天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第24号

海外開教にエール
-ニューヨーク別院・インド禅定林 諸事業への助成を決定-

 天台宗では、昨年十一月二十五日に開かれた「開宗千二百年慶讃大法会海外支援事業調査特別委員会」(清水谷善圭委員長)において、ニューヨーク別院(聞真・ポール・ネイモン住職)の本堂建設などの諸事業に対して五千万円と、インド禅定林(サンガ・ラトナ・マナケ法天住職)にも三千万円の助成を行うことが決定。
 去る二月に開催された第百七回通常宗議会で、同委員会の報告が了承され、助成金が交付される運びとなった。

 ニューヨーク別院は、ネイモン住職が一九九五年に「カルナ・天台・ダルマセンター」を設立、これまで馬小屋を改築した仮本堂で天台宗の教えに基づく布教を進めてきた。日本の天台宗とは四年前に包括関係を結び、昨年六月には、森定慈芳総本山延暦寺執行を導師に迎えて本堂の地鎮祭を執り行った。本堂の落慶は本年六月の予定であるが、完成すればアメリカ本土初めての開教拠点となり、期待が集まっている。
 ニューヨーク州イースト・チャダムにある同別院の信者は全員がアメリカ人で、布教もすべて英語で行われている。本紙の「アメリカ布教において、一番難しいことは何か」という問いに、ネイモン住職は「天台の法を弘めることが難しいのではなく、いかにアメリカ文化に合う布教が出来るのか、その手法を考えることが一番困難なことです」と答えている。日系人と違って、日本文化を全く知らないアメリカ人に対して法を説くのは初めての試みである。それだけに天台宗との密接なコミュニケーションや、布教システムの早期確立などが必要不可欠となるわけである。ニューヨーク別院は経済的にも決して豊かでないだけに、今回の助成はアメリカ開教への大きなエールとなった。

-天台の教えを世界に弘める-

 また、インドの地において大乗仏教復興の拠点として大本堂の建設を進めている「インド禅定林」に対しても今回助成が決まったことで、二〇〇七年の完工に向け大きな弾みとなった。サンガ師は少年時にインドから来日、比叡山において天台仏教を学んでいる。仏教の発祥の地でありながら、インド仏教は十三世紀始めに滅んでしまったが再びその地に仏教を復興させようと故国に帰り、インド社会の底辺層の人々の間に分け入り、様々な活動を行っている。昨年五月には青少年教育と福祉活動の功績が認められ、外国人として初めて正力松太郎賞を受賞、六月には正式に天台宗海外寺院としての承認を受け住職となっている。
 今回の助成に当たり、西郊良光天台宗宗務総長は「外国の地において天台の教えを弘めることは困難なことだが、出来る限りの支援を行いたい。天台の教えがアメリカ、インドそして全世界に弘まることになると信じている」と語っている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

よき細工は、少しにぶき刀を使ふといふ。
妙観が刀はいたくたたず。
(腕のいい細工師は、切れ味の少し落ちる小刀を用いるそうだ。彫刻の名人、妙観の小刀はあまりよく切れない。利きすぎる腕を、ほどよく抑えるためである)

徒然草(第二百二十九段)

 切ることが目的である以上、刃物は切れ味が大事です。
 しかし、切られる側からすれば、鋭利な刃物が最上とはいえません。
 木も生き物である以上、相性というものがあります。自分を生かしてくれる微妙な刃当たりを求めます。
 まして、人間ならなおさらです。概して利け者といわれる人は、自分を基準にしますから鈍い人を見下しがちです。それでは、下のものはたまりません。一人ひとり素材は違っているのが当たり前、その個性を生かしていく事の方が大事なのです。
 人と人との間には、言葉で言い現せない玄妙なやりとりがありますから、頭の切れ味鋭く、仕事もばりばり出来るけれど人情味のない人より、少しぐらい鈍くても温かい人の方に人望は集まります。
ある有名な陶工が「完璧な器はどこか冷たく、日常生活では使う気がしないものだ」といっていました。
 切れすぎる刃物というのは、常に自分自身をも傷つけるおそれがあるということを忘れないようにしたいと思います。

