天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第178号

天台山国清講寺の記念式典に随喜
杜多宗務総長、小堀執行らが訪中

両国天台宗の友好交流をさらに

 中国の天台山国清講寺で昨年11月18日に営まれた大雄宝殿仏像開眼供養並びに建寺1420周年記念式典に、杜多道雄天台宗宗務総長と小堀光實延暦寺執行が出席した。日中天台宗が築いてきた深い絆を確認すると共に、天台大師御廟がある真覚寺を参拝し報恩の誠を捧げた。(3面に関連記事)

 杜多宗務総長にとって宗務総長就任後初めての訪中。国清講寺が10年毎に開く記念式典への招待を受け、小堀執行ら5名が11月17日から3日間の日程で天台山国清講寺を参拝した。
 天台山温泉休暇山荘で17日に開かれた会見式に臨んだ杜多宗務総長と小堀執行は、中国仏教協会の学誠会長や国家宗教局の政府高官、韓国天台宗の代表団らと握手を交わすなどして交流。18日は仏像開眼供養の会場である国清講寺大雄宝殿での法要に参列し、導師に合わせて開眼作法を執り行った。続いて可明法主臨席のもと、允観住持の司会により大雄宝殿前で記念式典が挙行され、約千人の信徒らが見守る中、浙江省や天台県、香港からの招待者らがそれぞれ祝辞を述べた。
 日本国天台宗を代表し挨拶した杜多宗務総長は、国清講寺は宗祖伝教大師の入唐求法以来の聖地であるとし、1964年に当時の趙撲初中国仏教協会会長から延暦寺に金字の法華経が寄贈されてからの友好の歴史を紹介。2009年の開宗一千二百年慶讃大法会結願を記念し建立された故半田孝淳天台座主猊下揮毫の碑「天台宗永永流傳」を取り上げ「密教と顕教の二つのお言葉によって天台宗は永久に不滅であるという意味が込められている。日中両国の天台宗、仏教の友好交流も永久不滅である」と語り、“黄金の絆”で固く結ばれていることを強調した。
 式典終了後には、可明法主と允観住持に面会し、森川宏映座主猊下からの軸「一念三千」を贈呈した。可明法主は「釈尊から伝わった天台宗をもっと弘めなければならない。社会の中で善意の心を弘めることが仏の慈の心である。世界平和には仏教の精神が必要。国と国、人と人が友好的になり、全世界の人々が一つの家族となるよう、互いに努力しましょう」と語り、杜多宗務総長、小堀執行と固く握手をした。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

今からのちはぼくはもう幸運なんか求めまい、このぼく自身が幸福そのもの

『大道の歌』

 ホイットマンの『大道の歌』は大変長い詩ですが、こう始まります。
 「心も軽く徒歩でぼくは大道に出る、健康で、自由で、世界がぼくの前にあり、望みのところへ連れ出してくれる長い褐色の道がぼくの前にあり」と。そして「力強く、満ち足りて、ぼくは大道を行く」。人生を大道に喩えて、力強く歩み続ける人の姿が目に浮かびます。
 昨今は自然災害、平和、経済への不安などに脅かされ「これから私たちはどうなってしまうのか」とつい口を突いて出てしまう時もあります。
国連が発表した、昨年の世界の幸福度ランキングでも日本はなんと51位という低さ。これは先進国中最下位です。思わず日本人は幸福から遠ざかっているのではないかと悲観してしまいそうです。
また、我が身を振り返っても、つい他の人と比べてしまい嘆いてしまうこともあります。「なんで自分はうまくいかないんだ」と運を恨んでしまうことも。
 しかし、「幸せだ」という気持ちはいったい何を基準にしているのでしょう。
他の人から「あの人は幸せではないと思う」と言われても、自分で「幸せだ」と思っていればその人は幸福です。逆に他の人から「あの人はなんて恵まれているのだろう」と言われていても、「自分はなんて不幸せなんだ」と思っていたらそれは不幸な人。
つまりは他の人から見ても、その人の幸福度合いは計ることができないのです。幸福を計る物差しは自分の中だけにあります。人と比べては、いけません。
私たちの心は自由です。心だけはその人だけのものであり、どのようなものも拘束することはできません。「幸福だ」と思うことは、その人だけのものなのです。幸福の基準は私たち自身です。
今年皆さまが幸福を見つけることができますよう、心より願っております。

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