天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第119号

偉大なる先徳への報恩の誠を捧ぐ
慈覚大師1150年御遠忌御祥当法要

民衆救済の精神を受け継いで
 
 一月十四日に、延暦寺大講堂において、半田孝淳天台座主猊下を大導師に「慈覚大師一一五〇年御遠忌御祥当法要」(法華三昧)が厳修された。また、前日の十三日には同じく「御逮夜法要」が厳修された。十四日は慈覚大師一一五〇年の祥当御命日にあたるが「慈覚大師一一五〇年御遠忌御影供法要」は、五月十四日に改めて盛大に執り行われる予定である。

 天台宗では、十年間にわたる祖師先徳鑽仰大法会が昨年四月一日にスタート。同日には「総開闢法要」が、また五月十一日には「祖師先徳鑽仰大法会総開闢奉告四箇法要」が行われている。大法会では四祖師先徳の遺徳が鑽仰されるが、最初は慈覚大師一一五〇年御遠忌がつとめられている。
 今回の「一一五〇年御遠忌御祥当法要」厳修にあたっては、寒さによって交通関係に支障が出ることが予想された為に、多数関係者への呼びかけは自粛された。
 十四日の延暦寺は、折からの積雪によりドライブウエイが一時通行止めになり、気温も氷点下近くまで下がるなどの悪天候にもかかわらず、出仕僧や随喜者、また関係者らは慈覚大師への報恩の誠を捧げた。
 法要は、天台宗内局、延暦寺内局ならびに延暦寺一山の僧侶と天台宗仏教青年連盟の代表六名が出仕して行われた。 
 午後一時に、半田座主猊下は雪に覆われた大講堂に到着され、出仕僧と共に内陣へと向かわれた。
 法要の中で半田座主猊下は、慈覚大師の功績を讃えられたあと「一千百五十年の御遠忌御祥当を迎えて仰高の徳測り難く、化縁を顧みて無量の恩報じ難し。恭しく懺摩の法を修して敬慎の誠を捧ぐ。仰ぎ願わくば大師の尊霊暫く浄域の華台を出でて、末徒の礼供を納受し、慈悲を回施して迷妄の群生を導き給え」との法則を宝前に捧げられた。
 このあと、阿純孝大法会局長(天台宗宗務総長)、武覚超大法会奉行(延暦寺執行)らが焼香を行った。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

安楽で快適な時間は
記憶に何の痕跡も残さない

鬼海(きかい)弘雄(ひろお)「日めくり忘備録」文学界

 鬼海弘雄さんはインドやトルコなどを旅し、また浅草に集まる人々を被写体にしています。『土門拳賞』など数々の賞を受賞している写真家です。
 フリーの写真家は経済的に恵まれません。インドやトルコへの取材旅行は、必然的に「きつい」「汚い」「危険」、いわゆる3Kになります。「暖房のない宿のベッドで、背骨を噛まれるような寒さ」を味わったり、ニューデリーでマラリアにかかったりしながらの独り旅です。
 切り詰めた旅では、安楽で快適な時間は望むべくもありませんが、鬼海さんは「辛くない旅など少しも意味がない」といいます。
 そして「私がリュックを背負って歩き回っているのは、いい写真を撮りたいという正体の曖昧な熾(お)きが心で燻(くすぶ)っているせいだ」と、六十八歳の写真家は、まるで求道僧のような心情を吐露するのです。
 ある日、鬼海さんと話をしていると「今は、システムばかりが発達して、その上澄みをかすめ取ろうとする人ばっかり。上澄みの下にあるものを、ちゃんと見ないと」と教えられました。
 また「自分には何もない。才能も地位も金も、もう本当に何もないということを、しっかりとイヤになるぐらい自分の心に刻んで、そこから始めないと駄目です」とは、まさに求道僧を思わせます。
 現地の人々とのコミュニケーションには、言葉は不要といいます。トルコでは見知らぬ家から、ストーブで暖をとってゆけと招かれ「帰り際にカリンを一個くれた。自然を相手に質素に暮らす人々はなんであんなにもやさしいのだろう」と感じる瞬間が写真に結びついてゆく。「木枯らしが送電線を鳴らしている。久しぶりに聞く懐かしい冬の音」に呼び覚まされる感性。それらは「辛い旅」がもたらす濃密な時間です。
 「安楽で快適な時間は記憶に何の痕跡も残さない」のです。

