天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第180号

山田恵諦第二五三世天台座主猊下の「二十五回忌偲ぶ会」

 山田恵諦第二五三世天台座主猊下の「二十五回忌偲ぶ会」が2月12日、京都市内のホテルで催された。縁深い約260人が参列し、在りし日を偲び、改めて山田座主猊下の教えを胸に刻んだ。

 山田座主は兵庫県斑鳩村(現・太子町)出身。昭和24年に戸津説法勤仕。翌年、望擬講となり、同46年より探題。滋賀院門跡門主を経て昭和49年12月1日に第二五三世座主に上任された。
 昭和61年にイタリア・アッシジで開かれた世界宗教者平和の祈りの集いに出席し、その精神を引き継ぎ、日本の宗教界に協力を呼びかけ「比叡山宗教サミット『世界宗教者平和の祈りの集い』」を開催された。世界平和に尽力され、東奔西走されたお姿と行動力から「空飛ぶ座主」と呼ばれ、ローマ法王からは「東洋の聖者」と讃えられたほどだった。
 平成6年2月22日に延暦寺一山瑞應院でご遷化された。享年百歳だった。
 偲ぶ会は、多くの有縁者に遺徳を偲んでもらおうと開催されたもので、午前10時より滋賀院門跡で大樹孝啓探題大僧正の大導師で法要を厳修。続いてホテルに会場を移し、天台宗、延暦寺の両内局はじめ五箇室門跡門主、宗議会議員ら宗内役職者らが多数出席した。
 冒頭に自ら作詞された歌「最澄さま」が流れる中で開会。在りし日の姿を映し出された映像に続き森川宏映座主猊下が挨拶に登壇された。
 その中で、父親が同い年だった関係で幼少の頃から食事を共にするほど深い関係にあったことなどを回顧。
 そして「比叡山宗教サミット開催への決断力と実行力に感服した」と讃え「座主になり2年。宗教界を取り巻く環境は厳しく悩んでいるが、山田猊下がおられたらどう結論をだされるだろう。偉大さを日々痛感している」と述べられた。
 また、比叡山宗教サミットで事務局長として山田座主を支えた杉谷義純妙法院門跡門主は「口で説き、実践もされる座主だった」と語り、30周年を無事終えたことを遺影に報告した。
 その後、大樹探題大僧正の献杯で会が始められた。天台宗で得度し山田座主から贈られた法衣を大切にしている武者小路千家家元後嗣の千宗屋さんが献茶した他、吉澤健吉京都産業大学教授、立正佼成会の庭野光祥次代会長、松緑神道大和山の田澤清喜教主、女優の山本富士子さんらが思い出を語った。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

インディアンのことわざ

インディアン

地球の終末時計というものがあります。核による脅威や環境破壊などで、地球の終末までに、あとどれくらい残されているかを時計を使って示したものです。発表しているのはアメリカの科学雑誌です。今年1月の発表によれば、時計は昨年より30秒進み、地球の終末まであと2分です。
「残り2分」とは過去最短です。冷戦期のアメリカと旧ソビエトが水爆実験を行った1953年と同じなのだそうです。
 今年の理由は、北朝鮮の核開発が進められていることやトランプ大統領の核政策が予測できないこと、アメリカがパリ協定からの脱退を表明することで地球温暖化対策が停滞していることなどが挙げられました。
 経済優先、自国の利益優先の現在に、科学者たちが警鐘を鳴らしています。
 現代は「お金がなくては何もできない」のかもしれません。人はお金を得るために生きていく、というのも過言ではないでしょう。
 しかし、お金があっても、暮らしている地域が紛争に巻き込まれたら。さらにそこで、恐ろしい兵器が使われてしまったら。あるいは未曾有の大災害に遭遇してしまったら。住めなくなった場所から逃れた先も、そのまた先も食べ物が実らなくなり、空気は汚染し、人々が生活できる場所がなくなってしまったら…。
 私たちは地球がどうしようもない状態になってもなお、お金を得たがるのでしょうか。
 ところで、終末時計は17分前まで針が戻されたことがあります。冷戦が終結した1991年です。政治的な危機が遠のき、地球の終末も遠くなったと見做(みな)されました。
終末時計を発表している科学雑誌の中心メンバーの一人はこう言いました。
「私たちは、これまでの危機でも時計の針を戻すことができた。政府などに対し、正しい行動をとるよう促していかなければならない」。

鬼手仏心

鬼手仏心 『死の体験旅行』天台宗社会部長 林光俊

 最近、会社帰りにお寺で「死ぬ」ことが流行っていると聞きました。
 といっても実際に死んでしまうわけではありません。
 お寺などで開催される「死の体験旅行」という有料ワークショップに参加する若者が増えているというのです。チケットは即完売という大人気だといいます。
 このように人気を集めているからといって、「終活」は「高齢者だけのものではないのだな」と思うのは短見です。実際は「自己を見つめる」というところに意味があるのだとか。
 まずは死を前にした自分というものを想像するところから「体験旅行」は始まります。
 そうして、事前に紙に書いておいた「大切なもの」を一枚、また一枚と捨てていくのです。一枚捨てるごとに「最後」が近づいてくる。
 参加者はこれが苦しいらしい。「なかなか最後の一枚を捨てる決心がつかない」。
 それが死の直前まで執着しているものです。
 「どうして、これが最後まで捨てられないのか」と悩みますが、存外、皆さん、そんなに捨てられない(離れたくない)ものは変わらないようです。
 一位は皆さん家族だといいます。その中でも圧倒的に「お母さん」だといいます。
 こうして「仮想死」を生きてみると(おかしな言い方ですが)、実感されるのは「生きていることの有り難さをあらためて感じた」「有意義だった」ということです。
 いろいろと批判もあるようですが、普段から自分の人生は有限であるという「気づき」があるのは有意義なことであるのは間違いありません。

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