天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第18号

君たちといた夏を忘れない
-第39回天台青少年比叡山の集い-
-京都・三十三間堂で止観 比叡山横川 元三大師堂で食事など
初めての研修日程に-

 天台青少年比叡山の集いが、今年も八月三日から五日まで開催された。
 今年度参加した青少年は、百七十三人で、彼らを指導する研修リーダーは六十六人。今年で三十九回目ということもあり、一度参加した子ども達が親となり、その子どもが参加したり、成長してリーダーとなって参加するケースも多い。毎年宿舎として利用する延暦寺会館が、改築中のために、今回は京都東山閣が利用され、その分移動等に神経を使ったが、例年にない研修コースも組み入れられるなど、多角的な研修となった。

-世界平和祈りの集いでも主要な役割担う青少年-

 初日の三日は、全国からの参加者を迎え、まず伝教大師の御廟である浄土院に参拝。結団式ののち、渡邊惠進天台座主猊下より授戒を受けた。
 翌四日は、五時三十分に起床、京都の三十三間堂に向かい、六時三十分から御本尊・千手観音像の前で止観の実習に臨んだ。従来、止観は、比叡山根本中堂で行われており、三十三間堂での実習は初めて。また、三十三間堂でも「おそらく、御本尊の前で止観を行ったのは、今回が初めてではないか」という。
 午後からは「比叡山宗教サミット十七周年世界平和祈りの集い」に参加し、特設舞台中央に設けられたパネルから、国旗をはがすというセレモニーの主要な役割を担った。パネルから各国の国旗が取り除かれると、下からは世界の人々が輪になって手をつなぎ、オリーブの芽を育てているメインパネルが出現した。オリーブは「平和」の花言葉をもっており、今回のサミットの象徴である。青少年達は、取り除いた国旗を別パネルに自由にならべ、世界の国々には序列も、区別もないという世界を表現した。
 同日は、横川の元三大師堂で夕食となった。青少年達が、元三大師堂で食事をとるのも、今回初めてであったが、大人数のために灌室まで提供されての食事という、異例ずくめの対応に関係者は感激を新たにした。
 夜は最大のイベントであるキャンプファイアー。折からの台風十一号の影響で、夕方より激しくなった風雨に、リーダー達は一様に天を仰ぎ祈った。荒天で開催が危ぶまれたが、ときおり強く雨が降る中、天台宗の秦社会部長も参加して決行された。
 比叡山の駐車場に設けられた火壇を子ども達が取り囲む。リーダー代表が点火すると、一度火は空中に舞い上がり、花火が仕込まれた火壇が勢いよく燃え上がるという凝った演出に、参加者の興奮は最高潮に達した。各班のリーダー達が趣向を凝らした衣装や踊り、バンド演奏で雰囲気を盛り上げ、最初は遠慮がちだった青少年達も、全員が一体となって最後の夜を楽しんだ。雨の中を歓声がこだまし、手をとりあって涙にむせぶ子ども達とリーダー達。秦社会部長は「比叡山青少年の集いに参加した子ども達は、もともと道心が備わっている。実に素直で、接していても気持ちがいい」と評した。
 最終日には、これも初めての京都清水寺で班別自由行動が行われた。少額のお小遣いを持参することも認められ、修学旅行気分で、お土産を買う子ども達。初日には、うつむきがちでおどおどしており、般若心経も遠慮がちに唱えていた青少年たちも、修了式では、規律に慣れて堂々としており、新しい友達と名残を惜しむ姿が見られた。
 あるリーダーは「子ども達の成長する姿がはっきり見られた」と語り、「次は、リーダーで帰って来いよ」と呼びかけた。リーダー達は、天台宗寺院の師弟や寺族が多いが、一方で檀信徒の子弟もあり、次代の交流という役割も果たしている。
 参加した青少年の一人は「厳しかったけれど充実した日々だった」と濃密なスキンシップの日程を振り返った。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

光は声を持たないから
光は声で人を呼ばない
光は光で人を招く

高見 順  詩集『樹木派』より  

 太古の昔から、私たち人類は本能的に光を求めてきました。闇は禍々しく、光は希望でした。
 光とは、仏教では、仏の智慧であり、慈悲を現します。戸惑う人々に、み仏は一条の光を投げかけ、歩むべき道を示してくれます。 この、み仏の投げかける光に感応することができるのは、私たちが、生まれながらに光を内に持っているからです。
 法華経では、このことを、悉有仏性(しつうぶっしょう〓存在するものは、仏心を具えている)と教えます。
 自分自身が輝けば、その輝きは、さらに別の輝きを生み出します。
 照らされて、照る世界があります。
 それは、仏の心と、仏の心が共鳴する世界です。
 理屈で説得されるのではなく自分自身が「あの人の活動は、素晴らしいな」と感じた時、あなたは光に照らされています。
 その時こそ、あなた自信が光り輝くチャンスです。

