天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第162号

宗祖御おしえの継承を胸に 伝教大師御生誕一千二百五十年慶讃四箇法要を厳修

天台宗では、現在、祖師先徳鑽仰大法会第2期を迎えているが、去る8月19日には、「伝教大師御生誕一千二百五十年慶讃四箇法要」の法要が奉修された。
 本年は伝教大師御生誕から一千二百五十年ということで、17日に、大師の御両親ゆかりの神宮寺での「神宮寺法華経読誦法要」、百枝社、市殿社での「御両親報恩法要」などが、また18日の御祥当日には、大師御生誕の地・生源寺にて森川宏映天台座主猊下の御導師による「報恩音楽法要」など様々な法要、催しが行われた。

  宗祖伝教大師は、神護元年(767、異説あり)に近江国滋賀郡、琵琶湖西岸の三津(滋賀県坂本)で、三津首百枝(みつのおびとももえ)の長男として誕生。幼名は広野(ひろの)と呼ばれた。才能豊かな宗祖は、宝亀11年(780)得度、名を最澄と改めた。その後、比叡山に入り修行、また還学僧として入唐、天台山で教学を学び、帰国後は日本天台宗の基礎を作った。
 19日に行われた「伝教大師御生誕一千二百五十年慶讃四箇法要」は、午前11時より、根本中堂において、森川座主猊下を大導師(写真・右)に、延暦寺一山住職、各教区推薦者、天台仏青会員らの出仕で厳かに営まれた。
 同法要には、大乗連盟各宗派の重職、各教区の宗議会議員、宗務所長、宗内諸大徳、また、延暦寺特別信徒、一般参詣者ら多数が随喜した。(写真・左)
 法要の閉式に当たっては、木ノ下寂俊大法会事務局局長(宗務総長)が宗祖伝教大師の生誕に当たって、17日より連日、各種様々な法要が執り行われたことを紹介、「本日、宗内始め、天台宗にゆかりの宗派の方々にも御随喜いただき、宗祖伝教大師の御生誕一千二百五十年慶讃法要を営むことができた。宗を代表して、心よりお祝い申し上げる」と挨拶を行った。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。

マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳

 スティーブ・ジョブズ(1955︱2011)は毎朝鏡に向かって「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?」と問いかけていたといいます。それに対する答えが「NO」である日が何日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟った︱ジョブズは常に死と隣り合わせであることを意識することが、重要な決定を下すポイントとなったと2005年に米スタンフォード大学の卒業生へのスピーチで語っています。
 マルクス・アウレーリウス(121︱180)はローマ帝国第16代皇帝です。ローマ帝国が最も栄えていた時でした。「すべての道はローマに通ず」と後世に喩えられているほどのローマ帝国で、世襲ではなく前皇帝からの指名で皇帝に就きます。ストア派の哲学に造詣が深く、哲人皇帝として後の世に知られました。
 アウレーリウスが生きていた時代、ほとんどの病気は死と直結していました。戦争も多くありました。彼自身も常に持病と闘い、兵を率いて戦場に行っています。そんな彼の『自省録』では「死は自然の現象である」といった記述が何度も出てきます。
 アウレーリウスとジョブズは誕生に1800年を超える長い隔たりがあります。それにも関わらず、彼らは同じ考え方で自分の生き方を通しました。一方は強大なローマ帝国の皇帝として、一方はIT革命の先駆者で米アップル社の設立者として。自らの意志や決定で、大勢の人間と世界を動かした二人。彼らは、死の存在を常に意識し、生きている間にできることを可能な限り模索し続けていたのです。
 私たちはそんな彼らに地位や権力は及びませんが、人生で重要な選択をするときは何度かあるでしょう。その時に、人間が死と隣り合わせであることを思い出したいものです。

