天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第195号

天皇陛下御即位奉祝臨時御修法を厳修

天皇陛下の御即位を奉祝した「天皇陛下御即位奉祝臨時御修法」が4月28日から5月1日まで、比叡山延暦寺根本中堂にて九箇座にわたり厳修され、玉体安穏、新御代の安寧と世界平和が祈念された。

 森川宏映座主猊下を大阿闍梨に「長日御修法」の修法をもって修され、(写真下)次席探題の大樹孝啓大僧正、五箇室門跡門主や宗内高僧、天台宗と延暦寺両内局、延暦寺一山住職らが交代で出仕し、三夜四日間勤められた。
 開闢の28日の法要で、森川座主猊下は「平成の御代は三十一年を数え、その間幸いに我が国に戦禍の憂いなく、その一方で自然の災禍は免れず 今上両陛下 只管親しく被災地の人々にその慈悲の御心を垂れ賜い その御姿は全国民の心に残り感謝と敬愛の念と共に消えることなし」と表白を読み上げられた。
 また5月1日に即位された天皇皇后両陛下には「御即位を慶祝し、本日より三三カ座三坦三密の秘法を修し上る」と述べられ、両陛下のご尊体安穏と新時代の人々の幸せを祈願された。
 比叡山延暦寺では期間中、根本中堂内に奉祝への記帳台を設置。後日、宮内庁京都事務所に届けられた。
 奉祝御修法は、皇室の慶事などの際、臨時に営む御修法で、前回は平成5年5月31日から2日間に亘り、皇太子殿下のご成婚を奉祝し修されている。
 なお、天皇陛下が国内外に御即位を宣明される最重要儀式「即位礼正殿の儀」が10月22日に行われることから、天台宗では、今秋に奉祝式典を奉修する予定である。

諭達
 上皇陛下におかれましては去る四月三十日に御退位なされ、本日五月一日天皇陛下が御即位されました。
 歴代天皇陛下の御崇信をいただいて参りました総本山比叡山延暦寺では、謹んで四月二十八日より五月一日までの壱三ヶ日、玉躰安穏、御願圓満を御祈念申し上げ、天皇陛下御即位奉祝御修法を奉修いたしました。
 歴代天皇陛下のお伝えして参られた皇統の弥栄を寿ぎ奉り、国家の繁栄、世界の安寧を御祈念申し上げ、新しき時代をともどもに奉祝いたしたく存じます。
 宗徒各位には、上皇上皇后両陛下の大御代に奉謝しつつ、新天皇の御即位を奉祝申し上げ、すべての慶祝行事がつつがなく行われますよう御祈願下さい。

 令和元年五月一日
          天台座主 大僧正 森川宏映
           宗務総長  大僧正 杜多道雄
           延暦寺執行 大僧正 小堀光實

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

人生を幸福にするためには、日常の瑣事(さじ)を愛さなければならぬ

「侏儒(しゅじゅ)の言葉」 芥川龍之介

 幸福とは、どんな状態をいうのでしょうか。
 普通には、心が満ち足りていることをいうのでしょうが、さて、具体的に説明するとなると難しいものがあります。
 「ああ、今私は幸せだ」と、のべつ思うこともありませんし、ひとり一人の置かれている状況にもよりますね。
 メーテルリンクの『青い鳥』という童話劇では、夢の中で、幸福の象徴である青い鳥を探し求めます。
 妖精に案内されて思い出の国、幸福の園、未来の国などを訪れますが、結局どこにも見つけられずに家に帰るところで目が覚めます。
 すると家の中のある鳥かごに青い鳥がいたというお話です。幸福というものは、本当は身近にあるという寓話でしょうか。
 命も危ぶまれる病気から奇跡的に回復し日常生活に復帰したとき、目に映るなんの変哲もない光景に強く心を打たれたということを聞くことがあります。幸せを実感する瞬間でしょう。
 健康に恵まれ不自由もない日常をおくっている時には、目の前の光景に何の感慨も湧きません。
 例えば、朝の通勤風景や公園の木々にきらめく日の光、遊びに夢中になっている子どもたちなど、毎日繰り広げられるごくありきたりの情景に、感動することはありません。
 しかし、その光景が見られなくなってしまうと思うと、急にいとおしい光景に変わるのです。「日常の瑣事」とは、日常のつまらないこと、とか小事ということです。一日という時間の流れは、この瑣事の積み重ねと言えます。
 幸福とは、どこかに探しに行くものでもなく、創り出すものでもなく、実は、すでに毎日の何でもない「日常」の中にあるということでしょうか。
 ともすれば惰性に流されやすい日々の生活ですが、時には思い出したい言葉ですね。

鬼手仏心

よりどころは自分だ

 仏教学者の植木雅俊さんは、大学で物理学を学んでいた頃「極度の自己嫌悪と自信喪失とうつ病で落ち込んでいた」といいます。
 うつ病を乗り越えられたのは、仏教との出会いのおかげだと書いています。
 その中でも、感銘を受けたのは「もしお釈迦様が亡くなられたら私たちは誰をよりどころにすればいいですか」という弟子の問いにお釈迦様が「自帰依自灯明、法帰依法灯明」と答えられたことでした。
 他人をよりどころにするのではなく、自らをよりどころとし、自らを灯明にせよということです。法をよりどころ灯明とし、他のものをよりどころとしてはいけないということです。
 植木さんがうつ病になったのは「それまで他人が自分をどう見ているかばかり気にしていた」ためでした。そのために暗闇に落ち込んでいたのです。
 「よりどころは自分だ」というお釈迦様の力強い言葉に出会い「ホッとして」うつ病を克服したといいます。
 イソップ物語にヘビになりたかったキツネの話があります。
 「ヘビを尊敬していたキツネは、ヘビの横に寝て『あのように長くなりたい』と願って、おもいっきり体をのばしました」。
 その結果「キツネの体はピリッと裂けた」。
 そんなひとマネばかりする人のいかに多いことか。
 また、人間には水に見えるものが、餓鬼には血のように見え、魚には住みかと見え、天人には宝石に見えるといいます。(一水四見(いっすいしけん))
 同じものを見ているようでも、思うことはそれぞれに違う。 
 大事なのは「自分を信じ、大事にする」ことです。

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