、不幸せではなかったように思います。
 「一粒の卵のように大事な一日」をどれだけ持てるか、その時間を自分のふところでじっくりと温めることができるかどうかが、豊かさの基準のように思います。

鬼手仏心

月を愛でる  天台宗出版室長  谷 晃昭

 
 眺むれば 心の内に入りけり 比叡の高嶺の 秋の夜のつき
 叡山流福聚教会の詠歌の一曲である。この曲がしみじみと感じられる季節となる。
 比叡山は琵琶湖の西岸に位置している。その山上にある延暦寺会館あたりから見ると、近江富士と言われる三上山が東岸に眺められる。 
 この山の端あたりから昇った月が仲秋の空にくっきりと懸かり、その光が琵琶湖の湖面にキラキラと光っている。 月の名所といえば、石山寺がまず上げられるが、比叡山から眺める月もなかなか良い。機会があったら一度ご覧あれ。
 地上から月を愛でるという情緒だけでは飽きたらないのか、人類が月に降り立ったのは、一九六九年七月のことであった。
 アメリカのアポロ十一号からの中継放送に息を呑みながら見入ったことを覚えている。次第に月面が近づいてくる。なにか砂か埃のようにもみえる。岩の影だろうか、ところどころに黒い模様が写っている。意外に衝撃もなく着地船が月面に着いた。人類が初めて他の天体に接触した瞬間である。こんな具合であったと思う。
 これは大したことだと思い、いよいよ宇宙時代が始まったと思ったものである。しかし、その後の宇宙開発の進展具合をみると、やはり宇宙旅行はそれほど易しいものではないらしい。
 有人月面探査はアポロ十七号まで行われたが、その後はスペースシャトルや無人探査へと方向が変わり、人類は月に行かなくなった。しかし確実に月のまわりに増えているものもある。各国の宇宙船やロケットから宇宙空間に出たゴミである。とうとう人類は宇宙まで汚してしまった。困ったものである。
 やはり、月は比叡山から静かに眺めるのが良いようだ。

仏教の散歩道

約束の破棄

 わたしたちは約束を破ったとき、ほんの少しは忸怩(じくじ)たる思いをします。〈済まない〉〈申し訳ない〉と思うのですが、そのあとすぐに、〈でも、仕方がなかったんだ〉と、約束を破らざるを得なかったあれこれの事情を言い立てて、自己を正当化します。子どもと遊園地に行く約束をしていた父親は、
 「会社の出張が入ったんだよ。仕方がないんだよ。来週、連れて行くからね」
 と弁明して終わりです。正統な理由があれば小さな約束は、破っていいと暗々裡に思っています。
 まあ、実際約束を履行せねばならないか、破棄してよいかは、新たに発生した事柄の大小によって決定されます。父親が危篤になったとき、恋人とのデートの約束は破ってよいと判断されます。それが常識ですよね。
 そこでイスラム教徒は、約束をするときに、必ずそこに、
 「イン・シャー・アッラー」
 の言葉を付け加えます。これは、「神の思(おぼ)し召しがあれば」、「もしも神がそれを望んでおられたら」といった意味です。だから、たとえば、
 「あす十時にお会いしましょう。神がそれを望んでおられたら(イン・シャー・アッラー)」
 となるわけです。イスラム教の聖典『コーラン』が、そのように言えと命じています。
 最初わたしは、このようなやり方は責任逃れのように思えていやでした。ずるいと思ったのです。けれども、よく考えてみれば、われわれ日本人のほうがずるいですね。重大な事情が発生すれば、小さな約束なんて破ってよいと思っているのですから。ある有名人などは、約束の時間に四時間も遅刻しながら、これこれしかじかの公用が発生したもので…と、その事情だけを説明するだけで、謝罪はいっさいしませんでした。彼は、自分のほうに正当な理由があれば、相手は待たねばならないと思っているのです。汚い人間です。
 では、わたしたちは、「約束」というものをどう考えればよいのでしょうか?
 わたしは、仏教者であれば、人が人と約束する前に、人は仏と大きな約束をしていると考えるべきだと思います。その大きな約束とは、
 ― 仏よ。私は人間としてあるべき道を歩みます。それゆえ、自分の勝手な都合のために、或いは自分の私利私欲のために、他人の不利益になるようなことはしません。仏よ、わたしはそのことをお約束します ―
 というものです。そして、この約束にもとづいて、他人との約束を破ってよいか否かを判断すべきです。また、どうしても約束を破らざるを得ないと判断したら、相手に詫びると同時に仏に謝罪しなければなりません。
 そのような約束を仏としている人が仏教者です。したがって無宗教な人間は、自分の都合のためには相手を騙し、約束を破っても平気でいられる人です。

カット・酒谷 加奈

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