天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第132号

木ノ下内局が初めての議会に臨む
現議員、最後の宗議会となる 第129回通常宗議会

 木ノ下内局初めての宗議会となる第百二十九通常宗議会(栢木寛照議長)は、二月十八日に招集され、天台宗の平成二十六年度通常会計歳入歳出予算案等を可決して二十日に閉会した。今年度の予算案について木ノ下宗務総長は、本年四月より消費税の増額による歳出増は避けられないとして「各科目において、過去の支出状況を勘案し削減できるところは積極的に削減を行った」と述べた。その結果二十六年度予算は平成二十五年度と同額の十億八千三百十万円で編成され、可決された。

 木ノ下宗務総長は就任にあたって「祖師先徳鑽仰大法会」「東日本大震災復興」「比叡山宗教サミット三十周年に向けての取り組み」「教師研修会」「機構検討」の五項目を重点施策目標として掲げている。
 今回の宗議会冒頭における執務方針演説で、木ノ下宗務総長はこれらの具体的実現方法について言及したが、このうち大法会の記念事業として位置づけられている総本山延暦寺の『国宝・根本中堂』大改修については「全体では十年の期間を要し、平成二十八年度から本格的に改修に取り掛かる予定である。屋根葺替(ふきかえ)をはじめとする工事が七年の予定で進められ、引き続き三年間をかけて『重要文化財・根本中堂回廊』の栩葺(とちぶき)屋根の葺替をはじめとする工事が、国庫補助事業として計画されている」と述べた。
 また「東日本大震災復興」については昨年十二月十二日に、内局各部長と共に、被災地、福島教区を視察したことを報告。本年三月十一日には、宮城県気仙沼市の被災地で回向を行った後、同地の觀音寺(鮎貝宗城住職)において、「東日本大震災祥月命日法要」に随喜することも明らかにした。
 また、本年十一月十二日に福島県郡山市「郡山ユラックス熱海」を会場に 「一隅を照らす心~手を取り合って 次代につなげよう~」のテーマのもとに、「一隅を照らす運動四十五周年東日本大震災復興祈念大会」を開催。復興に向け苦難の道にある被災地に全国の宗徒・檀信徒が集い、応援してもらうのをねらいとしている。その主な内容は、東日本大震災物故者慰霊法要、宗教評論家のひろさちや氏による講演、T─BOLANの森友嵐士氏やデュークエイセスによるトーク・歌唱などが計画されている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている。

「朝のリレー」谷川俊太郎

 この詩のあとは「ニューヨークの少女が ほほえみながら寝返りをうつとき ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする この地球はいつもどこかで朝がはじまっている」と続きます。
 朝のひとときというものは一日の始まりのときであり、気分的にも明るい時間です。一日の何気ない日常がこの時間から始まり、幼いものから、老人までがそれぞれの喜び、怒り、哀しみ、楽しさを経験し、一日を終えます。
 そこにはまた、新しく誕生する命があり、青春を謳歌するものがあり、成熟を楽しむものがあり、生を終える老いた命があります。全ての命が、川の流れのように一日という堰(せき)を越えていくのです。
 この詩の底には、地球上に生きている人間は、たとえ環境や生活レベルの差があっても、同じ朝を迎え、同じように生活を営み、平和な日常を楽しむ権利があるんだと、言ってるように思えます。
 地球の上では、便宜上、日付変更線を設けたり、場所場所での現地時間を決めなければなりませんが、実際は、切れ目のない時間でつながっています。大地もそうです。切れ目ない場所でつながっているのに、人間は勝手に線を引いて、国境を作り、その出入りを制限します。そのために人間は新たな苦悩を作ったりします。
 この現実の世界には、希望に満ちた平穏な朝を迎えることができない人々、悲惨で絶望的な日常をを強いられている人々が多くいます。
 この詩にあるような朝の情景が地球すべてに見られるのは、いつのことでしょうか。私たちひとり一人の喜びに満ちた朝がリレーされてつながり、平和な一日が約束される日が来るのは。

