天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第144号

天台宗と大法会を1年かけて取材
 ―――三重テレビからBS放送へ

 今年春から、三重テレビで「芭蕉が詠む 祈りのこころ」と題して天台宗の特集番組が放映される。特集番組は10回にわたる予定で、他放送局での放映や来年にはBS放送でも放映されることも検討されている。現在、三重テレビのクルーにより総本山延暦寺はじめ各地方での天台宗行事について多角的な取材が展開されている。

三重テレビでは、これまで「伊勢神宮式年遷宮特別企画 お伊勢さん」と「熊野古道~お伊勢さんからもうひとつの聖地へ~」という二つのシリーズで「日本人のこころのありよう」を問い続けてきた。
 お伊勢さんでは、1300年にわたって受け継がれてきた式年遷宮という儀式と祭りを通じ、また熊野古道では神道・仏教・修験道が融合した霊場と参詣道の姿を通じて「日本人のこころ」がテーマであった。
 今回は第三弾として天台宗が取り上げられる。大きなテーマは日本仏教の母山として1200年の時を刻んだ比叡山延暦寺を起点として「日本人のこころ」に迫りたいとしている。また、伊勢神宮と熊野古道をつなぐ「仏教」がもうひとつのテーマとなる。
 ユニークなのは旅の案内役を伊賀の俳聖・松尾芭蕉がつとめるという演出であろう。松尾芭蕉を演じるのは松平健さんである。三重テレビクルーは、1月26日の天台宗開宗記念法要を皮切りに取材に入っている。
 2月には伝教大師が横大路家(福岡県糟屋郡)の祖先に805年に授け、以来重要文化財「横大路家住宅」のかまどに1200年護り続けられ、現在は妙香庵(九州西教区・福岡県太宰府市)に「蓮華のともし火」として安置されている伝教大師ゆかりの千年の灯や、六所宝塔、更には太宰府天満宮で、2月25日の菅原道真公の命日に天台宗九州西教区が毎年奉修している管公御神前法要なども、テレビカメラに収められた。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

 人の住んでる家は生きているようにみえるものだ。住んでいる人によっては、その家が性格を備えているようにみえる場合さえ少なくない。

『季節のない街』山本周五郎

 山本周五郎は、市井の人々の、生きる喜び、哀しみ、苦しみを、深い共感を持って描きました。作品に登場する庶民の家々の軒先に吊られる釣忍(つりしのぶ)や、安物の小鉢に植えられた草花、或いは、粗末な作りながら、きれいに磨き上げられた玄関口など、そこに暮らす人々の日常を、生き生きと感じさせる描写があります。
 そんな家々は、それぞれに違った雰囲気、趣きを感じさせます。その家の住人を色濃く反映しているのでしょう。荒れた生活を送る家族の家は、すさんだ風情が漂う家だし、円満な家庭は、ほのぼのと温かい印象の家に見受けられます。
 私たちも、知人の家を訪ねた時など、その家とその人となりとをつなげた印象を持ちますね。「彼好みの造りだな」とか、内部を見て「やっぱり、ゴチャゴチャしているな」と性格に絡めて感じたりします。家の品定めなのか、人物評なのか判然としない感じです。
 個人的な体験ですが、亡くなって随分経ってから、その古くからの友人の家を訪ねたことがありました。空き家になっており、傷みも激しく、人の住まない家の哀れさを感じました。しかし、そんな家を眺めていると、友人の面影や持っている雰囲気などが急激に甦って来たことがありました。
 現代日本では、地方でも都会でも、空き家がどんどん増えているといいます。経済など社会構造の変化で居住環境も昔とは違ってきていますから、無理もありませんが。ただ、家というものが自分の延長上の存在だという意識が誰にもあるようで、住むとなるとやはりまっさらな無垢の家が良いのでしょう。街中で空き家に会うと、「どんな人が住んでいたのだろうか」と、知らず知らずその家のかつての住人を想像してしまいます。どこかで寂しい思いを感じながら。

