天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第129号

11月11日、木ノ下新内局が発足
―祖師先徳鑽仰大法会円成を期す―

 十一月十一日に実施された宗務総長選挙で、木ノ下寂俊・京都教区方廣寺住職(前宗議会議員)以外に立候補者はなく、同師の無投票当選が決まった。翌十二日には滋賀院門跡において宗務総長任命式が行われ、半田孝淳天台座主猊下より木ノ下新宗務総長に辞令が親授された。

 今回の宗務総長選挙は、前回選挙に比べ、一カ月前倒しで行われた。これは、新内局が事務引き継ぎ、挨拶回り、予算編成など業務遂行が年末年始にかかることを憂慮し、阿前内局が、早期辞任を決断したことによる。
 木ノ下新総長は、昭和二十二年生まれの六十六歳。天台宗では初めての戦後生まれの宗務総長である。木ノ下師は、立候補に当たり、施政方針として「『本末一如』の言葉を真摯に受け止め、事に処して参りたい」と表明。十二日の就任記者会見では、立候補に当たって掲げたマニフェスト、一、祖師先徳鑽仰大法会の円成、二、東日本大震災復興支援、三、宗教サミット三十周年に向けての取り組み、四、教師研修会の推進、五、機構検討の取り組みを施策の中心として、その実現に邁進したいと語った。
 特に東日本大震災復興については、未だ福島原発の放射能汚染問題が収束を見ず、その行く末を憂慮し、宗としても復興への真摯な取り組みを行っていきたいと述べた。教師研修会については「学問宗といわれる天台宗であり、前内局の敷かれたレールを引き継いで教学面で一層の充実を図っていきたい」との意欲を語った。内局の任期は、平成二十九年十一月十一日まで。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計
              

三好達治詩集

 過去、現在、未来、と時間軸で考えるのは人間だけです。
植物も人間以外の動物もそんな時間的こだわりはありません。なまじ、発達した知能を有するだけに、人間は過去を悔やみ、未来に大きな期待をかけ、挙げ句は悩みに沈むのです。
 身近にいる猫や犬は、現在のみを生きています。植物も時期が来たら花を付け、種を作り、そしてやがて枯れていきます。過去を悔やむでもなく、未来に不安を抱くでもなく。うらやましいですね。もちろん、彼らはそのことを自覚しているわけではありません。 こうした世界にあって、人間だけが時間という概念の中で苦悩するのですね。
 邯鄲(かんたん)の夢という話が中国にあります。邯鄲とは、中国の戦国時代の趙の都市のことです。
 盧生(ろせい)という貧しい若者が、邯鄲で呂翁という道士(仙人)に会い、身の不遇を嘆いたところ、夢が叶うという不思議な枕を貸し与えられ、一眠りします。夢の中では出世をし、富貴な家の嫁を貰い、名声を得るが、冤罪(えんざい)で投獄される。が後に、無罪となり再び栄華を極めます。しかしやがて年老いて死ぬという紆余曲折(うよきょくせつ)の人生を体験するのです。
 ふと目覚めると、それは実際には店の主人が炊いていた黄梁(こうりゃん)もまだ煮え切らないような、ごく短い間の夢にすぎなかったという話。 長い人生の栄枯盛衰を一瞬に見たわけです。所詮は「人生は、はかない」ということでしょうか。
 では、我々はどう生きれば良いのかと言う話になります。新約聖書に「明日のことを思い煩(わずら)うなかれ。明日のことは明日思い煩え。一日の労苦は一日にて足れり」とあるように、今日打つのは今日の時計であり、昨日の時計も明日の時計も考えないことでしょう。しかし、理屈では分かっているのですが……。

