天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第164号

—比叡山サミット30周年「世界宗教者平和の祈りの集い」—
主催団体「日本宗教代表者会議」を設立

明年8月3、4日に開催される「比叡山宗教サミット30周年記念『世界宗教者平和の祈りの集い』」(以下・比叡山宗教サミット30周年)が開催されるにあたり、10月5日に日本の宗教各教宗派ら約70名の代表が参加して、国立京都国際会館で、その主催団体となる「日本宗教代表者会議」の設立会議が開かれた。そして、全参加者の賛同を得て開催趣意書ならびにテーマ、役員人事、日程、予算などが全会一致で採択され、同代表者会議が発足した。同代表者会議の名誉議長には森川宏映天台座主が就任した。

設立会議では杉谷義純WCRP日本委員会理事長が座長となり、常任委員長に小串和夫神社本庁副総長を、同副委員長に黒住宗道黒住教副教主を、また運営委員長に山田匡男新日本宗教団体連合会総局長を、同副委員長に和多靖之全日本仏教会総務部部長をそれぞれ選出。小串常任委員長により議事が進められた。
 大会趣旨は「宗教の名による暴力はもとより、暴力はいかなる理由でも認められないが、過激主義台頭の背景には鈍感ではいけない。宗教者はそれらの実相に目を背けることなく連帯して平和に取り組む責任がある」と訴えている。
 全体テーマは「今こそ平和のために協調を~分裂と憎悪を乗り越えて~」。基調講演・シンポジウムテーマは「暴力的過激主義に宗教者はどう立ち向かうか」である。また分科会のテーマは「核廃絶と原子力問題を考える~オバマ大統領の広島での演説を受けて~」「貧困の追放と教育の普及~ノーベル平和賞受賞者マララさんの悲痛な叫びを聞いて~」と決定した。
 代表者会議発足後に記者会見に臨んだ森川名誉議長は「(世界を覆う)負の連鎖を打破し、世界平和を実現するためには、お互いに価値観の多様性を認め、共生する姿勢が必要である。宗祖大師の示された『忘己利他』という慈悲の精神が一人ひとりに強く求められている」と比叡山宗教サミット30周年の開催意義について述べ、更に本年9月にフランシスコ・ローマ教皇と会談した折に教皇が「予定があえば、是非とも参加したい」と積極的な意向を示したことを明らかにした。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

 自分の人生にこんないい時がくるとは思わなかった
瀬賀 亜希子(リオデジャネイロ・パラリンピック 射撃選手)

瀬賀 亜希子(リオデジャネイロ・パラリンピック 射撃選手)

今年の9月に閉幕したリオデジャネイロ・パラリンピックでは、日本人選手の皆さんが大活躍されました。障害とされていることを物ともせずスポーツに打ち込む真摯な姿に、胸を熱くさせられました。もっとテレビで放映して欲しかったとも思いました。
 パラリンピックの種目で『射撃』があったことは記憶に新しいと思います。瀬賀亜希子選手はその射撃で、10Mエアライフル伏射(男女混合)に出場。リオデジャネイロ・パラリンピックでは射撃競技で日本人唯一の出場者でした。
 瀬賀選手は17歳の高校生の時に関節リウマチを発症しています。
 関節リウマチは、関節が炎症を起こします。そして、軟骨や骨が破壊されていき、関節の機能が損なわれ、しまいには関節が変形してしまうこともあります。関節を動かさなくても、激しい痛みと腫れがあります。
 17歳の女の子は「箸が転んでもおかしい年頃」ともいわれます。明るく希望に満ち、楽しく過ごせる時期なのでしょう。ところが、瀬賀選手はその年頃からが痛みとの闘いだったのです。「次の日目覚めなくてもいいと思うくらい、痛くてつらい時期があった」と過去をふり返ります。
 50歳でリオデジャネイロ・パラリンピックに出場した瀬賀選手は、残念ながら決勝進出はなりませんでしたが、最後の一発で満点をとりました。そして競技を終えて「楽しかった。自分の人生にこんないい時がくるとは思わなかった」と述べました。なんと清々しい言葉なのでしょう。
 瀬賀選手の言う「いい時」は自身が作ったものです。つらい時、苦しい時、悲しい時…生きていれば必ずそのような時に、少なからず遭遇します。幸せそうに見え、順風満帆な人生を送っているような人にも、そうでない時を必ず身のうちに抱えています。苦しい時に前を向けたら、きっと「いい時」がくる。そんな希望を瀬賀選手の言葉に見いだすことができるのではないでしょうか。