鬼手仏心

また昭和の灯が消えた

 出し抜けではあるが、立て板に水、かつ、独特の甲高い喋り口調で一世を風靡した永六輔さんが亡くなった。日本のテレビ放送の草創期より放送に関わり、番組構成、放送作家の元祖ともいわれていた。
 日本のテレビ放送は昭和28年に開始。永さんは放送開始直後から関わったが、戦争の爪痕がまだ残る街角に、その軽妙な語りはお茶の間に一時の清涼感を与えた。
 また、中村八大さんとのコンビによる「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」「見上げてごらん夜の星を」などの歌は、日本人にどれほど勇気と希望を与えたかしれない。そういう私も何度口ずさんだことか。どの曲をとっても戦後の応援歌である。
 時代は過ぎ、テレビは白黒からカラーへ、更にハイビジョン、衛星放送といった技術革新でその環境は一変した。近頃テレビでもその姿を見ないなあと思いきや、著書の中で「テレビを通すと何でも受け止められていくということが怖くなった。テレビの影響力が不安になった…」と語っていた。「ラジオは聞く人を支配しない」と 言われ、その後はラジオ一本でこられた。
 私は以前『比叡の光』というテレビ番組製作に携わっていた頃、永さんをゲストにお迎えしたことがある。その折、粋(いき)でいなせで枠(わく)に嵌(はま)らない人だなあと思ったものだ。
 お寺育ちの永さんは常々「法に則り、比喩を用い因縁を語るべし」という信条のもと、旅先で出会った人たちの言葉を記してきた。
 これらのことから思うことは、永さんとは自分の考えを押しつけず他を支配しない人であり、現場主義を貫いた旅する遊行僧だったのだろう。
 また昭和の灯が消えた。実に淋しい大往生である。

仏教の散歩道

不完全な人間

 「わたしは無宗教なんです」と、平気で言う人がいます。日本のインテリ層に多いですね。わたしは、自分が無宗教だと公言する人は、恐ろしい人だと思います。
 なぜ、無宗教の人が恐ろしいのか?日本人は、ここのところを誤解していますが、じつは宗教というものは、人間の不完全さを許容するものです。世界に数多い宗教に共通している特色は何かといえば、わたしの思うところ、
 ︱人間というものは、弱くて、愚かで、不完全な生き物である︱
 と考えている点です。神と呼ばれるか、仏と呼ばれるか、宗教によってその呼称は違いますが、完全な存在は神や仏だけで、人間は不完全きわまる存在です。そのように考えるのが、宗教の宗教たるゆえんだと思います。
 ということは、人間は不完全であっていいんだよ、弱くて愚かであっていい、それが人間だからね、と、宗教はあたたかく言ってくれているのです。
 だが、無宗教の人は、それと反対を考えます。すなわち、人間は不完全であってはいけない。弱くあってはいけない。愚かであってはいけない。強くて賢い人間になるべきだ。ほんの少しでも、完全な人間になるように努力、精進しなければいけない。そう考えるのが無宗教の人です。無宗教の人は、そういう信念を持っています。
 もっとも、そうは言っても、現実にある人間は、弱くて、愚かで、不完全です。
 ところが、無宗教の人が恐ろしいのは、自分自身に対しては、
 〈そりゃあ、わたしは仏や神ではないのだから、不完全な人間ですよ。でも、わたしは、そういう自分を克服して、少しでも完全になれるように努力しています〉
 と自己弁護します。現実の自分が堕落していても、〈自分は努力しようと思っているから〉という理由でもって、堕落した自分を容認するのです。
 だが、他人に向かってはそうではありません。
 ひょっとすれば、他人もまた内心では努力しようと思っているかもしれないのに、そういう他人の心のうちは分かりませんから、
 〈あの人はちっとも努力しようとしていない〉
 と断じ、そして他人を裁き、糺弾します。自分に対してと他人に対しては、裁く物差しが違っているのです。
 つまり、自分に対しては、弱くて、愚かで、不完全な人間であることを許し、他人に対しては、その弱さや愚かさを許そうとしない。それが無宗教の人なんです。そういう恐ろしい人なんですよ。
 わたしたちは仏教者です。だからわたしたちは、常に他人の愚かさ、弱さ、不完全さを許せる人でなければなりません。わたしはそう考えています。

カット・酒谷 加奈

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