鬼手仏心

幸せだなあ(1) 天台宗総務部長 阿部 昌宏

 作家の吉村昭さんは、朝、目覚めると「ああ、自分は今日も生きている。どこも痛くない。幸せだ」と胸の中でつぶやいていたという。
 吉村さんは、二十歳の時に、半年間で体重が六十キロから三十五キロになるという肺結核の末期患者だった。終戦直後のことである。
 当時の治療は肋骨を切除するという荒っぽいもので、もっぱら戦後三、四年を中心に行われてたものである。執刀した医師は、数年後、吉村さんに「何百人も執刀したが、あなたしか、生きていない」と告白したそうである。「土木工事みたいなものでした」。
 吉村さんの手術から一年経った頃には、胸にピンポン球を入れるという方法がつかわれるようになったが、これは大失敗だった。肺が壊死してしまうのである。肋骨を切除するだけという原始的な方法がかえってよかったのである。危機一髪である。人生、何が幸いになるかわからない。
 その手術は、とにかく痛いのだという。局所麻酔で、「よく痛みで失神するなんていうが、あまりの痛さに失神するヒマなんてないよ。みんな『殺してくれ、殺してくれ』と絶叫してるんだから」という。こんな酷い目にあわすぐらいなら、いっそ殺してくれと叫ぶ。それぐらい痛いそうだ。
 手術に立ち会った吉村さんの弟は、肋骨が切除される度に、ビクン、ビクンと跳ね上がる兄の身体をみて失神したそうだ。
 吉村さんは、喀血(かっけつ)して入院するときに「せめてあと五年生きたい」と望んだそうである。
 それが二十歳の時だ。結核は完治し、六十年近くを生きて日本芸術院会員にまで選出されたのだから人間の運命はわからない。
                       (続く)

仏教の散歩道

反省するな!

 わたしは、ときに逆説的な表現をするもので、しばしば誤解され、非難されます。先日も、講演終了後の質疑応答の時間に、
 「先生は、どこかの講演で、反省するな!と言われていたそうですが、なぜ反省してはいけないのですか?」
 と質問を受けました。あれは質問というより詰問、非難に近いものでした。
 そのときは、あまり時間もないし、質問者の態度が傲慢だったもので、わたしは、
 「釈迦世尊は、過去を負うな。未来を願うなと言っておられます。その過去を追うなという言葉を、わたしは反省するな!と翻訳したのです。反省するな!がよくないと思われるのであれば、釈迦世尊の言葉のまま、過去を追うなと覚えておいてください」
 と答えました。ちょっと肩透(かたす)かしの返答で、質問者は不満顔でした。

 なぜ、反省するのがよくないか、改めて考えてみましょう。
 みなさんは夫婦喧嘩をされるでしょう。わたしもよくやります。夫婦喧嘩のあと、たいていわたしは、
 〈しまった!〉
 と思います。そう思うのはいいのです。そして、そう思ったままにしておけばよい。
 ところが、そこでわたしが反省を始めます。喧嘩をすべきでなかった。なのに喧嘩をしてしまった。いったいなぜわたしは喧嘩をしたのだろうか?喧嘩の原因は何なのか・・・?それが反省です。反省すると、何が原因で喧嘩になったかを考えるのです。
 そうすると、どうなりますか?たいていの場合、
 〈そりゃあ、俺も悪かった。だが、俺も悪いが、妻のほうにだって責任がある。そもそも妻が、あのとき、あんなことを言わなかったら、俺も腹を立てることがなかったのだ!だから、妻が悪い。喧嘩の原因は妻にある〉
 となってしまうのです。ね、そうなりますよね。
 つまり、反省すると、すべて悪いことの原因を相手のせいにしてしまうのです。反省とは、相手を悪者にする営みにほかなりません。だから、反省するな!です。釈迦世尊が「過去を追うな」と言われたのも、過ぎ去ったことをあれこれ詮議(せんぎ)するな、といった意味です。
 では、われわれは反省をしないで、どうすればいいでしょうか?それは懺悔(さんげ)するのです。
 しかし、懺悔というのも、過ぎ去ったことをお詫びすることではありません。そうではなくて、方向転換をすることです。夫婦喧嘩をしたことを妻にお詫びするのではなく、新しく妻と仲良く暮らす努力を始めるのです。
 でも、まあ、これはむずかしいですね。いっぺんにできませんから、ぼつぼつやるようにしましょう。

カット・酒谷 加奈

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