鬼手仏心

スター誕生 天台宗総務部長 阿部 昌宏

プロ野球の今年の日本シリーズで、東北楽天ゴールデンイーグルスが巨人を下して初の日本一となった。
創設九年目の快挙である。星野仙一監督は「就任当時、あの大震災で苦労なさっている皆さんを、ほんの少しでも癒してあげたいと考えて、この三年闘ってきた」と語っている。
球場となった仙台市のKスタ宮城は、これまで被災地から六千五百人以上を招待し、選手たちは被災地を七十回以上訪れた。
そして、スター誕生だった。
九回に田中将大投手が登場すると、スタンドは総立ちとなった。
田中投手は、試合後のインタビューで「きのうは情けないピッチングをしたので、出番がもらえるなら『いつでも行くぞ』という気持ちで準備していた。この舞台を作ってくれたチームやファンに感謝しながらマウンドに上がった。優勝が決まってほっとした」と話している。
「本拠地で東北の皆さんの前で監督を胴上げできてうれしかったです。ありがとう」と笑顔で叫んでいた。
今年二十五歳である。
それにしても、と思う。人生はわからない。
田中投手は、第八十八回全国高等学校野球選手権大会では、早稲田実業との決勝戦で延長十五回まで一失点。しかし早実の斎藤佑樹も一失点で完投し、三十七年ぶりの決勝引き分け再試合となり、再試合では最後の打者として斎藤に三振で討ち取られ三対四で敗れた。
当時、眉目秀麗な斎藤投手が「ハンカチ王子」と呼ばれたのに対して、田中投手はヒール(悪役)の面影さえ漂った。
それからまだ十年は経たない。人生というものはわからないと思う。

仏教の散歩道

自己責任ではない

 釈迦世尊が出家される前、まだシッダールタ太子であったときの話です。
 太子は農耕祭に臨席していました。農夫が牛にひかせた犂(すき)でもって、畑を掘り返します。すると、土の中から一匹の虫が出て来ました。次にその虫を、小鳥が啄(ついば)みます。おそらく雛(ひな)に餌を与えるためでしょう。小鳥は虫をくわえて空を飛んでいきます。
 だが、小鳥は遠くにまで飛べません。なぜなら猛禽(もうきん)がやって来て、小鳥を爪にはさんで悠々と大空を飛んで行ったからです。
 農耕祭に出席していた人々は、「わぁーっ」と喚声を上げました。しかし、シッダールタ太子は、
 「むごい!うとましいことだ」
 と呟(つぶや)きつつ、その場を去って林に行き、大樹の下で坐禅をされたといいます。仏伝文学は、これを釈迦世尊の初めての坐禅と伝えています。
 虫を小鳥が啄み、その小鳥を猛禽が補食する。これこそ、まさに、
 弱肉強食の原理―
 です。人々はその弱肉強食の光景をまのあたりにして何とも思わなかったのですが、シッダールタ太子はそこに「地獄」を見たのです。そして心を痛めました。
 ひるがえって、現代日本の社会では、すさまじいまでに、
 ―競争原理―
 が支配しています。競争は勝者と敗者をつくりだします。そして、勝者はほくそ笑み、敗者は泣きの涙で暮らさねばなりません。
 わたしが現代日本を「恐ろしい社会」だと思うのは、勝者のうちにこの日本を、
 「むごい!うとましいことだ。まちがっている!」
 と思う人がほとんどいないことです。現代日本の勝ち組は、弱者である負け組の人たちに対して、
 「彼らは怠けて努力しなかったのだから、貧しいのは当然だ。彼らの自己責任である」
 と、突き放して考えています。政治家も財界人も一緒になって「自己責任」を言っています。その結果、現代の日本は「地獄」になっていると思います。日本人の心はすさんでいます。
 仏教は「自己責任」なんてことは言いません。仏教の教えは縁起であって、これは相互依存関係です。勝者がいるから敗者がいるのであり、金持ちがいるから貧乏な人がいるのです。だって、全員が勝者になり、すべての人が金持ちにはなれませんよね。
 ということは、金持ちは貧乏人のおかげで金持ちになれたのです。それ故、金持ちは、貧しい人に対して、〈すみません〉〈申し訳ありません〉といった気持ちを持つべきです。
 金持ちがそういう気持ちを持ったとき、この地獄の世界が少しでも住みよくなるのではないでしょうか……。

カット・酒谷 加奈

ページの先頭へ戻る