天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 号外

発行日:2015/12/15
半田天台座主猊下がご遷化

第二百五十六世天台座主大僧正半田孝淳猊下が、去る12月14日午前10時4分、ご遷化された。99歳。比叡山宗教サミットや各国での「世界平和祈りの集い」において常に「世界平和」「核廃絶」を訴え続けられた。半田座主猊下のご遷化に伴い、延暦寺一山眞蔵院住職の森川宏映探題大僧正(90)が、天台宗の古来の定めにより第二百五十七世天台座主に上任された。

半田座主猊下は、大正6年9月21日に長野県上田市の常樂寺でお生まれになり、天台宗宗議会議員を経て、昭和53年に天台宗参務(教学部長)にご就任。平成11年には天台宗宗機顧問、平成16年には京都・曼殊院門跡門主に推されてご就任になった。そして、平成19年2月1日、第二百五十五世渡邊惠進天台座主猊下のご譲職をうけて、同日第二百五十六世天台座主猊下に上任になった。
 天台宗きっての国際派であり、1987年に開催された比叡山宗教サミットでは、その実現のためにローマ教皇ヨハネ・パウロ二世聖下と謁見、カンタベリー大主教はじめ世界の代表的宗教指導者と会談して、その実現に尽力された。また、2001年の同時多発テロを憂慮したローマ教皇が招いた世界の宗教指導者のひとりとして、教皇と共に特別列車に乗車し世界平和を訴えられた。
 更に、核兵器廃絶に力を注がれた。原爆投下六十周年にあたる2005年にフランス・リヨンで開催された世界平和祈りの集いでは、日本人で初めてファイナルセレモニーでのスピーカーに選ばれ、約2千人の聴衆を前に「人間が作りだした悪魔の兵器は、人間の責任で廃棄すべきだ」と核廃絶を訴えた。その時に原爆詩人峠三吉の詩を引用された「ちちをかえせ ははをかえせ」というフレーズは、大きな拍手と感動をもたらしスタンディングオベーションがいつまでも続いた。
 また、2009年には天台座主として初めて高野山真言宗金剛峯寺を公式訪問。これは、当時の松長有慶金剛峯寺座主と半田座主の友情によって実現したものであった。その時に半田座主猊下は「このことが機縁となって、お互いの交流が活発になり、互いに手をとりあって仏法興隆、世界平和に邁進できるのならば望外の幸せである」と述べられている。
 仏教という枠を越えて、世界の宗教者と共に世界平和と核廃絶を訴え続けられた半田座主猊下の姿勢は、世界の宗教史に永遠に刻まれた。
 東日本大震災発生直後には、大きな被害を受けた気仙沼市に赴かれ、犠牲者慰霊ならびに復興祈願法要の大導師をつとめられ、被害者家族には「みなさまは、ひとりではない」と励まされた。大災害の被災地に赴かれた天台座主は初めて。各国の代表的宗教指導者や檀信徒と笑顔で接する姿は「半田スマイル」と称され、あらゆる人々から慕われた。
 全日本仏教会会長、印度山日本寺竺主など歴任。
 長野県からの天台座主猊下は、明治以降初めてであり、上田市初の名誉市民号を受けられている。密葬儀は12月17日に滋賀院門跡にて執り行われる。


半田座主を偲ぶ
天台宗宗務総長 木ノ下 寂俊
 謹んで第二百五十六世天台座主半田孝淳猊下のご遷化を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。半田猊下に最後にお会い致しましたのは、十二月三日に行われた住職親授式でございました。その時に、延暦寺執行と私を前にして、改めて「本末一如を大事に」という旨のことを、おっしゃいました。そのことを拳々服膺しつつ今後の宗務に精励いたしてまいります。ありがとうございました。合掌。

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