天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第168号

インド禅定林開創30周年

大本堂建立10周年記念大法要を厳修

現地の仏教徒百名近くが受戒

 インドの天台宗寺院禅定林(サンガラトナ・法天・マナケ住職)で、去る2月8日、開創30周年・大本堂建立10周年記念大法要が、盛大裡に執り行われた。現地の仏教徒も延べ20万人近くが随喜、開創30年を経て、仏教の教えが着々と根を拡げていることが感じられる法要となった。
 今回の記念法要には、天台座主名代として叡南覺範毘沙門堂門跡門主、サンガ住職の師である堀澤祖門三千院門跡門主を始め、パンニャ・メッタ協会日本委員会のメンバーら宗内諸大徳多数が出仕、随喜した。また、同記念大法要に併せて、祖師先徳鑽仰大法会で行われている「特別授戒会」が、禅定林においても、叡南大僧正を伝戒大和上として前日7日に奉修され、インドの仏教徒、100名近くが戒を授かった。

開創30周年・大本堂建立10周年記念大法要は、日本から参加した僧侶の見守る中、叡南大僧正を導師に厳かに執り行われた。(写真左)
 この日のためにインド各地から参集した多くの仏教徒たちは、各々に祈りを捧げたり、静かに手を合わせていた。
 また前日の祖師先徳鑽仰大法会「特別授戒会」では、サンガ師より授戒会について、ヒンディー語で説明があり、戒弟たちは、儀式中、『懺悔文』や『四弘誓願』などをヒンディー語で、『三帰依文』をパーリー語で唱えた。戒弟となったインドの仏教徒たちは、日本の法要儀式に初めて臨んだこともあり、はじめは誰もが緊張の面持ちであったが、儀式を終え、晴れて仏弟子となった頃には、それぞれ喜びの表情を浮かべていた。
 仏教発祥の地とはいえ、現代のインドは圧倒的にヒンドゥー教徒が多数を占めており、未だ差別、格差も根強く存在している。禅定林を拠点として、平等を旨とする仏教の教えが、さらに拡がっていくことが今後も期待される。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

スペースシャトルに乗っている私たちにとって、ふるさとと言えば地球しかありません。
アメリカも日本もウクライナもインドも、それらの国がどこにあるかは見えなくとも、この地球が私たちのふるさとなのです。

宇宙飛行士 土井隆雄

「地球は青かった」は1961年に人類史上初めて宇宙へ出た、ガガーリンの有名な言葉です。
 それから35年以上が過ぎて、宇宙飛行士の土井隆雄さんは1997年NASAのスペースシャトルにて、日本人としては初めて船外活動をミッションとして宇宙へ旅立ちました。この言葉は飛行10日目の11月29日に送られてきたレポートにあります。
 宇宙飛行士になるには、様々な肉体的タフさと頭脳も必要ですが、重要なのは精神なのだそうです。宇宙に出たら密閉されたひとつの空間に同じ仲間と長く滞在するのですから、ストレスに強いことが求められます。
 また、思いがけない事態に対応できる冷静さも必要です。常に前向きな姿勢も。
 そして、様々な国籍の人たちとチームを組んで物事に取り組むことになるので、協調性も大切です。リーダーシップばかりではなくフォロワーシップ(リーダーを補佐する力)も要求されます。
 彼らは地球の外に踏み出すと、国籍は関係なくなり「地球人」となるのです。
 宇宙はあまりに広大で、地球はとても小さな惑星のひとつです。宇宙からの衛星写真を見ても、私たちは「国境」を見ることはできません。陸と海はあるけれど、世界地図のように国境線が書かれているわけではありません。
 しかし地球人である私たちは、ふるさとである小さな惑星の中で、土地の領有権を争います。
 私たちが懸命に得ようとしているものは、宇宙から見たら一粒の砂のようなものなのでしょうね。

仏教の散歩道

仏教者としての信仰

ユダヤ教の律法では、安息日に金銭を扱ってはならないことになっています。ユダヤ教の安息日は土曜日です。
 そこで、ユダヤ教のあるラビ(教師)が弟子に質問しました。
 「安息日に金の入った財布を見つけた。おまえはそれを拾うか?」
 「もちろん、わたしは拾いません」
 弟子は優等生的な答えをしました。
 するとラビは彼を叱りました。
 「おまえは馬鹿だ!」
 次にラビは、別の弟子に同じ質問に答えさせます。彼は、
 「わたしは拾います」
 と答えました。「拾いません」といった答えだと叱られたのですから、彼は「拾う」と答えるよりほかありませんよね。だが、ラビは彼を叱ります。
 「おまえは罪人だ!」
 さらにラビは、第三の弟子に同じ質問をしました。この第三の弟子は、こう答えました。
 「わたしには分かりません。でも、その場になって、わたしはずいぶんと迷うだろうと思います。しかし、わたしは、きっと神がわたしに正しい判断をさせてくださるだろうと信じています」
 「よろしい。それがわたしの求めていた答えだ」
 ラビは第三の弟子を褒めました。
 この話は、ラビ・ピンハス・ペリー著『トーラーの知恵』に出てきたものです。

 わたしたちは人生において、さまざまな誘惑にあい、迷い、悩むことが多いですね。〈わたしは、どんなことがあっても悪の誘惑に屈しないぞ〉と思っていても、いざその場になれば、簡単に誘惑に負けてしまうことが多いです。それは、誘惑というものが、あんがい巧妙になされ、あんがいそれに応ずることが善いことのようになされるからです。また、われわれは、〈ほんのちょっとしたことだ。これぐらいはしたってよいだろう〉と思ってしまいます。そして泥濘(ぬかるみ)に入り込んでしまうのです。

カット・酒谷 加奈

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