天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第28号

仏教者が平和の架け橋に
-比叡山宗教サミット18周年-8月3、4日に開催

 世界平和を祈念する「比叡山宗教サミット十八周年 世界平和祈りの集い」が、八月三、四日に開催される。一九八七年に第一回サミットが開かれて以来毎年行われており、今年は十八周年となる。今回は「平和の架け橋を求めて アジア仏教者との対話集会」をテーマとし、仏教が平和のために何が出来るのかを各国の仏教者や諸宗教代表者と話し合い、共に平和のために祈る。

 今回は「キリスト教とイスラム教の対立を世界の人々が危惧している中で『仏教が、平和の架け橋となるべきだ』という声を受けて」との開催趣旨を打ち出している。
 海外から招聘する宗教代表はタイ、カンボジア、中国、台湾、韓国、スリランカ、バングラデシュ、インド、アメリカ、マレーシアの十カ国十三名。そのうち仏教が十一名、キリスト教一名、イスラム教一名の予定。
 三日は京都市のウェスティン都ホテルにおいて、作家の瀬戸内寂聴師が「無償の奉仕の力」、タイのパイサーン・ウォンボラビシット国民和解委員会委員が「仏教者とは平和のための媒介者である」と題して記念公演を行う。
 また四日、午前中は同ホテルで「紛争和解のために仏教者は何ができるのか」をテーマとしてシンポジウムが行われ、午後からは会場を比叡山に移し、出席者全員で世界平和のための祈りが捧げられる。

 信頼と尊敬は共に困難な道を歩むときに -渡邊座主猊下

 渡邊惠進天台座主猊下は、開催に向けて「平和の実現とは、お互いの多様性を認め、共存することです。そのことは、決して平坦ではなく、対立する民族同士はもちろん、今回、その橋渡しをしようとする私たち自身が、時に自らの骨を削るような苦しみにさらされることでしょう。しかし、価値観の違う者どうしの相互の信頼と尊敬は、共に困難な道を歩むときに生れます」と述べられている。
 また西郊良光天台宗宗務総長は「これまでのサミットを通じて、どの宗教も平和を求めていない宗教はないと知った。この貴重な財産を基に、今回は、アジアの仏教者が平和実現のために、相争う人々への理解の架け橋となる道を話し合いたい」と決意を語っている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

おかあさん
「おぼん」って
心がかえってくるんでしょう
でも わたし
おにいちゃんの
からだに
かえってきて
ほしいの
   大高 充代(東京・五歳)

「ママに会いたくて生れてきた」川崎 洋編・読売新聞社刊

 どうですか。何も説明はいらないと思います。
 でも、こう言われたお母さんは、ちょっとかわいそうですね。
 きっと、泣いてしまったんじゃないかな。
 大人は、ぐっと我慢することもできますが、子どもは、悲しみをこんなにストレートに表現します。
 お盆は、亡くなった人の心が、家族の心に帰って来る日であり、亡くなった人を家族みんなで偲ぶ日でもあります。それでも、やはりからだは、帰ってきてくれません。
 仏教では、この世に残された人がいつまでも悲しんでいては、亡くなった人も悲しさが尽きないので、早く忘れてあげることが供養になるのだと教えています。「倶会一処(くえいっしょ)」といって阿弥陀様のおられる極楽浄土で、いずれは、また会えるし、一緒になれるのですから。
 旧暦の七月十五日がお盆です。正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)といいます。東京は今月で、全国的には八月。
 昔は、ご先祖様の霊をお迎えするために、提灯を持ってお寺に行き、火をつけて家まで帰ったものでしたが、もう提灯を持っている家は、ほとんどなくなりました。