鬼手仏心

柳界の一茶 天台宗出版室長 杜多 道雄

  
 昭和三十六年に亡くなった須崎豆秋(すざきとうしゅう)は「川柳界の小林一茶」と呼ばれた人です。
 香川県の生まれで、大阪で就職、生涯を同じ長屋で暮らしました。最初は啄木調の短歌を詠んでいました。ところが「啄木の真似してカニにはさまれた」とのことで川柳に移ります。
 お酒のつまみに、ことのほか豆を好んだので「豆酒」とあだ名されていましたが「自分は秋も好きだから」というので、「豆秋」と名乗りました。
 「みの虫のなんぼ匍(ほ)うても壁だった」とか、「長ぐつの中でいっぴき蚊が暮らし」というような庶民の悲哀をユーモアにくるむのが豆秋の持ち味で、多くの人に愛されました。
 晩年、ガンで余命幾ばくもないと知ったときには「院長があかんいうてる独逸(ドイツ)語で」とか「鱧(はも)の皮キュッといっ杯もう駄目か」という句を残しています。
 またお世話になった人々には別れの書簡を残し、その上書きには「もうあかんと覚悟したので『わかれの言葉』を書き残します」と書いた人です。
 自分の生き死にのことなのにどこか可笑しい。ある意味で人生の達人といえるかも知れません。
 奥さんへの遺書には「あんたはんには、私のわがまま生活で長い間苦労をかけて何ひとつ楽な目をさせず、一生の土壇場になって思いもよらぬ大病にかかり、あんたはんが寝食をわすれての介抱をしてくれたことを心の底から感謝しながら、一足お先へ失礼いたします」と書きました。
 「作品に嘘がない。おどかしがない」、「風呂上がりのように、人間社会の汗とアカを落としたさっぱりした」(森下冬青悼記)作風が「柳界の一茶」と呼ばれるゆえんです。

仏教の散歩道

人間はみな阿呆

 宗教の話をするとき、いつも困らされるのは、日本人に宗教と道徳の違いがまったく分かっていないことです。
 そもそも道徳とは何か? 口の悪いわたしに言わせれば、道徳は強者が弱者を痛めつける際に利用する道具です。
 たとえば、「嘘をつくな!」という道徳がありますが、嘘をついて罰せられるのは弱者である民衆だけで、権力者が嘘をついても罰せられません。会社において遅刻して叱られるのは平社員で、社長や重役はお咎めなしです。
 考えてみれば、いかなる社会も現在のその体制を護持するのが至上命題です。
 その体制を維持するために使われるのが道徳です。それ故、道徳を必要とするのは、その社会にあって甘い汁を吸っている人たちです。
 現代の日本社会は無宗教だと言われています。たしかに、無宗教は無宗教なんですが、甘い汁を吸っている人たちが言う「無宗教」は、弱者を痛めつける道具である道徳がなくなったことであって、それが彼らには「困ったこと」であるのです。 そういう意味での無宗教─すなわち無道徳─であれば、わたしはむしろ歓迎すべきことだと思います。
 では、宗教、それも真の宗教とは何でしょうか? 
 宗教の定義は多種多様で、極端に言えば宗教学者の数だけ宗教の定義があります。で、わたしの定義は、
 ─宗教というものは、人間の不完全さを教えるものだ─
 です。キリスト教の神、仏教の仏は完全であり、また無謬(むびゅう)の存在です。それに対して人間は、不完全なる存在であり、まちがいばかりする存在です。
 もっとも、神道のカミは、そんな完全・無謬の存在ではありません。
 日本のカミガミはよくまちがいをしでかします。神道の場合は、カミですらまちがいをするのだから、人間がまちがいをするのはするのはあたりまえ、ということになります。したがって、日本の神道もまた、人間は不完全な存在だと教えています。
 要するに、すべての宗教は、人間は不完全で、まちがいばかりするものだと教えているのです。これを大阪弁でいえば、
 「人間はみな阿呆や」
 になります。わたしも阿呆であんたも阿呆。阿呆と阿呆が互いに赦し合って、また助け合って生きているのがこの世の中です。
 わたしもまちがいをしでかすのだから、あなたもまちがいをして当然です。だから、他人のまちがいを糺弾せず、少しぐらいの迷惑はお互いに耐え忍んで生きるのがこの世の生き方です。真の宗教は、そのことを教えています。
 いま、無宗教の日本で困ることは、この「阿呆の認識」がないことです。みんな自分が賢く完全だと思っているから、世の中がギスギスしています。なんとかならないでしょうか……。 

カット・酒谷 加奈

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