天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第186号

比叡山宗教サミット31周年
「世界平和祈りの集い」開催
 -紛争の終結と世界平和の到来を祈る-

比叡山宗教サミット31周年「世界平和祈りの集い」が8月4日、比叡山延暦寺の一隅を照らす会館前「祈りの広場」で開催された。仏教はじめ、神道、教派神道、キリスト教、新宗教、イスラームなど、国内外から約1000名が参加し諸宗教間の対話継続を誓い、世界の恒久平和の実現を祈った。

 午後3時、杜多道雄宗務総長の開式の辞により式典が開始され、「第53回天台青少年比叡山の集い」に参加した青少年から平和実現の祈りを込めた折り鶴が奉納された。法楽に続いて森川宏映座主猊下は平和祈願文を奉読。規範やモラルなど倫理の崩壊が著しいと指摘され、伝教大師が示された『忘己利他』、『一隅を照らす』精神を支柱とし、世界平和実現へ祈りを捧げる大切さを訴え、共に努力することを誓われた
 続いて国内外の各教宗派の指導者らが登壇。平和の鐘が響く中、一日も早い紛争の終結と世界平和の到来を祈り、参加者全員で黙祷を捧げた。
 またローマ教皇庁諸宗教対話評議会議長で7月に亡くなった故ジャン=ルイ・トーラン枢機卿と世界仏教徒連盟のパン・ワナメティー会長からのメッセージが披露され、宗教の垣根を越えた平和希求への祈りの呼びかけに会場からは拍手が贈られた。
 そして未来を担う子ども達からは、立正佼成会の西田友希乃さんと、天台青少年比叡山の集い参加者の加藤良明さんがそれぞれ発言した。西田さんは、募金活動を通じた経験談を披露。生きとし生ける全ての命への感謝や思いやりを大切にし、平和である世界や笑顔でいられる世の中になるよう、自ら行動することを宣言した。また加藤さんは、将来は積極的にボランティア活動をし、人を助ける職業に就きたいと述べ、世界を平和にするために行動することを誓った。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

いつ死んでも後悔するように生きる

中山 祐次郎

 あれ?どこか違和感のある言葉ですね。
 よく聞くのは「いつ死んでも後悔しないように生きる」です。ところが中山祐次郎さんが言っているのは「いつ死んでも後悔するように生きる」。
 死を迎える時に「良い人生だった、十分生ききった、後悔はない」というのは理想の生き方といえるでしょう。そうでありたいものだと多くの人が思うことです。
 しかし、残念ながら良い響きとは言い難い言葉である「後悔する」。
あえて「後悔する」生き方とは何でしょう?
 中山さんは現役のお医者さんです。総合病院の外科医長として忙しく勤めるかたわら、書籍やネットの記事を執筆し、各方面でご活躍されています。そんな中山さんは「後悔するように生きる」をモットーとしているそうです。なぜか。
 中山さんは、人は目の前のことに一所懸命に取り組んで生きていけば、死が迫り来た時に「ちょっと今だけはやめてくれ。もう少しで終わるんだから」と悔しくなるのではないか。自分が仕事や日常を大切に生きていたら、死によって中断されるとき悔やむのではないだろうか、といいます。そんなふうに今を夢中に生きていきたい。懸命に取り組みたい。そんな思いから出た言葉なのだそうです。
 この意味を知った時に「惜しまれつつ亡くなる」という言葉を思い浮かべました。「あの人がもう少し生きていてくれたら」「もっと一緒にいたかった」と他人から惜しまれる人がいます。こういう人こそ、死ぬ時に「後悔する」ほどひたむきに生きてきた人なのではないでしょうか。
 どんな人でもいつかは必ず迎える「死」。それまでをどう生きるか。いつ死んでも「後悔するように生きる」「後悔しないように生きる」のどちらも、日々の営みを大切に、懸命に生きていきたい人のための言葉なのでしょう。

鬼手仏心

大事と小事 林 光俊

若い人から「どうすれば、心の平安がおとずれますか?」ということを聞かれる時があります。
 そんな時には「まず、あなたの身の回りをきちんと整えることから始めたらどうですか」と答えることにしています。
 たいていの人は、キョトンとした顔をされますが、といって私は何も答えをはぐらかしているわけではありません。
 私共が小僧の時代は、師僧から「生かされている自分であることを自覚して、感謝に生きよ。まず第一に身の回りを整えてものを大事にすることから始めよ」と指導されたものです。
 ですから、紙一枚、水一滴、米一粒でも粗末にすることは許されません。ごみが落ちていれば率先して拾う。衣も足袋も徹底的に着て、ものの命を使い切ることを心がけます。
 そのようにして、身の回りにきちんと気を配ることが仏教修行の第一歩で、その実践なくしては「心の平安」といっても仕方のないことです。
 江戸時代中期に山本常朝(やまもとじょうちょう)が武士としての心得をまとめた「葉隠(はがくれ)」には「大事は軽く、小事は重く」とあります。
 大事は誰もが真剣に取り組むけれども、力が入り過ぎてかえって上手くいかないこともあるから、肩の力を抜いて自然体で対処するのがいいということでしょうか。
 逆に、小事をつまらないことと考え、疎かにしていると、それが大事に響いてきます。小事こそ真剣に処するべきであるというのです。
 要は、小事の積み重ねが大事の決断につながるのです。
 小事を常に真剣に考えて、対処していれば大事の決断は一瞬にして成るものです。

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