鬼手仏心

旧日本兵が生存?  天台宗出版室長 工藤 秀和

 
 フィリピンのミンダナオ島で、元日本兵二人が生存しているというニュースが流れました。実名まで出て報道されましたが、その後全く消えてしまいました。
 現地では、日本兵をめぐる詐欺まがいのビジネスがはびこっているということです。日本大使館もマスコミも、すっかり騙されたようです。
 現地での戦闘は、激烈を極め、部隊もばらばらになってしまったために、誰がどこで戦死したのか、あるいは負傷したまま置き去りにされた人がどうなったのか、さらには餓死したのか、詳しいことは日本にもアメリカにも分らないのです。今も分りません。
 かつて横井さんや小野田さんが長くジャングルに隠れて出てこなかったのは、終戦を知らなかった(信じなかった)からです。上官の命なく投降すれば、死刑になると軍隊でたたき込まれていたからです。
 日本兵生存の未確認情報は、まだ戦後が終わっていないことを印象づけました。
 フィリピンは、昭和十九年にアメリカ軍がレイテ湾上陸を開始し大決戦が行われた地です。情勢が絶望的であるために、日本は前線基地のマラバカットに初めて「神風特攻隊」を組織しました。彼等が飛行機に爆弾を積んでひとたび出撃すれば、還らなかったことはよく知られています。
 フィリピン、つまりレイテ島、ミンダナオ島、ルソン島など周辺での日本人戦死者は四十七万六千八百人と発表されています。生き残った人々も、ジャングルで泥水をすすり、草を食べるような悲惨な体験をしました。
 天皇・皇后両陛下も、初めて中部太平洋地域での戦跡訪問として、サイパン島慰霊に訪れられましたが、今も、かつての戦地に生存者がいる可能性があるなら、国は総力をあげてその救出に力を尽くすべきでしょう。

仏教の散歩道

中道の精神

 お釈迦さまは二十九歳のとき、釈迦国の太子の地位を捨てて出家されました。そして出家をした直後は、断食を中心とした激しい苦行を修されます。だが、苦行によっては真理に到達できないことを悟ったお釈迦さまは、そこで、
 -中道-
 を歩むことにされました。その結果、お釈迦さまは悟りを開いて仏になられたのです。
 それゆえ、仏教の根本精神は中道だと思います。
 それでは、中道とは何でしょうか…?
 それは、お互いに矛盾対立する二つの極端から離れて、ゆったりとした道を歩むことです。苦行は一つの極端であれば、快楽に溺れることももう一つの極端です。そうした極端を離れて、ゆったりと道を歩むのが中道です。
 そうですね、たとえば憎しみの炎を燃やすのは一つの極端です。けれども、だからといって憎んではならないと誡(いまし)めるのも、またもう一つの極端です。その二つの極端から離れることが中道です。
 ある仏教学者が、隣家からの貰い火で、大事な蔵書や研究論文を全部失ってしまいました。それで彼は、隣家の主人を怨みます。なんとかして仕返しをしてやろうと、そればかりを考えていました。
 だが、しばらくして彼は気がつきました。
 〈自分は仏教を学んでいる人間ではないか。その自分が仕返しばかりを考えている。これじゃあ、何のために仏教を学んでいるのかわからぬではないか〉
 そこで、彼は考え方を変えようとします。それまでは、隣の人に大事な蔵書を「焼かれてしまった」と考えていたのを、あれは自分で「焼いたのだ」と思うようにしようとしたのです。「焼かれた」から「焼いた」への転換を図ったわけです。
 でも、それは失敗に終わります。あたりまえです。自分が焼いたわけがないのに、それを自分で焼いたのだと思えるはずがありません。
 ところが、そのうちに仏教学者は気がついたのです。あれは「焼かれた」のではない、「焼いた」のでもない、ただ「焼けた」と見るべきだということに。
 そうすると、しばらくして彼は心の平安を得ることができたのです。
 わたしはこれが中道だと思います。すなわち、「焼かれた」と見るのは一つの極端です。それは被害者意識であって、それだと憎しみが募(つの)ります。しかし、「焼いた」と見ることによって憎しみを捨てようとするのも、もう一つの極端です。そんな極端によっては、問題を解決することはできません。
 「焼かれた」と「焼いた」の両極端を離れて、ただ「焼けた」と見るのが中道です。中道によってこそ、わたしたちは問題を解決することができるのです。

カット・伊藤 梓

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