鬼手仏心

「柄が何になる」 天台宗社会部長 角本 向雄

 石頭希遷(せきとうきせん)は、唐の時代の禅僧である。
 彼が雲水として修行していた時の逸話にこんな話がある。
 ある日、石頭は兄弟子と共に山に作務に出かけた。当時山に作務に行くとは、木の枝を払ったりする作業をするということである。当然、山刀を持って行く。
 ところが、その日、兄弟子は山刀を忘れてきた。
 途中で兄弟子は「おまえ、すまないが山刀をちょっと貸してくれ」と言うのである。
 石頭は、鞘(さや)からサッと山刀を抜き、刃先を兄弟子に突き出すようにして「さあ、どうぞ」と言った。
 兄弟子はびっくりして「そっちじゃない。柄の方を出してくれ」と震えながら言った。
 石頭は「おかしなことを言いますね。柄が何になるというのですか」。
 それは本当だ。作業をするのに柄なんか役に立ちはしない。役に立つのは刃の方である。
 この言葉には、胸に突き刺さるような皮肉が含まれている。
 「あなたは、何をしにここに来たのですか。大事なものを忘れて作務に来る、そんな根性で仏道の修行ができるものですか」と言っているのである。
 似たような話を、大工の棟梁から聞いたことがある。若いときに鉋(かんな)を忘れて、先輩に「鉋を貸してくれないか」と頼んだと言うのである。
 「忘れもしませんや。先輩は、何ともいえない苦い顔をして、それでも貸してくれましたが、その時に『あいよ。あると便利だよ』と言われました。今も忘れません。鉋がジリッと手に焼きつくような気がしました」。
 こういう言葉は言われると一生忘れない。強烈な言葉だが、その人のヤワな考えを鍛え直す「大喝」である。

仏教の散歩道

苦労人になるな!

 〝苦労人〟という言葉があります。辞書によると、
 《いろいろの苦労を経験し、世間の事情に通じた人》(『大辞林』)
 といった意味です。いわゆる分別のある人ですね。
 では、この苦労人が悩める人の相談に与(あずか)ることができるか、といえば、逆に苦労人は最悪の相談者であるようです。なぜでしょうか?それは、彼は、自分はものすごい苦労をした。にもかかわらず自分はそれを克服した。だからあなたもじくじく悩まず、努力してみずからの苦労を克服せねばならぬ。そう考えて相手を叱り、すぐにお説教をしてしまうからです。
 だから苦労人は、悩める人が相談をする相手としては、最も不適切な人ということになりそうです。
 そもそも「苦労」というものは、どういうものでしょうか?苦労人といいますが、じつは苦労人と呼ばれる人だけが苦労をしたのではなく、誰だって苦労をしたのです。人間は、みんな苦労をして生きています。よちよち歩きの赤ん坊だって、よちよちと歩くために一生懸命になっています。でも赤ん坊は、その苦労をちっとも苦にしていません。むしろ楽しんでいます。そう思いませんか?
 だとすると、苦労人は、苦労を苦にしていることになりそうです。楽しんで苦労をすればいいのに、逆に苦労を苦にしながら苦労している。そして、結果的にその苦しみを克服できた。だから自分は苦労したけれども成功した人間だ。自分で自分をそう思っている。それが苦労人と呼ばれる人のようです。
 こういう例で考えるとよいでしょう。わたしたちは貧乏であれば苦労します。しかし、同じ苦労をするにも、若い愛し合った二人が貧乏にもめげず、むしろ貧乏を楽しみながら、幸せに生きているケースもあります。彼らは貧乏を克服しようなんて思っていないのです。
 そうかと思えば、貧乏を苦にして、なんとか金持ちになろうと努力する人もいます。この金持ちになろうと努力をし、そしてそれに成功した人が苦労人と呼ばれる人ではないでしょうか。
 だから苦労人は、貧乏を楽しみ、ゆったり、のんびりと人生を生きている人が歯痒(はがゆ)っくてならないのです。「もっと努力せよ」と叱りたくなり、お説教をしたくなります。
 でも、わたしの考えるところでは、仏教の教えは、どちらかといえば、
 ―苦労人になるな!―
 だと思います。貧乏であれば、貧乏を楽しんで生きるとよい。貧乏なまま幸せに生きればよいのです。そりゃあ、貧乏人は苦労しますよ。でも、金持ちになれば苦労がなくなるわけではありません。誰だって、生きるためには苦労をするのです。苦労を克服するのではなく、楽しく苦労すればいい。わたしは、それが仏教の教えだと思います。

カット・酒谷 加奈

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