天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第200号

東日本を始め、各教区寺院で被害が発生
天台宗が風水害災害対策本部を設置

台風15号・19号の風水害により甚大な被害が発生したことを受け、天台宗は10月17日、杜多道雄宗務総長を本部長とする「令和元年台風15号・19号風水害天台宗災害対策本部」を設置した。
 被災寺院への見舞金や檀信徒へのお見舞い、ボランティア活動を行う団体へ支援する他、被災した自治体へ義援金を送る。また支援活動を一宗挙げて行うため、義援金募金のお願いを18日に全教区寺院に発送し協力を求めた。

 台風15号および19号発生以来、天台宗では社会部を中心に宗内寺院の被害状況把握に努めてきた。
 災害対策本部は、副本部長に小堀光實延暦寺執行、事務局長に寺本亮洞総務部長が就任。天台宗と延暦寺内局員によって構成され、今後、被災寺院および各被災地を訪問し、視察とお見舞いを行う。

 杜多道雄本部長は「被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げますとともに、一日も早い復興を祈らずにはいられません。被害に遭われた御寺院には、お見舞いをお送りするなど対応をさせていただきます」と述べている。
 台風15号による被害では、神奈川、東京、北総、南総、埼玉、茨城の6教区で、墓石の破損、本堂の瓦・外壁破損、雨漏り、庫裡、山門の破損、倒木などの被害が出ている。南総では崖崩れや浸水などの被害も。また、その後に襲来した19号でも滋賀、信越、東京、栃木、福島の各教区で被害が出ており、その後も強雨が続いていることから、被害も拡大するものと思われる。

(写真提供 産経新聞社)

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

人の小過(しょうか)を責めず、人の陰私(いんし)を発(あば)かず、人の旧悪(きゅうあく)を念(おも)わず   

『菜根譚(さいこんたん)』

 掲げた言葉は「人の小さな過失を責め立てたりせず、人の隠しておきたいことはあばかず、人の過去になした古傷は忘れてやる」という意味です。中国の古典『菜根譚』にあります。

 いちいち小さな過失をとがめていると、人は敬遠して寄ってきませんし、隠し事を曝かれることは、本人にとっては屈辱そのものです。
 さらに、いつまでも触れてほしくない古傷はそっとしておいてほしいものです。
 ですから、この三つを守ることができれば、自らの徳を養うことができ、人から怨まれて害を与えられることもない、とこの言葉の後に続きます。
 といっても、これを守ることは実際には難しいことですね。これらの行為は、行う側にとっては、なんといっても痛快事ですから。

 現代は、インターネット、SNSの全盛といわれる情報化社会です。
 直接相手の顔を見ることなくやりとりができることで、この三つのことを守るよりも反対に、増長するような傾向がとみに見られます。
 相手と接することもなく匿名の陰に隠れていることで、エスカレートしたかなり酷い表現が多々あります。
 その結果、人の死を招く事態も起こっています。嘆かわしい限りです。
 自分が行った言動が巻き起こした結果は、たとえ形が変わっても、いつの日か自分に戻ってくるとよく言われます。

 善い行いをすれば善い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いを被るということ、応報ですね。
 この情報化社会においても忘れないでほしいものです。そして、この掲げた言葉をいつも思い出していただきたいものです。

鬼手仏心

何かに情熱を注いでいますか?

 先日、テレビで元大阪市長の橋下徹氏の言葉に感心させられた。その番組は高学歴ニートと呼ばれる若者に講義をする番組だったが、社会に不満を漏らす若者に対して「チャンスは平等に与えられている。しかし、そのチャンスを掴む力は平等ではない。その力の差はいかに情熱を注いで行動するかによる」と彼独特の言い回しで語っていた。
 彼の言葉を聞いて法華経の薬草喩品(やくそうゆほん)を思い出した。お釈迦様は「仏の教えは大雲から降り注ぐ雨のようなものである。木や草のように受け手に大小はあれども、分け隔(へだ)て無く平等に潤(うるお)いを与える。その潤いを受けそれぞれの機根(きこん)に合った成長を促す」とおっしゃった。
 橋下氏の語った言葉は正に、この事を言っているように感じた。氏はこうも語っていた。「行動するのに目標など必要はない。ただ目の前にある事に結果にこだわらず情熱をもって一生懸命に取り組むことが大事なのだ」と。
 今度は大師の「一隅を照らす」の事を言っているのかと感心した。

 話は変わるが、今年のノーベル化学賞に吉野彰氏が選ばれた。
 吉野氏は小学校3年生の時に、科学の先生から勧められた英国の科学者ファラデーの名著『ロウソクの科学』を読んだことがきっかけで科学に夢中になったそうだ。旭化成に入社後もがむしゃらに科学と向き合い、結果、今や我々の生活に欠かせないリチウムイオン電池の開発完成が、ノーベル化学賞という栄誉に輝いた。決してノーベル賞を取ることを目標としていなかったであろう。ただ、目の前にあることに夢中になって情熱を注ぎ続けた結果である。
 吉野氏の座右の銘は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」だそうだ。両氏に頭が垂れる思いである。

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