鬼手仏心

大津絵

大津市坂本から京都に出る時、京阪電車の「追分」や「大谷」という駅を通る。
 今では、すっかり寂れているが(失礼)、大津が東海道最大の宿場町であった頃は、随分栄えた場所だ。
 そこで江戸から明治時代にかけて土産物として売られていたのが「大津絵」である。
 現在では、すっかり忘れられているが、当時は土産物のベストセラーだった。
 大津を訪ねたことのある人なら、勧進僧に扮した鬼が墨染めの衣をまとい奉加帳をもって、胸にかけた鉦(かね)と、それを打つための撞木(しゅもく)を持ち、唐傘を背負った「鬼の念仏」という絵を見たことがあるだろう。
 猿が大きなヒョウタンを抱えて、大きな鯰を押さえ込もうとする「瓢箪鯰(ひょうたんなまず)」の絵もご存じではないか。いずれも、彩色鮮やかなユーモラスなもので、護符としても使われたという。
 これらは一見、奇妙な絵に見えるが、意味を知ると面白い。
 分かりやすいのは鬼が体を洗っている「鬼の行水」だ。体を洗っても心を洗わぬ人への皮肉が込められている。
 では「鬼の念仏」はどうか。形だけの善行をする人、偽善者への風刺だといわれる。また「鬼の念仏」は小児の夜泣きを止め、虫を除き、悪しき病気を防ぎ、災難を免れるといい、盗賊、火難から守る縁起物でもあった。
 「瓢箪鯰」は、思慮の足りない行動を戒めるものだという。
 大きな盃と徳利を前にして、鬼が三味線を派手に弾いている絵がある。「鬼の三味線」である。これは酒と音楽で相手を酔わせておいて、襲いかかるチャンスを虎視眈々と狙っているのである。ご用心、ご用心。
 なかなか洒落たものだが、今は土産物というには、あまりに高価なのは残念だ。

仏教の散歩道

現在の幸福VS将来の利益

遊びに夢中になっている子どもに、親が言います。明日のことを考えて、早く寝なさい、と。でも、これ、子どもにとって迷惑なんです。だって、子どもには、いま現在が充実していれば、それで十分なんです。
 これは、おとなにだって言えることです。たとえば友人と楽しく酒を飲んでいるようなとき、多くの人は翌日のことを忘れています。「明日があるから」と言われても、
 「なあに、明日のことは、明日考えればいいさ」
 と、変な啖呵(たんか)を切りますよね。そのとき、あなたは童心に帰っているのかもしれません。
 そういえば、キリスト教のイエスが同じことを言っています。
 《だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自(みずか)らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで充分である》(『マタイによる福音書』6)
 これを、酔っ払いの変な啖呵と一緒にすれば、イエスに叱られそうですが、未来のことは神にまかせて、わたしたちは現在をしっかりと生きればよいのです。それがイエスの言いたかったことだと思います。
 同じことを、釈迦世尊が言っておられます。
 《過去を追うな。
 未来を願うな。
 過去はすでに捨てられた。
 未来はまだやって来ない。
 ただ今日なすべきことを熱心になせ》(『マッジマ・ニカーヤ』131)
 過ぎ去ったことをじくじく考えても、明日のことをあれこれ思い悩んでも、どうにもなりません。わたしたちは、いまなすべきことをしっかりとすればよいのです。未来のことはほとけさまにおまかせすればよい。それが仏教者らしい生き方ではないでしょうか。
*
 おそらく、ほとんどの人が、
 ―将来の利益―

カット・酒谷 加奈

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