天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第193号

座主猊下を大導師に犠牲者回向法要を厳修  東日本大震災
犠牲者の回向と一日も早い復興を願って

死者行方不明者が1万8000人を越え、大きな被害をもたらした東日本大震災から8年が経った。今なお5万1178人が避難生活を余儀なくされ、福島では原発事故による避難者は3万2600人にものぼる。

 被災地では被災者向けの災害復興住宅の建設が進むなど、復興は進捗しているように見えるが、被災者の心のケアなどが課題となっている。
 これらの対応として、第144回宗議会で杜多道雄宗務総長が、大震災などの被災者の心のケアも含め「臨床宗教師や臨床仏教師養成の環境作りを心がけたい」と述べ、被災者への宗教的ケアに取り組む意向を明らかにしている。
 こうした状況の中、今年も3月11日、比叡山延暦寺や被災地各地で慰霊法要が営まれ、犠牲者の回向と被災地の一日も早い復興を祈願した。
 延暦寺阿弥陀堂では、午後2時半から森川宏映座主猊下を大導師に犠牲者慰霊回向法要を厳修。延暦寺一山僧侶出仕のもと、天台宗からは林光俊社会部長、森田源真教学部長、森定慈仁一隅を照らす運動総本部長が参列。また参拝に訪れていた参列者らが黙祷と焼香、発生時刻の2時46分には梵鐘が撞かれ犠牲者の冥福を祈った。(写真)
 陸奥教区中尊寺では、午前10時半から陸前高田市の小友町茗荷地区にある「小友地蔵尊」で山田俊和貫首を大導師に回向法要を営み、大阪など遠方からも参列者を得て供養した。
 小友地蔵尊では、月命日に必ず法要を営んでいる。
 また午後2時からは中尊寺本堂でお勤めし、2年前に建立された慰霊碑前でお参りした後、発生時刻に合わせて大鐘が撞かれ参列者全員で犠牲者を追悼した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

あるものの幸福は、他のものの不幸を踏み台にしている。

ファーブル 昆虫記

 この地球上を支配する生き物は、最も優れているとされる人間です。そのため人間は「万物の霊長」ともいわれますね。
 他の生き物は、植物にしろ動物にしろ「人間にとってどのような存在か 」という面から、その「価値」が判断されます。ですから、食用にされる生き物もいれば、愛玩用として存在が許される生き物もいます。
 あるいは、蜜を提供してくれたり、受粉の手助けをしてくれるミツバチなどの昆虫類のように人間の生活に役立つ生き物として扱われるものもいます。いずれにしろ「人間のために」が、まず大前提なのです。
 しかし、以前と違って生きとし生けるもの全ての命を大切にしようという考えも高まっている気がします。動物愛護法が制定され、動物虐待が取り締まられることなど、昔は考えられなかったことです。
 先頃、ドイツの環境相が「昆虫保護法」を創る方針を明らかにしたとの報道がありました。
 「環境や自然が耐えられる殺虫剤散布や、昆虫が生息する場所での殺虫剤やその他の有害物質の大幅な削減」に関する規則を設けたり、道路や住宅建設のために更地をコンクリートで覆うことを禁止するほか、昆虫が方向感覚を失ってしまわないように夜間の照明も制限するなどといった内容のようです。
 昆虫にとってはありがたい話でしょう。でも、最終的には人間にとって良い結果をもたらすという思惑はありますね。ハチなどの昆虫がいなくなれば農業は壊滅するでしょうから、保護することは、人間のためでもあるわけです。
 人間は、人間以外の生き物の命を食糧としたり、人間のために働いてもらうお陰で幸福を得ています。ですから、いつも「他のものの不幸」の上に生きてるという思いは失いたくないものです。

鬼手仏心

心してゆけ桜前線

 今年は、東日本大震災から八年目となります。
 七回忌を過ぎて、人々の記憶も薄れ、しだいにマスコミに取り上げられることも少なくなり、風化してゆくように見えます。
 しかし、それは被害にあうことのなかった人のことで、家族や友人知人を大震災で失ったり、故郷を追われたものは、そのことを「わすれたり」「風化」したりすることはありません。
 ただ、毎日の生活に立ち向かわなくてはなりませんし、いつまでも悲しい顔を世間に向けていることもできません。そのために何もなかったようなふりをしている人も多いのです。
 桜の季節になりました。
 さて、俳人の長谷川櫂さんに『震災歌集』という歌集があります。
大地震を有楽町駅の山手線ホームで体験した長谷川さんは、それからの12日間に詠んだ歌を歌集にしました。
 そのなかに、
 人々の嘆きみちみつるみちのくを
 心してゆけ桜前線
という歌があります。
 世間では春だ、桜だ、お花見だ、と騒いでいるけれど、嘆き苦しんでいる東北の人々の心を思いやりながら進んでいってくれよ。桜たちよ、という意味でしょうか。
 3・11の春を思い出すときに、忘れることのできない歌です。
その年の桜は、震災にうちひしがれた東日本の心にしみました。
 暗くつらいニュースばかりが続く中で「津波でなぎ倒された桜の木の若い枝が花を咲かせた」というささやかな話題に、我々は飛び上がるようにして喜んだものです。
 大震災の年の桜前線は、確かに「心して」進んでいってくれたように思います。

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