天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第41号

戦没者慰霊・世界平和の祈り
開宗1200年慶讃大法会記念特別事業
今年も広島で祈念法要厳修

 七月十四日、広島平和記念公園において開宗千二百年慶讃大法会「戦歿者慰霊・世界平和の祈り」法華経読誦法要が、酒井雄哉大阿闍梨を導師として執り行われた(写真下)。
 昨年に厳修された「戦歿者慰霊・世界平和の祈り」採灯護摩供法要の後を受け、本年も開宗千二百年慶讃大法会記念事業として営まれた。

 同日の法要は午後二時より、広島平和記念公園の原爆供養塔前を会場として行われた。七月半ばとはいえ、梅雨空そのままのどんよりとした空模様であったが、地元広島を始め、近県などから多数の随喜者が参集。酒井大阿闍梨の下、原爆犠牲者七万人の遺骨が眠る供養塔前で、原爆犠牲者・第二次世界大戦での犠牲者の鎮魂と世界平和への祈りを捧げた。
 酒井大阿闍梨は法要にあたり「平和記念公園、原爆犠牲者供養塔の浄域において、天台宗の開宗千二百年を慶讃し、第二回の『戦者慰霊・世界平和の祈り』の法会を修し奉る」との言葉を捧げ、「極楽天上の諸尊霊の鎮魂に丹誠を凝らし、敢えてその被災を微塵たりとも忘ることなく」と戦争犠牲者を追悼すると共に、この地球上に一日も早く、恒久的な平和が訪れることを随喜者共々、祈念した。また、法要終了時には、酒井大阿闍梨より随喜者一人ひとりにお加持が行われた。
 同法要は、天台宗の寺院も少なく、天台宗の教えに接することがあまりない、沖縄、鹿児島、広島の三県を重点的に布教しようと、開宗千二百年を機に企画された「三県特別布教」の一環として営まれた。また、世界で唯一の被爆国日本の原爆投下の地、広島において、世界平和を希求し、祈念する法要を営むことは、宗教サミットの開催など宗教の垣根を越えて平和を求める運動を続けている天台宗にとっても、大きな意義を持つものである。
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天台宗 教学部長に水尾寂芳師

 天台宗務庁の教学部長に水尾寂芳師(延暦寺一山・禅定院住職)が七月一日付で就任した。
 教学部長であった谷晃昭師が去る五月末に総務部長に就任し、教学部長職はこれまで谷総務部長が代行してきたが、今回、水尾師の就任が決まったもの。
 水尾新教学部長は、昭和三十二年生まれ、四十八歳。大阪大学大学院文学研究科卒。大僧都。開宗千二百年慶讃大法会事務局幹事、延暦寺総務部長などを歴任している。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

ハーモニカがほしかったんだよ
どうしてかどうしてもほしかったんだ
ハーモニカがほしかったんだよ
でもハーモニカなんて売ってなかったんだ
戦争に負けたんだ
カボチャばかり食ってたんだ

谷川俊太郎/ハーモニカブルース

 六十一年前に、日本は、戦争に負けました。敗戦当時は、食べるものにも事欠くひどい生活でしたが、今日、平和と繁栄を築きました。 
 戦場には警報はあっても音楽はありません。人を殺し、自分も殺されるかもしれない場所に「憩い」は不要だからでしょう。
 このハーモニカブルースは、俳優の小沢昭一さんが舞台でよく歌っておられるので、小沢さんの作詞だとばかり思っていましたが、調べてみると詩人の谷川俊太郎さんの詩でした。
 小沢さんも、谷川さんも戦争が終わったときは十代の少年です。
 平和がやってきた時、少年が真っ先に思ったのは「ハーモニカが欲しい」ということでした。体も飢えていたでしょうが、心の飢餓感はそれをずっと上回ったのです。
 もしハーモニカが手に入ったら、彼らは平和の空の下で思い切り吹いたでしょう。ハーモニカからは、どんな音楽が溢れ出たでしょうか。 
 小沢さんは「『八月十五日』を境に、いのちを粗末にする時代から、いのちを大切にする時代にかわったのです」といっています。
 世界は今も中東をはじめあちこちに「戦争」があります。その人々が、音楽を楽しむ日が早く訪れるように願います。

