天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第167号

インド禅定林開創30周年
大本堂建立10周年記念大法要奉修へ

仏教発祥の地で根付く天台の教え

インド・バンダラ県ポーニ市ルヤード村にある天台宗寺院、禅定林(サンガラトナ・法天・マナケ住職)の開創30周年・大本堂建立10周年記念大法要が来る2月8日に盛大に執り行われる。仏教発祥の地インドに再びその灯火を掲げるべく寺院を建立して以来30年、そしてそのシンボルである大本堂の落慶より10年。以後、サンガ師の努力が実を結び着々と現地に天台宗の教えが弘がっている。今回の記念大法要には、天台座主名代として叡南覺範毘沙門堂門跡門主、サンガ住職の師である堀澤祖門三千院門跡門主をはじめ、天台宗から西郊良光宗機顧問、長山慈信参務、横山照泰参務、中島有淳参務らが、また延暦寺からは小鴨覚俊副執行が出仕・随喜する。禅定林を支えるパンニャ・メッタ協会日本委員会のメンバーである天台宗僧侶ら多数も同じく出仕・随喜する。

サンガ師は幼少期に来日し、堀澤師の下、比叡山で修行を積んだ。その後、インドに帰国し、ルヤード村で禅定林を主宰。布教活動を続ける一方、大乗仏教精神に基づく社会福祉活動を展開するPMS(パンニャ・メッタ・サンガ=智慧と慈悲の協会)の代表を務めている。
 PMSは、孤児院「パンニャ・メッタ子供の家」を中心に貧しい子供たちの生活安定のために支援を行うと共に、仏教的情操教育を施し将来の人材育成のための活動を行っている。また同時に、福祉・教育・医療など幅広い活動も続けている。
 10周年を迎える大本堂は、天台宗開宗千二百年慶讃大法会の記念事業として、パンニャ・メッタ協会日本委員会(P・M・J 谷晃昭理事長)の支援の下、建立された。
 全ての生命の平等を説く仏教。その発祥の地であるインドは、今なおカースト制度の壁は厚く、差別と貧困に苦しむ数多くの人々が暮らしている。差別の否定と生命の平等の教えをいかにインドに根付かせ得るかが、インド仏教再生の課題であった。
 その精神的象徴としての威容を誇る大本堂建立から10年を経た現在、禅定林の活動は、確実に根を降ろしている。大本堂落慶時の大法要では約十万人が参集、昨年の9周年の法要には、インド各地からその倍の二十万人にも及ぶ仏教徒が随喜している。なお、老朽化した「パンニャ・メッタ子供の家」を近隣のナグプール市に新築移転、記念大法要が営まれる8日には、その竣工式も執り行われる。


「特別授戒会」も執り行う

 サンガ師はかつて「大本堂をインド仏教の心の拠り所とし、伝教大師のみ教えのもと、未来に法を伝える仏弟子を養育していきたい」と大本堂建立の意義について語っていた。その意義の実践として今回の記念大法要では「特別授戒会」を叡南門主を伝戒大和上として執り行う。現地の仏教徒百名近くが戒を受ける予定である。
 なお、授戒会を理解し易くするため、儀式中『懺悔文(さんげもん)』や『四弘誓願(しぐせいがん)』などの復唱は、ヒンディー語やパーリー語を交えて行われる。 

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

政治家は心にもないことを口にするのが常なので、それを真に受ける人がいるとびっくりする

シャルル・ド・ゴール(元フランス大統領)

