天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第183号

善光寺大勧進問題に関する決議文を採択
−第142回臨時宗議会
信仰の寺として、早急なる正常化を求める

新宗議会議員選出後の初めての議会である第142回臨時宗議会が5月17日に開催された。同宗議会において、善光寺大勸進・小松玄澄前住職の進退問題に関する決議文を議員全員一致で採択、事態の正常化に向け、議会としての立場を明確にした。

 小松前住職は、以前より数々の問題で、善光寺一山側と対立を深めており、2016年には、善光寺一山並びに信徒総代から辞任勧告がなされるなど、混乱は収まることがなかった。
 こうした中、昨年12月に小松前住職から勇退の意向をもって退任届が出されたことを受け、天台宗は去る3月31日付で解任辞令を大勸進に送付、4月1日付で瀧口宥誠副住職を特命住職に任命している。
 その後、4月18日に一山会議は瀧口特命住職を次期住職として推挙、同21日の一山住職や信徒総代らで構成する「大勸進協議会」において、瀧口特命住職は正式に次期住職として推挙され、信越教区に申請書が提出された。これを受け、天台宗は5月1日をもって住職任命の辞令を交付した。

信頼回復を願う

 こうした中、小松前住職が地位確認の仮処分を求める裁判を起こすなどの状況を憂慮した天台宗宗議会は、早急なる事態の収拾と善光寺の信頼回復を願う決議文を5月17日の第142回臨時宗議会において採択した。決議文は細野舜海議員が発議し、全会一致で採択された。問題の解決に向け対応してきた杜多道雄宗務総長は「天台宗としては、宗規に則り、粛々と対応してきた。新しい住職も就任されたことでもあり、一日も早く信仰の寺としての信頼を取り戻すよう願うばかりである」と語っている。
 新しく住職に就任した瀧口師は84歳。昭和8年、山形県生まれ。叡山学院研究科卒。延暦寺一山南山坊、竜珠院、善学院の住職を歴任。平成14年から善光寺大勸進副住職。大僧正。

善光寺大勸進問題に関する決議
 長年に亘る善光寺大勸進と小松玄澄前住職との対立は、善光寺如来のご威光を貶め、信徒の信仰に水を差す行為であり、宗教界のみならず、一般社会からも顰蹙をかい、参拝者の減少の一因ともなっている。
 よって、宗も事態打開に尽力し、大勸進関係者も譲歩し、小松師は辞職することを確約して辞任願も提出し、長年の混乱に収拾が期待できることになった。ところが小松師は、辞意を撤回したと主張し、本宗に対して大津地裁に、また大勸進を相手取って長野地裁に、次々に地位確認の仮処分を申立て、全面対決の姿勢を示すなど、徒に混乱を長引かせる言動は容認しがたい。
 しかのみならず、マスコミの取材では、一方的な自己主張を繰り返し、天台宗及び宗内寺院に対する信頼失墜を招くという看過すべからざる由々しき事態も引き起こしている。
 ここに天台宗宗議会は、小松師が、一刻も早い事態の収束に向けて宗門の方針に潔く従うよう強く求めるとともに、善光寺大勸進におかれては、こうした事態が二度と起こらぬよう運営に留意されんことを切に願い、ここに決議する。

   平成三十年五月十七日   天 台 宗 宗 議 会

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。

西郷隆盛

近頃はあまり聞きませんが「井戸塀(いどべい)政治家」という言葉があります。
 潤沢だった自分の財産を政治活動につぎ込んでしまい、貧しくなって残ったのは井戸と塀だけになった政治家のことをいいます。
 明治の頃には、政治家は名誉職と考えられ,財産もあり、見識に優れ、人望もある人がなるべきという理想像がありました。
 これは、政治参加が財産のある富裕階層にだけ許されていた時代だったからでもあります。だから、「井戸塀政治家」も存在し得たのです。
 一国の命運を左右する政治家という者は、自分の利益は二の次三の次にして、ひたすら国や国民のために尽くす人、というこの理想像は、現代では、まず見られないようです。
 まあ、歳費によって生活を賄わねばならない現代の政治家は、調査費、選挙の費用などの必要経費も国からもらわなければやっていけませんから「井戸塀政治家」を望むことは無理なことでしょう。
 むしろ、政治家になることによって、名声を追い求め、蓄財に励む政治家も多いことが想像されます。
 もちろん、全ての政治家がそんな人ばかりでは国政も成り立たないことは云うまでもありませんが。
 ここに掲げた言葉の後「この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり」と西郷さんは続けます。
 この理想像はいつの時代でも否定できないわけですから、表向きは「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ」と云わねばならないところが、現代の「政治家」にとって、ちょっと辛いところでしょうか。
 政治の「ために」生きるのか、はたまた政治に「よって」生きるのか。
 多くの政治家は、理想と現実の狭間にあって、日々悩んでおられることと思います。

鬼手仏心

親鸞聖人蕎麦喰い木像の伝説より 森田源真

親鸞聖人蕎麦喰い木像の伝説がある。
 親鸞聖人が範宴(はんねん)という名で慈鎭和尚(じちんかしょう)のもと修行の折、中堂薬師如来の霊告によって京の六角堂に百夜の参詣を続ける際、不審に思った師僧が俄(にわか)に振る舞った蕎麦を、自刻の木像が代わりに食する物語である。その後、六角堂観音の霊告を受け、自らの信仰を切り開いていかれる。
「なに故に捨てにし身ぞと折々は姿にはぢよ墨染めの袖」慈鎭
「上求下化心を砕く故あれば身を切りきざむ墨染めの袖」範宴
 両首和歌の趣と共に、青年僧範宴のひたむきな想いに心が熱くなる。その苦悩如何ばかりであったか。
 ここで、トルストイの言葉を紹介したい。 
「自分が暮らしている環境で確立されている慣習に、その良心に従って背こうとする人間は、自分に対して非常に厳しく注意しなければならない。彼の誤りがすべて、その弱点が一から十まで、彼の責任にされてしまうし、それにこれが一番大事なことであるが、せっかくの決心が元の木阿弥になってしまう恐れがあるからである」(『トルストイことばの日めくり』P248)
 信仰とは何なのか、未だ確たる答えを見いだせないが、こう想い行動する先にないだろうかと思っている。
 自分は、何のために或いはどのように生きようとするのか。自分とそれを取り巻く無限の世界と、どう関わるのか。その疑問に自ら答えるべく、人生という旅をすることだと。
 ただ、一人はとても弱く心細いもので、孤独に苛(さいな)まれる。そんなときに支えてくれるのが、宗教なのだろう。その意味で宗教は、個人を支え労(いたわ)るものであり、支配するものではない。しかしまた、安易に安らぎをもたらすものでもなく、更なる苦悩と孤独に突き落とす問いかけをするものではないか。

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