天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第179号

清和天皇陵を初めて参拝
-天台宗と延暦寺の両内局-

大師号御下賜への報恩感謝を示す

 天台宗と延暦寺の両内局は昨年12月13日、京都市右京区水尾にある清和天皇陵を参拝した。
 相応和尚1100年御遠忌の無事円成を奉告し、伝教大師と慈覚大師の大師号を同時に賜ったことへの報恩感謝を示した。

 貞観八年(866)、相応和尚が尊敬する師・円仁への諡号を賜りたいと清和天皇に上奏したところ、天皇の計らいにより円仁の師である宗祖にも勅が出され、両師に日本で初めての大師号が贈られたとされる。ご遷化されてから伝教大師が四十四年後、慈覚大師は二年後だった。
 今なお多くの人々に「お大師様」と慕われる両大師だが、そのきっかけとなったのが昨年御遠忌を迎えた相応和尚だった。この勝縁を機に、大法会事務局会議、大法会企画委員会で参拝を検討。日程調整を経て12月に実現した。
 “柚子の里”で知られる水尾に到着した両内局らは、徒歩で天皇陵へと移動。急坂が続く山道を約15分かけて登りきり、全員で法楽を捧げた。

清和天皇へ報謝を 杜多宗務総長

 参拝後、杜多道雄宗務総長は「清和天皇は、相応和尚様の師を敬う気持ちに心を打たれ、日本で最初に両祖師に大師号を贈られた。そのお気持ちへの感謝を込めながら御陵まで歩かせて頂いた。相応和尚御遠忌年に参拝できた勝縁を機に、これからも清和天皇への報謝を天台宗として示したい」と話した。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。

ニーチェ

 今ほど、事実という概念が危うくなってきた時代はないかもしれません。
 国家間で起きた出来事も個人レベルでの出来事も、まるで正反対の「事実」だと思われるほどの例が出てきています。
 辞書を引きますと、「事実」とは「実際に起こった事柄、現実に存在する事柄」とあります。つまり、客観的にみて唯一のこと。
 一方「真実」は「嘘偽りのないこと。本当のこと」とあります。「真実」は当の本人にとって「嘘偽り」のないことですから、これは人間の主観に基づいて導き出された「本当のこと」なのですね。
 例えば、同一の場所で同一の出来事を目の当たりにしても、人によって主観が異なりますから、幾つもの「真実」があるわけです。
 近頃はこの「事実」と「真実」が混同されることが目立ちます。つまり、現代ではこの「真実」が「事実」であるかのごとく扱われることが多くなっているのです。二つの概念の垣根がなくなってきているように思えます。
 それも正当に導き出された「真実」ではなくて、主張する側の都合の良い「真実」が「真実」とされます。つまり、故意にゆがめられた「真実」が作られ、まるで別々の出来事であるかのような「事実」が出現するのです。
 ですから、「事実」に重みがなくなり、互いに相手の「事実」だという主張に「フェイク(まやかし)」だと一蹴することとになります。やがては、「事実」は存在しないで、ただ都合よくデフォルメされた「真実」が大手を振って歩き回ることになります。
 こうなると、国際間の争いなどでは、「事実」を巡っての話合いは意味がなくなり、互いに相手を嘘つきとして非難するだけとなります。非難の応酬の果ては、「では物理的に決着をつけよう」ということになります。行き着くところは…戦争。怖いことですね。

鬼手仏心

名前はジェッシィ

友人が犬を飼っている。
 名前はジェッシィ。
 もとは道路脇に捨てられていた犬である。通りかかった友人が気づいて,拾い上げ、家に連れて帰り、以来家族の一員として飼っている。
 気になることがひとつあった。全く吠えないのである。
 そのことを聞くと「ジェッシィは、歯がないからね」と言う。
 拾ったときには、すでに歯は一本もなかったという。虐待されたのちに捨てられていたのだ。拾い上げたときはひどく怯えていたという。
 しかし、今ではとても大事にされ、愛情を注がれている。初対面の私にも全身で愛情を表現し、飛びつくのだ。
 「犬の十戒」という言い伝えがある。犬から人への「御願い」である。
 その中に「私を殴ったり、いじめたりする前に覚えておいて欲しいのです。私は鋭い歯であなたを傷つけることができるにもかかわらず、あなたを傷つけないと決めているのです」という一項があるのを思い出した。しかし、彼にはもう歯はない。
 ある日友人から電話があった。
 犬が集まる散歩コースにジェッシィを連れて行ったところ、多くの犬に囲まれた彼は少し困ったような顔をして、突然「ワン」と鳴いたそうだ。
 「ジェッシィは鳴かないのだと思っていたから、びっくりした」と友人は言った。
 本紙に連載中の写真家鬼海弘雄さんも、虐待された猫を拾われ、15歳までいっさい鳴かなかったという話を書いている。おなじように鳴かないので声帯がないのだと思われていたようだ。それが細い声を出し始め今は咆吼というように鳴くのだと。
 鳴かないのはトラウマと自己防衛本能なのだろうか。
 ジェッシィの声が聞きたいと思った。 

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