なぜ政治家になるのかという問いには、「世のため人のため」という答えが多いでしょう。言い方は変わっても意味するところは、変わらないと思います。基本は人々の暮らしを良くしたいという立派な志です。
 もう一つ理由があります。「末は博士か大臣か」といわれるように、人と生まれた以上、立身出世を遂げたいという個人的野望があると思います。これは、常には表に出てきません。「世のため人のため」という滅私の志にそぐわないだけに、公言がはばかられるからです。
 その思いを秘めて政治の世界に入っても、理想を達成するまでには、いろいろ方法があり、その過程も紆余曲折があります。つまり、自分の考える政治を創る過程では、他の政治家、政治勢力とのあつれき、衝突、駆け引きなど、様々な状況が生じるからです。騙し合いや合従連衡など日常茶飯事といっていいでしょう。政治の世界が権謀術数うごめく世界といわれるゆえんです。
 清廉な理想を抱いてこの世界に入っても、その入ったところがこういった濁った世界なのです。しかし、ともかくも自分の理想実現を成就するためには、なりふり構わず前に進まねばなりません。その挙げ句、いつの間にか汚れた言動の真っ只中にいた、というのが、多くの政治家の現状ではないかと思います。
 では、そんな政治家を前にして、有権者はどう対処するのでしょうか。政治家の言葉を真に受けて、選挙で投票しても、当選後にその言葉を反古にされたらどうするのでしょうか。   近々では、トランプ氏を大統領に選んだアメリカの政治状況に興味が持たれます。ストレートで分かり易いスピーチでの公約が、果たして実現するのでしょうか。支持した人々の反応はどうなんでしょうか、世界中が注視しています。

仏教の散歩道

時間のないお浄土

わたしが十歳のときに、父はシベリアにおいて亡くなっています。昭和二十一年(一九四六)ですが、死亡の月日は分かりません。ソ連による不法な強制労働の結果です。アメリカの原爆も国際法違反の暴挙ですが、あのソ連の強制労働だって、国際法違反に違いありません。
 で、わたしは、六十歳のとき、父の五十回忌を営みました。
 そのとき、父の墓の前で、わたしは母をちょっとからかいました。
 「お母ちゃんはもうすぐお浄土に往くやろ。そしたら、お父ちゃんは、
 〝わし、こんな婆さんは知らんで……〟
 と言うに違いないで」
 だって、母が夫と別れたのは三十歳のとき。そして、そのとき母は八十歳。父は三十歳の若い女性しか知りません。八十歳の老婆なんて見たことがないからです。
 わたしのそのからかいに、母はちょっと淋しそうな顔をしていました。
 あとで、母と同居していた妹から聞くと、その日、母は見合写真を出して来て、
 「わたしが死んだら、この見合写真を棺桶に入れといてや。お浄土でお父ちゃんに会ったとき、
 〝わたし、これですねん〟
 と、写真をお父ちゃんに見せるから」
 と言ったそうです。なかなかかわいいところがあります。もちろん、母が九十六歳で亡くなったとき、見合写真を柩(ひつぎ)の中に入れてやりました。

 そのあと、母が死ぬ一年ほど前に、わたしは母に謝りました。お浄土について、本当のことを母に教えたのです。
 じつは、浄土というのは、本当は、
 ︱無相離念(むそうりねん)︱
 の世界なんです。〝無相〟とは、姿や形のないことです。〝離念〟というのは、心によって捉えられないことをいいます。つまり、時間と空間を超越した世界です。
 でも、そういう世界は、われわれ凡夫はイメージすることはできません。近づくことができないし、それによって安心することもできません。
 そこで、そういう力の弱い凡夫のために説かれたのが、
 ︱指方立相(しほうりっそう)︱
 の浄土です。《これより西方十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽という》(『阿弥陀経(あみだきょう)』)と方角と距離を示し、われわれがそれを具体的にイメージとして捉えられるようにしたのが指方立相の浄土です。あくまでも便宜的に説かれた世界なのです。
 「だから、お母ちゃんは安心していいんやで。三十歳だとか、九十歳だとか、そんなん、関係ないで。お父ちゃんは、〝よう来たな〟と迎えてくれるから、安心しいや」
 謝罪の気持ちをこめて、わたしはそう母に語りました。

カット・酒谷 加奈

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