鬼手仏心

四 季  天台宗出版室長 工藤 秀和

 
 まだまだ寒い日が続きますが、冷たい風の中にも、ようやく春の気配を感じるようになりました。光は、まだ冬のものですが、時折キラリとした輝きを見せるようになり、心弾むものを感じます。
 外国人の友人が私に「日本には四季があってうらやましい」と言いました。彼の国は一年中常夏の気候だからと言います。しかし、春や秋はともかく、私のように豪雪の地に暮らす者は、常夏の方がずっとうらやましい思いがすると反論しました。
 すると彼は「自分の国は、その気候ゆえに自殺が多い」と意外なことを言うのです。
 「日本の諺に『冬来たりなば春遠からじ』というだろう。悪いときがあっても、投げやりにならずに頑張っていれば、またいいことが巡ってくるという意味だろう。そのように気分転換できるのは四季があるお陰だ。自分の国では、一度まずい状態に落ち込んでしまえば、気候に閉じこめられて抜け出すことが難しいんだよ」。
 なるほど、四季には、人に希望をもたせる効果があったのです。私も春が巡らず、一年中雪の中に置かれているのでは、きっと参ってしまうでしょう。都会人は雪をロマンチックに考えていますが、雪国に暮らす私には、家を押しつぶす自然の脅威なのです。雪国の人は春を待ちわびて生きています。
 「ああ、早く桜が見たい」と言いますと、その友人は「日本人は、どうしてすぐ散る花が好きなのかね。『花』というのは蘭のように長く咲いて楽しませてくれないと」と言いました。どうも、国際理解にたどりつくに道は遠いようです。

仏教の散歩道

苦にしない解決法

 東京では、エスカレーターの左側に立ち、右側を急ぐ人のためにあけるようにします。ところが、大阪ではこれが反対になります。どうしてなんでしょうか……?
 ところで、エスカレーターの片側をあける風習、あれはよくないと思います。急ぐ人は階段を利用すればいいのです。急ぐ人のために片側をあけるものだから、多くの場合、エスカレーターに乗るために長い列が出来てしまい、急がない人には迷惑です。
 また、エスカレーターが急に停止したようなとき、動いている人は危険です。とくにエスカレーターを急いで降りている人は、下手をすればドミノ倒しに倒れてしまうでしょう。いまにきっと大事故が起きると思います。大事故が起きてはじめて、日本では規制がなされます。みすみす危険がわかっているのに、前もって対処することはしない。日本人はおかしな民族ですよね。
 そういうわけで、わたしはエスカレーターに乗るたびに、いつもいらいらしていました。〈なんとかして、この悪い風習をやめさせることはできないか〉 〈どうすればいいのだろうか……〉と、あれこれ悩んでいたのです。じくじく考えていました。
 だが、最近、はっと気がつきました。
 何に気ついたかといえば、仏教の教えは、
 ―苦にするな!― 
 であるということです。そして、じつはこの苦といった言葉は、仏教語としては、
 ―思うがままにならないこと―
 といった意味です。われわれは、思うがままにならないことを思うがままにしようとして、それで苦しむのです。たとえば、病気は思うがままになりません。それを早くなおしたいと思う(それが思うがままにしようとすることです)と、病気が苦しくなります。
 では、どうすればいいのか?
 思うがままにならないことは思うがままにしようとしなければいいのです。つまり、「苦にするな!」というのが、仏教の教えです。病気になれば、それを早くなおそうと思わずに、むしろ病気のまま楽しく毎日を過ごす工夫をしたほうがいいのです。
 この考え方をエスカレーターの問題に当てはめてみます。わたしはエスカレーターの片側をあける風習は悪い風習だと思っていますが、そう
は思わない人もいます。だから、片側をあける風習になっているのです。そして、その風習をわたしが思うがままにやめさせることはできません。いくらわたしがやきもきしても、大事故が起きないあいだは、きっとその風習が続くでしょう。そうであれば、わたしはそれを苦にしないほうがいいのです。ちょっと不便ですが(待たされることになるので)、まあ黙って片側に立てばいいのです。そうしたほうが精神衛生にもいいかと思います。
 これが仏教的考え方ではないでしょうか。

カット・伊藤 梓

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