鬼手仏心

皆が手に 天台宗出版室長 工 藤 秀 和

 
 大津の東南寺で行われた戸津説法に随喜した。
 宗祖大師が父母の供養のために妙法蓮華経(法華経)を説かれた故事にちなみ、毎年行われている説法で、説法師は、将来の天台座主候補となるだけに、比叡山と天台宗では大変重要な意義を持っている。東南寺は、昔ながらのお寺で、冷房もなにもないので、お堂に立てられる氷柱に、わずかな涼を求めながら聞く。
 法華経は、空から花降り、地は振動し、仏の光は世界を照らすところから始まる。壮大なお経で、一種のスペースオペラといってよい。
 全二十八品は、どれも素晴らしい真理の教えばかりで「法華経一部二十八品のどこを読んでも、また僅かの時間でも法華経を聞いた人で仏に成れぬ人は一人もない」といわれる。現代の世相を考えながら、私は第七品の「化城喩品」のことを思った。
 喩えとして、リーダーに連れられて遠い国へ、珍しい宝を求めてゆく隊商のことが、語られる品(章)である。道は険しく、猛獣もいるので隊員たちは「もう帰ろう」というのだが、リーダーは神通力で幻の城を見せて、そこで彼らを休ませる。隊員たちは喜んで、幻の城で休息するのだが、リーダーは「さあ、行こう。本当の城と宝のあるところはもう近い。前進しよう」と告げるのである。これは、現世利益にとらわれている仮の信仰を、本当の信仰に高めようとする仏の慈悲を示している。
 また、私たちが、回向のとき唱える「願わくば、この功徳があまねく一切に行き渡り、われわれと生ある者たちとが皆共に、仏道を歓声できますように」という「普回向」もこの品にある。自分だけが、救われるのではなく、自分が受けるべき良い結果を皆に振り向けて、皆が共に救われなくてはならないという教えなのである。

仏教の散歩道

真珠の涙を流す

 「ぼくはストレスを受けやすい人間です。以前に、ストレスによって心の病気になったこともあります。最近、近所のマンションの建設の騒音によるストレスや、他人のことがひどく気になったりして、またストレスによる心の病気になるのではないかと、不安でいっぱいです。どうすればストレスを感じないですむ強い心が持てるのでしょうか?その方法を教えて下さい」
 そんな相談の手紙が来ました。相談者はお寺のお子さんです。だから、彼は
 「いま、ぼくは以前にもまして仏教が好きになり、いろいろと仏教を勉強しています」
 と書いています。それで、自分の悩みを解決する方法を仏教に見つけようとしたいのだけれども、自分ではその答えが見つけられないので、わたしに教えてほしいと言ってきたわけです。
 さあ、困りました。仏教はどうすれば心を強くすることができるか、そんな方法を教えてはくれません。仏教が教えてくれているのは、
 ―あるがままに生きなさい―
 ということです。強い心をもった人は、強く生きればいい。弱い心の人は弱いまま生きればいい。それが仏教の教えです。
 江戸時代に、阿察(おさつ)という女性がいました。彼女は白隠禅師(一六八五―一七六八)に師事して禅を学びました。
 その彼女の孫娘が死んだとき、阿察婆さんは孫娘の棺桶(かんおけ)にしがみついて、大声をあげて泣いていました。それで周囲の人間が、阿察婆さんに忠告しました。
 「せっかく禅を学んだのだから、心を強くして泣かないようにしなさい」
 それに対して阿察婆さんはこう言いました。
 「わたしは美しい真珠の涙を流しているのですよ。禅の教えは、悲しいときに涙をこらえて泣かないようにするのではありません。悲しいときには美しい真珠の涙を流すのが、禅の教えですよ」
 そうなんです、悲しいときには泣けばいいのです。世間では、悲しいときにじっと涙をこらえている人を「立派な人」と呼びますが、それはまちがっています。悲しいときには、美しい真珠の涙を流し、うれしいときには心の底からにっこりと笑える人が、本当にすばらしい人なんです。仏教はそのように言っていると思います。
 だから、ストレスに弱い人は、そのまま弱くていいのです。無理に強くなる必要はありません。心の病気になるときは、仕方がありません。病気は病気ですから、しっかりと病気の治療をすればいいのです。病気になったらどうしよう……と、あまりびくびくしないでください。そのびくびくがストレスなんですよ。

カット・伊藤 梓

ページの先頭へ戻る