鬼手仏心

「ゆとりの子育て」 天台宗出版室長 谷 晃昭

 
 日本の人口より、もしかするとペットの数が多い、などというジョークがある。
 ややこしい人間の付き合いより、ペットに心休まることのほうが多いのだろうか。
 巷(ちまた)ではペットの肥満が問題となり、獣医院では糖尿や、心臓を患い治療に訪れる飼い主が行列し、はたまたペットのためのダイエットトレーニングが大流行である。
 はたしてペットは、この状況を幸せに感じているのだろうか。
 大多数のペットはペットショップで商品として取引され、飼い主の元にやってくる。商品価値が高いのはやはり愛くるしい子犬や子猫であり、少し大きくなるとなかなか買い手がつかない。
 確かによちよち歩きの子犬など見るといかにも可愛く、ほっておけない気持ちになるのもなるほどと思う。
 しかし、あまり早い時期に親から引き離した動物は成長過程でその心理にいろいろな影響が出るという研究報告を聞いた。
 ネズミを使った実験では十分な時間、親元で育てたグループ(A)と生後まもなく親から離し生育したグループ(B)を観察した結果、Aグループに対してBグループは不安傾向が強く、行動範囲も狭い。
 また、他のネズミに対する攻撃性も高く、さらに親になった時にも育児放棄などの行動が多いという。
 ネズミのことが犬や猫や人間に当てはまるかどうかということはあるが、この報告を聞いて、いささか感じることがあった。
 すなわち、現在の少子化対策もただ単に託児時間の延長とか、〇(ゼロ)歳児保育を増やすなどとかではなく、子育ての原点を考え、母親がゆとりをもって子育てに専念できる環境を調えることが大切なのではなかろうか、と思う。

仏教の散歩道

世間を馬鹿にする

 仏教は基本的に「出世間」の教えです。
 と言えば、世をはかなんで隠遁することだと早合点されそうですが、そうではありません。
 「出世間」というのは、
 -世間の物差しを捨てるこ
と-
 だと思ってください。あるいは、ちょっと挑発的な表現になりますが、
 -世間を馬鹿にすること-
 です。わたしたちは世の中の価値観に縛られて生きています。それでさまざまな悩みを抱えています。いちど世間の価値観を離れて自由になってごらんなさい。そうすると、ほとんどの悩みが吹っ飛んじゃいますよ。仏教はそのように教えています。
 たとえば、わたしたちは、おいしい物を食べたいといった欲望を持ちます。欲望を持つこと、そのことが悪いのではありません。問題は、おいしい物を食べたいと思うところにあります。
 というのは、おいしい物というのは世間の物差しが使われています。
 わたしたちは、高級料亭で食べる料理がおいしいと思っています。高い金を払わないとおいしい物が食べられないと思っています。でも、高級料亭に行って高い金を払ってもおいしい物が食べられるとはかぎりません。誰だって好き嫌いがあるのですから、嫌いな物が出てきたらおいしいとは思えません。それに同席の人がよくないと、料理はちっともうまくありません。
 では、どうすればよいのでしょうか……?
 世間を馬鹿にすればいいのです。
 世間がおいしい物だという、そういう物差しを捨ててしまって、おいしい物を食べたいと思わなければいいのです。
 そのかわりに、
 -おいしく物を食べよう-
 と考えます。これであれば、わりと簡単にできそうです。
 たぶんテレビで紹介されたのでしょう。ラーメン屋の前に行列ができています。わたしはあれを見て、〈馬鹿だなあ……〉
 と思います。行列に並ぶ人たちは、世間の物差しに踊らされているのです。他人が食べておいしいと思った物が、自分にとっておいしいかどうかわかりませんよ。わたしにとっては待たされることがいちばん不快です。待たされるだけで料理がまずくなります。
 それよりはすいている店に入って、おいしく食べることを考えます。すいている店でゆったりと食べた方が、料理はおいしくいただけます。
 それが、つまりは「出世間」ということだと思います。世間の価値判断を無条件に信用せず、主体性をもって生きる生き方をする。それが「自由」ではないでしょうか。この場合の「自由」は「自分に由る」という意味です。その反対が「世間由」です。わたしはそのように考え
ています。

カット・酒谷 加奈

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