天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第184号

エルサレムで世界平和祈願
弟子ら、葉上師の足跡を辿って

 イスラエルの都市エルサレムのスコープス山で6月13日、天台宗僧侶ら有志が世界平和を祈願する法要を執り行った。同法要は、天台宗の高僧として知られる「葉上照澄大阿闍梨の足跡を辿る」行事の一環として行われたもの。代表の横山照泰護心院住職(延暦寺一山)は、法要で「この地において有志の善侶、清衆相集い謹んで世界平和への誠の祈りを捧げる」と表白を奏上した。エルサレムで天台宗僧侶が平和祈願法要を厳修するのは初めて。

 今回の「祈りの旅」は、横山住職が発起人となり、川口圓玄海岸寺住職(東海教区)が事務局長となって企画。天台宗僧侶のほか学生時代から葉上大阿闍梨の篤信者である田中孝一ダイセーグループ会長(東京)ら15名が参加して6月10日から16日まで行われた。
エルサレムはキリスト教、イスラーム、ユダヤ教の聖地であり、それゆえに多種多様な人種、民族が交差し、紛争が残る地である。
 横山住職は法要で「平和を願う心は国、人種、宗教を超越するものと信ずる。光は影を忘れてはならない。平和を実現しようとして大地に散った幾多の御霊の影があることを忘れてはならない。我らは兄弟の悲壮な最期を忘れることなく、この地上に誠の平和を実現する義務があることを改めて痛感する者である。その実現に向けて各々成すべきを成しゆくことこそ、兄弟の霊を慰める最善の道と確信する」(表白・要旨)と述べた。
 期間中、一行はイスラエルの宗教指導者らと会談。精力的に世界平和について意見交換を行った。
 横山住職から葉上師の功績について説明を受けた各宗教指導者は一様に「そのように優れた日本の宗教者が存命であれば是非お会いしたかった」との感想を述べた。
 12日には、イエス・キリストゆかりの地であるガリラヤで葉上大阿闍梨を記念した植樹が行われた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

たくさん 沢山 
ありがとうございました さよなら

筑紫哲也さんの元にきた友人からの手紙(『文化を考える。』より)

 「自分が亡くなる時、世話になった人に直接感謝と別れの言葉を伝えたい」。そんな思いは誰もが持つのではないでしょうか。
たとえば、家族に手紙を残したり、ビデオでメッセージを残したりすることもあるでしょう。死が迫った時に「ありがとう」と伝えたい人がいることは幸せだった証です。
ジャーナリストの筑紫さんの元にきた、亡くなった友からの手紙。友が「自分が死んだ時に出してほしい」とそのまた友人に託したものだといいます。本人の筆跡で自分に宛ててくれたというその気持ちが、筑紫さんの心を温かく満たしてくれたことは想像に難くありません。なんともしゃれた伝え方です。
また、こんな伝え方もあります。
先月亡くなった安崎暁元コマツ社長は「元気なうちに感謝の思いを伝えたい」と、生前葬をしました。秋に末期がんが見つかり、手術不可能とわかったのです。延命治療をしないことを選択した安崎さんは、お世話になった人に「感謝を伝える会」を開きました。友人や仕事で関係した人など集まった人は約千人。車いすに乗りながら、ひとりひとりに「ありがとうございました」と告げ握手して回ったそうです。会は終始和気あいあいとした雰囲気だったといいます。会社にしてもらうと儀式的になってしまうから、と会を個人で開いたそうです。
亡くなった人を見送るために残された人々が行うのが葬式ならば、生前葬は世を去ろうとする人が感謝と別れを伝える場なのかもしれません。
たしかに手紙も生前葬も故人の気持ちがたくさんつまった伝え方ですが、一番簡単な方法は「直接言う」という方法ではないでしょうか。ありがたいなと気づいた時すぐに言うことができたら、それが確実に相手に伝えられる方法です。
「ありがとう」を惜しみなく、伝えそびれることがないように過ごしたいと思います。

鬼手仏心

大人と子どもとどっちが偉い? 浅野玄航

 『子供のほうが偉いんだ。
 子供は大人になれるけど、大人は子供には絶対なれない。だから子供でいられるうちは子供でいいんだ。
 急ぐことなんかないんだ。一度、大人になっちゃったら、二度と子供には戻れないんだから』。乃南(のなみ)アサさんの描かれた小説『風紋』の一節です。乃南先生、勝手に引用してごめんなさい。
 さて、私は五十歳直前まで小中学校の教師をしていましたが、近ごろ反省することしきりです。
 二十数年間、日々何度こういった言葉をくり返したことでしょう?
 「そんな事したらだめでしょう」
 「二度と忘れ物しないように」
 「昨日も言ったでしょう」等々。
 振り返ってみると、私たち(特に私)は子どもの成長を秒単位・分単位・一日単位で見ていたようです。子どもが子どもであるべき貴重な刻をせかせかと奪っていました。
 急がず焦らず「三年単位・五年単位での変化に期待すべきだった」といまさらながらに後悔しています。それは、自分の目で子どもの変化を確認したいという、独りよがりな、まさに(貪(とん))欲に染まっていたのでしょう。
 今ふと周りを見回すと、「こせこせ・せかせか」「些末(さまつ)なことで本論から外れた上げ足を取る」気が抜けず、落ち着かないことこの上ない、社会になっているような気がします。
 こんな社会の中心に教え子たちがいることに思い至ると恐ろしい。この風潮を作り出すことに、なんと、私も一役買っていたのでした。「ごめんなさい、おわびします」。
 伝教大師さまが千二百年前に「弟子が一人前になるのには十二年かかる」と言っているではありませんか。
 古希になっても大人になれない不肖の弟子にお力をください、お大師様。

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