天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第48号

比叡山宗教サミット20周年に向けて

 「比叡山宗教サミット二十周年記念『世界宗教者平和の祈りの集い』」が開催されるにあたり、二月十六日、日本宗教連盟協賛の五団体、また世界宗教者平和会議日本委員会、世界連邦日本宗教委員会によって、主催団体である日本宗教代表者会議が結成され、発会式が行われた。今回のテーマは「和解と協力」と決められた。

 比叡山宗教サミットを開催するために日本宗教界が結集して「日本宗教代表者会議」が結成され、サミット十周年記念に続き、二十周年記念に向け、今回も代表者会議が結成された。
 発会式は、京都市内のホテルで開かれ、約五十名の教団関係者が出席した。
 冒頭、濱中光礼天台宗宗務総長が呼びかけ人として挨拶。その後各種委員長の選出に移り、常任委員長に田中恆清神社本庁副総長を、また運営委員長に宮本けいし妙智會教団理事長を選出した。
 会議は、宮本運営委員長を議長として運ばれ「力によって相手に罰と償いをもとめるならば、それは、対立と憎悪の再生産にしか繋がらない。まずは、対立するものどうしの相互理解が不可欠である。相互理解とは、相手の立場に立つことであり、それは自らを深く問うという宗教的な営みである」ことを骨子とした開催趣意を採択した。
 役員の選出では、名誉議長は半田孝淳天台座主とし、各教団からの名誉顧問・議長団を決定し、事務総長には濱中総長が就任した。更に、顧問、相談役、参与、監事に続いて事務局と各種委員会構成も決定。続いて、開催期日を本年八月三、四の両日とすること、および歳入歳出予算案を可決した。
  発会式の席上、半田孝淳名誉議長は宗祖伝教大師の「一身弁じ難く、衆力成じ易し」の言葉を引いて「一人の力では出来にくいが、大勢の人々の力を借りれば成功する。それぞれの立場からご協力を賜って『比叡山宗教サミット二十周年記念世界宗教者平和の祈りの集い』の成功を期したい」と参加者全員の協力を呼びかけた(写真)。この代表者会議発足により、八月の開催に向け実動態勢に入った。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

人間は一生のうち
逢うべき人には
必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、
一瞬遅すぎない時に

森 信三

 森信三さんは、国民教育の師父といわれた人です。
 教育者として、日々実践し、苦労された経験から生れた言葉です。
 生れてから、学生時代まででも、私たちは様々な出逢いを体験します。
 父母や兄弟、師、友人、そして社会人となってからは、それこそ毎日のように出逢いと別れを繰り返します。
 その中でも、特に大事な出逢いは、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時にと、いわれてみると、ハッとする思いです。
 人はしばしば、不思議な体験をします。それを運命といったり、因縁といったりしますが、人は死ぬまでに、必ず決められた出逢いがあります。
 出逢いは、人間同士とは限りません。書物であったり、仕事であったり、またあなたの中にある仏さまであったりします。
 むしろ、その時の衝撃の方が深い。一生のうちに逢うべきものには、必ず逢えるのです。早すぎず、遅すぎない時に。
 そう考えて生きれば、毎日がわくわくします。

仏教の散歩道

「こだわるな!」

 和尚さんが縁側で足の爪を切ろうとしていました。
 そこに檀家の年寄りがやって来ます。
 その年寄りが和尚さんに言いました。
 「和尚さん、きょうは仏滅ですぞ。仏滅の日に爪を切ってはいけないと、昔から言われているじゃありませんか。やめたほうがいいですよ」
 「ああそうかい。わしゃ、とんと忘れてしまっていた。それじゃあ、やめるよ」
 和尚はあっさりとやめました。
 それから小一時間ばかり、和尚と檀家の老人は談笑していました。そして、老人は帰ります。
 すると和尚は、すぐにまた縁側に行って爪切りを始めました。
 びっくりしたのは小僧さんです。
 「あれ…?!和尚さん、きょうは爪切りをやってはいけない日ではないのですか…?」
 「なあに、もう仏滅は帰ったから、いいんだよ」
 和尚さんはにこにこ笑いながら爪を切っていました。
    *       *
 雲門文偃(うんもんぶんえん)という中国、唐の時代の禅僧は、
    《日日是好日(にちにちこれこうじつ)》
 と言っています。一年三百六十五日、どの日もどの日もすばらしい日なのです。それなのに私たちは、その三百六十五日を、きょうは大安、きょうは仏滅、友引だなどと差別しています。雲門禅師は、そんなふうに差別することをやめて、毎日毎日を好日にせよと教えているのです。したがってこれは、日々が好日であるといっているのではなく、日々を好日にせよというのです。
 ということは、仏滅に爪を切ってはいけないとか、友引にお葬式をやってはいけないとか、こだわる必要はありません。そんなのは、迷信です。なにも迷信にこだわる必要はありません。仏教は、
 -こだわるな-
 と教えています。変なこだわりを持つと、わたしたちの生き方が窮屈になります。
 けれども、われわれは「こだわるな!」と教わると、その「こだわるな!」にこだわってしまいます。その結果、誰かが「仏滅に爪を切ってはいけない」と言えば「そんな迷信にこだわるのはよくない」と反論し、喧嘩になりかねません。喧嘩にならないまでも、感情的なしこりが残ります。
 それは、つまりは「こだわるな!」にこだわっているのです。「こだわるな!」ということは「こだわるな!」にもこだわってはいけないのです。
 それには、あの和尚さんのやり方がよさそうです。仏滅さん(迷信かつぎの老人)がいるあいだは爪切りをやめて、仏滅さんが帰ってから爪切りをすればいいのです。それが、おとなのやり方ですね。 

カット・酒谷 加奈

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